第533話 閑話 SAN値チェック


 ――夜。


 昨日と同じように洞窟から人夫たちが出てくる。軽々と米俵を抱え、足場の悪い洞窟内を歩いてきたのだからかなり鍛えてはいるのだろう。


 しかし、それも油断している今ならば大した敵とはならない。


「いや、お疲れ様で御座る。まずは茶でも一杯」


『…………』


 この時代の『茶』とは高級品であり、その魅力に逆らえなかったのか人夫たちは米俵を下ろすと次々に準備された帷幕の中へ案内される。


 そこで待っていたのは、武器を構えた一揆勢。その中心にいた顕正が不敵に笑う。


「はっ、まんまと騙されおって。おぬしらなど、しょせんは仏敵よ。米を与えたくらいで容赦されると思うてか?」


『…………』


 人夫たちは数の不利を悟ったのか抵抗することなく縄打たれた。そのあまりにも平静な様子に違和感を抱いてもよさそうなものなのだが……こと・・が上手くいっている油断のせいか顕正たちに気づく様子はない。


「お、始まったか」


 城の向こう側から閃光が走り、爆音が響き渡ってくる。今日も本願寺本隊による夜襲が始まったらしい。


 夜襲に対応するため、城の守備兵は南側にばかり意識を割かれるだろう。――今なら少人数での城への乗り込みも成功しやすいはずだ。


 人夫たちを先行させ、『盾』として洞窟の中を進む一向一揆たち。


 しばらくすると、洞窟の先に光が見えてきた。

 まるで日中であるかのような、温かな光。


「おお!」


 人夫たちを急かしながら先を急ぐ一揆勢。その先に、数万の一向一揆すら養える物資があると確信して。


 ……あと少し冷静であれば気づいたであろう。

 今は夜。あのような日の光がごとき明るさは存在するはずがないことに。


 だが、彼らは惑っていた。

 まるで樹液に集まる虫のように。

 まるで炎に自ら飛び込む蛾のように。


 惑いながら、狂いながら、洞窟の終わりを目指して駆ける。敵の待ち伏せがあるかもしれないのに。そんな可能性をすっかり失念しながら。


 そして――


「――な、なんじゃここは!?」


 洞窟を抜けた先には、極楽があった。


 突き抜けるような青い空。燦々と降り注ぐ光。草原は地平の先にまで広がっている。鼻腔をくすぐるのは初夏のような、むせかえるほどの青々とした薫り。


 草木を柔風が揺らし、湖では白鳥が水浴びをしていた。野原を駆けているのは馬。そして牛までいる。


 ――我らは城を目指していたはずだ。

 確かに淀城へ向かって伸びていた洞窟を抜けてきたはずだ。

 だというのに、ここは何だ? 我らはいつ極楽へとたどり着いたのだ? まさか、すでに我らは死んでいて、阿弥陀仏に導かれて極楽へと至ったのか?


「は、はは! 見よ! あんなにも立派な馬が放たれておるぞ!」


 捕まえて連れ帰ろうとでも思ったのか、草を食んでいた馬に男たちのうち数人が近づく。馬は人に慣れているのか逃げる様子はない。


 そのまま男たちは馬の首後ろのたてがみを掴み、馬を抑えようとする。もちろん普通であれば馬は逃げようとするのだが、たてがみを掴んでしまえば意外と人間でも並走することは可能だ。振りほどかれることも多いが、できないことはない。


 馬が疲れてきたところで馬の首にしがみついたり、足を掴んだりすれば素手でも馬を捕らえることはできる。男たちはそれをしようとしたのだろうが――残念ながら、アレは普通の馬ではなかった・・・・・・・・・・


 男の一人が馬のたてがみを掴もうとしたところで――


 ――馬の首が、縦に裂けた・・・・・


 首は花びらのように四つに分かれ、ヒルのように蠢いている。


 この時代には認知されていないが、その姿はまるで獲物を捕らえる瞬間の『クリオネ』のようであった。


「ひっ」


 引きつったような悲鳴を上げた男に、その『馬』が食いついた。首に擬態していた触手を器用に使い、そのまま男を飲み込んでいく。


 骨が砕かれる音。肉がすり潰される音。鮮血が地面にしたたち落ちる音。平時では聞くはずのない音が彼らの耳朶を震わせる。


「ば、ば、化け物じゃ!」


 他の男たちは命からがら逃げ出して、洞窟を戻ろうとした。


 だが、その洞窟が見当たらない。

 先ほどまで自分たちが通ってきたはずの洞窟が、消えていた。


「な、なんじゃ!? 何が起こっておるのじゃ!?」


 人間一匹を飲み込んだ馬のような化け物が男たちに近づいてくる。最初の一体だけではない。草原にいた十を超える化け物たちが一揆勢を取り囲んだのだ。


「く、くそっ!」


 男たちは人質として連れてきた人夫たちを盾にしようとするが――その人夫たちが、溶けて消えた・・・・・・

 あとに残ったのは人夫を縛っていた縄と、砂の山。


 なんだこれは?

 まるで、この砂が、人間のふりをしていたようではないか?


 馬だと思っていたのは化け物で、人だと思っていたのは土塊で。


「な、なにが極楽だ! ここはただの――」


 地獄ではないか。


 その嘆きを口にすることなく、男たちはその生涯を終えた。











「人間とは愚かだねぇ」


「愚かですねぇ。……どうします?」


「是非もないかな」


「なら、そういうことで」



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