第564話 閑話 雨
「危なきところを助けていただき、感謝の念に堪えませぬ」
「うむ、若いのにしっかりしておるな」
きちんと礼を述べた虎寿に対して、満足そうに頷く信長であった。ちょっと前まではしっかりしていなかった彼が言うと説得力抜群である。
「さて、虎寿であったか? なにゆえ追われていたのだ?」
「はっ、拙僧は元々本願寺で顕如――現在の法主の側仕えをしていたのですが、見切りを付けまして。出奔しましたところ、顕如めが追っ手を遣わせたのです」
「ほぉ、事情はよく分からぬが、その顕如というのはよほど駄目と見えるな」
「ははっ、まったく以て駄目な男でして。実の父親からも見切りを付けられておりました」
「それはそれは……」
敵を欺くための演技半分とはいえ、『うつけ』であった信長としては胸が痛くなる酷評であった。
「さ、さて、虎寿よ。これからどうするつもりだ? 本願寺に追われていては大坂での安住は厳しかろう」
「とりあえずは『帰蝶様』という御方の元へ行き、本願寺に掣肘を加えるに値する人物かどうか確かめようかと」
「……帰蝶であるか」
我が妻の人を引き付ける力はもはや妖術の類いであるなと呆れる信長である。こういうのも『人たらし』というのであろうか?
「わしらはこれから帰蝶の増援として一向一揆らに一撃を食らわそうと思っておる。わしらの乗ってきた船を使い、堺まで行けばとりあえずの安全は確保できるだろうが……」
「…………、……叶うならば、信長様たちのご活躍を見届けたく」
「で、あるか」
虎寿の返事が気に入ったのか、虎寿の頭をぐしぐしと撫でる信長であった。
◇
信長たちは休息もそこそこに移動を開始した。長距離の、ゆっくりとした移動。いくら馬の乗り方を知っているとはいえ、初めて出会った馬に乗るのだからこうして『癖』を理解した方がいい。
日々鍛えていて、若いおかげで体力もある。結果として誰一人欠けることなく信長たちは川から少し離れた場所に布陣することができた。
休息と飯の準備を命じてから、信長たちは一向一揆たちの陣容を確認するため、近くの高台へと馬を走らせた。
「ほぉ、これが十万の軍勢というものか」
「実際に見てみると凄いのねぇ」
後に『戦国大名』となる信長も、景虎も、今までの人生で十万という数の軍を目にしたことはない。
距離があるおかげで一人一人は蟻のようにしか見えないが、そんな蟻が地面を覆い尽くすほどにたむろしている。
いくら騎馬とはいえ、200程度で突っ込んだところですり潰されるのがオチだ。
だというのに、どこか楽しそうに景虎が信長を見る。
「どうやって戦うつもり?」
「うむ、頭を潰せば霧散しよう」
「簡単に言ってくれるものよねぇ」
呆れた様子の景虎だが、彼女としても分かり易いのは好みである。
陣容を見れば総大将がどこにいるかくらいは分かる。
あとは一番偉そうな人間の首を落とせばいい。
言葉にすれば簡単だが、それができる者など戦国時代を通しても数えるほどしかいない。が、景虎は『できる』側の人間なので何の問題もなかった。
適当に突っ込んで、適当に首を落とす。景虎がそんな目算を立てていると――
「――景虎様」
直江ふえが淀城とは違う方角を指差した。
ふえの指し示した方を向いた景虎は『光』を目にする。
……あれは、落雷だろうか?
海の近くの高台に、雷が落ちている。
ただの雷ではない。
雲一つない空から、連続した、地面を
「あの場所は……おそらく、大坂本願寺ですね」
「あ~……」
とうとう帰蝶ちゃんも堪忍袋の緒が切れたかしらと景虎が黙祷を捧げていると――
「――雨が来るな」
空を見上げた信長が静かに呟いた。
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