第543話 弓を引く
ひとしきり笑いあった後、三好長慶さんが軽く咳払いをした。
「さて、もう一つ本題を。我らはいずれ堺と大坂周辺で軍事行動を起こすかもしれませんが、その際、帰蝶殿と淀城を害する意志はないと明言しておきましょう」
「軍事行動ですか?」
「えぇ。まだ決まってはおりませぬが、そうなるでしょう」
「主君・細川晴元に弓を引くと?」
「……さすがは帰蝶殿。そこまで
プリちゃんからの入れ知恵ですけどね。なぁんて、馬鹿正直に教えたりはしない。ただ意味深に微笑むのみ。
「帰蝶殿が率いる軍勢の、淀城での奮戦はこちらの耳にも届いております。――どうか、我らの戦においては中立の立場を取っていただきたく」
「以前、久っちからそんなお願いをされましたね。中立になれば淀川運河の関銭(通行税)徴収権付与をお約束いただけるとか?」
「えぇ。元々あの新たなる淀川は帰蝶殿が作られたそうで。ならば関税の徴収権も帰蝶殿の手にあるべきでしょう」
「ずいぶんと物わかりがいいことで」
「銭で解決できるなら、これほど良い話はありませんからな。しかも我らの懐から出て行くわけでもなし、と」
長慶さんの収入から出費するならともかく、淀川の関税は『取れたかもしれない銭が取れなかった』というだけだものね。諦めもつきやすいのでしょう。で、一向一揆十万を相手に勝利すら見えてきた私を中立の立場に押し込めるなら万々歳と。
「味方をしろ、と言われたら少し考えないといけませんが、中立の立場と言われては飲まないわけにはいきませんね」
三好長慶さんの味方になるということは、室町幕府のお偉いさんである細川晴元、そして義輝君までをも敵に回す可能性があるからね。どちらに付いた方が『得』であるかこちらとしても判断に迷うところだし、即答もできない。
それを理解しているからこそ長慶さんも『どちらの味方にもならない』という選択肢を掲示してきたと。さらには無茶を言わないことで私からの好感度もゲット。その辺の外交バランスはさすが戦国最初の天下人になる人ってところか。
そして長慶さんにとって最も重要な点は……一向一揆を私が引き受けてくれているということだ。
一向一揆は戦力として強力だし、長慶さんの父・元長さんも一向一揆に敗れて自害した。まさしく戦況をひっくり返すジョーカーとなりうる。
でも、法主の方針で敵になったり味方になったりするし、なにより法主の命令すら聞かずに暴走状態になる危険性もある。
しかも法主は代替わりしたばかりで、どう動くか分かったものではない。
そんな『不確定要素』である一向一揆は現状だと淀城にかかり切りだし、もし長慶さんを攻撃しようとしても、今度は私たちから背後を突かれるかもしれないので安易な行動は取れない。
……まぁ、多少の犠牲は許容して長慶さんの軍勢に襲いかかる可能性もあるけれど。その辺のリスクは当然理解していることでしょう。理解しながら、ここが勝負所だと賭に出たと。
正直、そういうチャレンジャーな人は好ましかったりする。そもそも三ちゃんがそういうタイプだし。人間やはり挑戦心を忘れちゃいけないわよね。
『あなたはもう少し自重しなさい』
なぜか叱られてしまった。解せぬ。
「こほん、徴収権付与までお約束いただけるなら黙って見ているだけというのも仁義にもとりましょう。……一向一揆が不測の行動に出ましたら、その時は協力してあげましょう」
「おぉ! それは心強いですな!」
安心したように扇子で自らを煽る長慶さん。
「帰蝶殿も会合衆の一員になったとのこと。いざ戦ともなれば、我が軍勢はまず堺に上陸することとなりますが、ご承知おきくだされ」
「えぇ、どうぞ。別に邪魔はしませんので」
「その際、帰蝶殿が作られたという大桟橋を使いたいのですが……」
「どうぞどうぞ。初回なので関税は無しにしておきましょう」
「それはそれは、何から何まで……」
心の底から嬉しそうな顔をする長慶さんだった。やはりこの笑顔に
『長慶さんも、あなたにだけは言われたくないでしょうね』
解せぬ。
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