第534話 閑話 仏罰覿面
「ええい! 早く掘り返せ!」
この場の一向一揆の指揮を任されている男、顕正は信者の男たちを怒鳴りつけた。淀城へと繋がっている洞窟が突如として崩れてしまったのだ。
金に目が眩んだ信者たちも武器として使っていた鋤や鍬で穴を掘ろうとするが、中々進まない。先ほどまで洞窟があったとは思えないほど地面が固かったのだ。
遅々として進まない掘り返しに業を煮やした顕正が怒鳴りつけようとしたところで――
「――うちの師匠って、甘すぎるくらい甘いんですよね」
あまりにも清浄な響きに、顕正たちは、それが『声』であるとしばし理解ができなかった。
そんな彼らを畳みかけるように声が紡がれる。
「ほとんど交流がなかった天狗さんが、恨みを晴らせずに消えたと知ったら心の底から悲しみますし。悪行ばかり積み重ねる本願寺を滅ぼそうともしませんし。――なにより、こんな私を弟子として可愛がってくれていますし」
くすくす、くすくすと。奇妙なまでに心地よい笑い声がこだまする。
「神様なんだから、容赦なく『力』を振るえばいいんですよ。悪を悪と断じ、正義の神として討ち滅ぼしてしまえばいいんです。誰も文句は言いません。神様なんですから。誰も文句を言えません。神様なんですから」
ようやくその聖音が『声』であると認識した顕正たちが周囲を見渡す。
「人間の罪は、人間が裁くべき。人間の業は、人間の手で乗り越えるべき。人間の過ちは、人間自身が正すべき。神様としてはあり得ないくらい真っ当ですよね。あり得ないくらい優しいですよね。どうやら本気で『人間の可能性』とやらを信じているようで。……まぁ、そんな御方だからこそ、私も師匠として慕っているのですが」
そうして顕正たちは『彼女』を目にした。
一向一揆の陣営。まるでこの場にいるのが当然であるかのように佇む年若い女を。
「そんな師匠が呆れ果てて、私に
月の光を浴びて輝く銀色の髪。
鮮血を啜ったかのような赤い瞳。
夜の中にあって吸い込まれるような魅力のある白肌。
人ではない、と誰もが思った。
妖魔の類いであろうと確信した。
「け、化生の者か!? 斬れぇ! 斬れぇい!」
顕正の命に従い、僧兵の一人が薙刀を振るった。そのあまりの速さに女は避けることもできずに袈裟斬りにされた。……された、はずだった。
女を斬りつけた薙刀の刀身が、曲がった。
そんな馬鹿な話があるか。熱した鉄でもあるまいに、あのように曲がりくねるはずがない。
だが、事実として薙刀の刃はねじ曲がり。斬られたはずの女は、少し不愉快そうに僧兵を見やった。
一瞥。
たったそれだけ。
殴りつけたわけでも、呪詛を唱えたわけでもなく。ただ、ただ、一瞥しただけで僧兵は膝から崩れ落ち、四肢を大地に投げ出した。
「ひっ!?」
死んでいる、と。この場にいる誰もが理解した。見ただけで、あの女は、人を殺してみせたのだ。
「――神様の流儀でいきましょう」
女が手を叩く。乾いた音が陣地に響き渡る。
「たとえ一万人死んでも、一万人が改心するならそれでよし。たとえ十万人が死んでも、十万の命が救われるならそれでよし。百万人が死んでも、世界が『未来』に進むなら、それでよし。足し算と引き算。損得勘定ですね」
慈愛溢れる微笑み。
まるでお釈迦様に乳粥を渡したスジャーターのような慈悲の笑顔と共に。
――地獄の門が開け放たれた。
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