第560話 閑話 憑み勢


 信長は悩んでいた。


 彼自身が帰蝶の救援に向かうのは当然だ。何の迷いもないし、命を賭けることにもためらいはない。


 だが、家臣となれば話は別。

 彼らは織田家に仕える者。直臣である馬廻衆であっても信長個人に忠誠を誓った身の上。まだ正式な婚約を結んだわけではない帰蝶は『他人』であり、何度も争ってきた『美濃のマムシの娘』である。そんな彼女を救うために遠路堺にまで出陣し、命を賭けて戦えと命じることなど……。


 悩む信長が那古野城に戻ると、驚きの光景が広がっていた。


 帰蝶によって大規模に整備された城内。後の世に武者だまりと呼ばれるその場所に、信長の私兵とでも言うべき馬廻衆が集まっていた。


 数としては数百人。この時代、一人の武将が率いるにしては多い数だ。


 そんな人数が、命令もないまま集まっていた。


 一体どこから話を聞きつけたのか。

 聞きつけたとして、その意味を理解しているのか……。


 戸惑う信長の元へ、帰蝶が『愉快な仲間たち』と呼ぶ連中が集まってきた。


「若! こっちは準備万端ですぜ!」


「姐御が困ってるなら是非もないでしょう!」


「堺にはいい酒もあることですしね!」


 いつもの調子の愉快な仲間たち。そんな彼らの言動では不十分と判断したのか信長の部下の中でも増しマシな人物――つまりは、森可成と平手長秀が近づいてきた。


「帰蝶様が一向一揆との戦をなさっているとかで」


「彼らも帰蝶様には世話になっている身。矢も楯もたまらず馳せ参じたのでしょう」


 その口ぶりでは、誰かの命令があったようには聞こえないが……。いや、それも当然だ。命令権を持つ信長は何も言っていないのだから。


 基本的に真面目であり、原理原則を重視するのが信長という男。

 そんな彼の内心のためらいを察したのか可成が一つ助言をする。


「お気に召さるるな。我らは殿を主君として定め、帰蝶様を主君の妻として認めたのですから」


「しかし……。で、あるか」


 とりあえず納得はした信長は、続いて平手長秀に目を向けた。


 信長がその武勇を認め、『長』の一字を拝領した男。その意味で言えば信長の直臣であるが、代々織田弾正忠家に仕える平手家の嫡男でもある。信長が個人的に集めてきた次男坊・三男坊とはその立ち位置がまるで違っている。


 だが、平手長秀はゆっくりと頷いて見せた。


「信長様ご出陣の折には、父上(平手政秀)に那古野城の守りをお任せいただければ、とのこと」


「……爺も知っておるのか?」


「ははっ、老骨にむち打つとのことで」


「……ずいぶんと変わったものよな」


 以前の平手であれば真っ先に反対してきたはずなのだが。


 そんな信長の言葉に、長秀は首を横に振る。


「変わったのは、信長様で御座います。ゆえにこそ、父上も変わったのです。諫言する立場から、信じて託す立場へと」


「……で、あるか」


 答えた信長は自らが集めてきた馬廻衆の前に立った。


 もはや、是非も無し。


 ここに集まった以上、事細かな問答など不要であろう。


 信長は腰元から刀を引き抜き、天高く掲げた。


「――たのみ勢じゃあぁああああぁああっ!」



「「「おおおぉおおおおぉおおおぉおおおっ!」」」



 鬨の声を上げた信長たちはまず伊勢湾に新設された軍港を目指した。





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