第562話 閑話 苦労してますね


 堺で一晩宿泊し、船の準備と馬廻衆の船酔い回復を待ったあと。


 信長たちは川船に乗って新淀川を遡上していた。信長は淀城の詳しい場所を知らないが、そこは船を曳いてくれている河童や、(当然のように付いてきた)長尾景虎が知っているそうなので問題はない。


 河童については……もはやツッコミを諦めた信長ーズである。


「さて、」


 同じ船に乗った景虎が、どこか楽しげな様子で信長に問いかけてきた。


「一向一揆十万。その意味が理解できないわけじゃないでしょう?」


「で、あるな」


 対する信長は言葉少なめ。帰蝶のおかげでだいぶ人付き合いもするようになったのだが、それでも異性と気安いやり取りができるほどではないようだ。……帰蝶? あれはもはや異性という枠では収まらない。


「こちらの数は200ってところかしら? 全員が騎馬とはいえ、ひっくり返す・・・・・・のも容易ではないわね。本気でやるつもり?」


 試すような景虎の物言いに、信長はついつい鼻を鳴らしてしまう。


「容易ではない、であるか。つまり、景虎じぶんならばひっくり返すことも可能である、と? 大した自信であるな」


「…………」


「なに、安心せよ。わしも命を粗末にするつもりはないのでな」


「……どうだか」


 信長から自分と同じニオイを感じ取った景虎は船の上に寝転がったのだった。







 城から少し離れた、一向一揆たちから気取られない場所を上陸地点に定めたあと。


 荷下ろしの利便性を高めるためか桟橋のようなものがあったので、そこで武具や馬を下ろしていると――


≪――ほぉ、やはりおぬしであったか≫


 聞き慣れた声が信長の耳に届いた。


 堤防の上にいたのは、まだ年若い女性。


 若い女性には珍しい白髪。だが、年を経たが故の白さではなく、生まれついたもの特有の美しさを携えていた。


 意志の強さを伝えてくるかのような、僅かにつり上がった目の色は――金。それだけでこの女性が人外の存在であることがうかがい知れた。


「玉龍。久しいのぉ」


≪我は帰蝶あの女ほど身軽ではないのでな≫


「……そういえば、帰蝶たちはどうしたのだ?」


 竜王の娘に対しての平素な言葉遣い。信長としても少々気が引けるのだが、玉龍本人というか本龍が望んでいるのだから是非もなかった。


 それはともかく、現在の状況である。


 信長がいるのに、帰蝶がいない。

 玉龍がいるのに、帰蝶がいない。


 そんな不自然な状況を信長が問いかけると……玉龍は、心底おかしそうにくっくっと喉を鳴らした。


≪――愚蒙ぐもう愚昧ぐまいに鉄槌を。破戒僧に天罰を。劉寛温恕りゅうかんおんじょ胡坐あぐらをかいて、仏法穢す畜生共へ、菩薩に代わりて天誅を≫


 それはいつか聞いたことのある言葉。

 なんとも意味深長なのだが、具体的な説明には何もなっていない。


 だが、いよいよ何か・・が始まるのかと信長は冷や汗を流した。


「天誅、であるか。玉龍は向かわなくてもよいのか?」


≪我が同行しては、後々ややこしいことになりそうなのでな。ああいうのはこの世界におけるしがらみ・・・・がない帰蝶たちに任せてしまった方がいい≫


 もっともらしいことを言っているが、要は責任逃れなのだろう。玉龍の咎は、玉龍に頼み事をした観自在菩薩にも飛び火するが故に。


「帰蝶に同行しない理由は分かったが、なぜこちらに?」


≪なに、おぬしにも『馬』が必要であろう? 英傑の卵が、まさかそんな駄馬で満足するつもりか?≫


 イタズラっぽく口端を吊り上げてから、玉龍の身体が光に包まれ――それが収まったあと、その場にいたのは白い毛並みが美しい駿馬であった。










「――ほぅ、アレが例の『三郎』であるか」


「まさかあの程度の戦力で援軍にやって来るとは……。愚かなのか、勝算があるのか……」


 堺に留まっていた三好長慶と松永久秀は興味深そうに船へと乗り込む信長たちを眺めていた。たったあれだけの戦力で一揆勢十万に戦を挑む。長慶であればそんな無茶をせず、状況が好転するまで待つだろう。


 逆に言えば。

 もしもそれを成し遂げるような男であれば――そんな男にこそ『天下人』という称号は相応しいのかもしれない。


「よし、ついて行ってみるか」


「はぁ!?」


 長慶の発言に久秀が目を見開いた。三好家当主であり、これから細川晴元と一戦とすら考えている男が、今から戦場になる場所に、碌な戦力もないまま向かうなど……。


「なに、戦に乱入するというわけではない。遠くから眺めるだけなら危険はなかろう。そうと決まれば宗久あたりから船を借りるとするか」


「…………はぁ、」


 もはや戦見物を決定事項として行動する長慶に、久秀はため息をつくしかなかった。





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