第535話 閑話 すべて終わったあと


 翌朝。

 超勝寺実照が毎朝の習慣となっている鍛錬を行っていると――部下が駆け込んできた。


「じ、実照様! 対岸の部隊が消えました!」


「消えた、とな?」


 対岸ということは、新淀川の反対側。淀城とは旧淀川だった空堀を挟んで対峙していた部隊のことか?


 数は当初より目減りしたので7,000ほど。実照が総指揮官となっている加賀の一向一揆だが、大河が間にあるので部隊指揮は顕正に任せていたはず。


「消えたとは、一体どういうことだ?」


「はっ! 朝、見回りの者が気づきました! 対岸の部隊、一人残らず消え去って御座います!」


「いや、だから消えたとはどういうことだ?」


 再度問いかける実照であったが、どうにも報告をしてきた男も混乱しているようだ。

 ここは自分が直接確認したほうがいいかと判断した実照は、帷幕を出て新淀川の岸辺を目指した。







「うぅむ、これは確かに『消えて』おるな……」


 小舟で淀川を渡った実照は戸惑いながら周囲を見渡した。


 実照の部隊が陣取った対岸。ここには確かに顕正らに任せた7,000ほどの一向一揆が布陣していたはず。だが、今となっては人っ子一人いないではないか。


「実照様。奴ら、逃げ出したのでは?」


 側近の一人が口を開くと、残りの側近たちも次々に同意した。


「きっとそうでありましょう。吉兆様から援助された食料を持って加賀に帰ったに違いありません」


「しかも逃亡の責は実照様に押しつけることができますからな」


「自分たちは戦線を離脱し、実照様の失脚も狙うとは」


「顕正ならばそのくらいやるでしょう」


 側近たちはすでに顕正が逃げたのだと考えているようだが、実照は素直に受け入れることはできなかった。


 まず、音がしなかった。

 いくら暗闇に紛れていたとはいえ、7,000もの人間が移動すれば相応の音がするはずだろう。だが、実照も、こちら側の岸にいた加賀門徒も誰一人としてその音を聞かなかった。


 そしてなにより、痕跡が少なすぎる。

 一晩で逃げたのだとしたら、何かしら残っているはずだ。幕舎(テント)を立てるために使った木の棒や、屋根代わりのむしろ。火をおこすための竈の跡など、など。


 それが、全くない。

 地面は不自然なほどに真っ平らで、ゴミ屑一つ落ちていない。


 ――まるで、津波にすべて浚われた・・・・・・・・・・ようではないか。


(まさか、吉兆様か?)


 人の手ではあり得ない怪事。ではあるのだが、実照は不思議と確信を抱くことができた。この不可解な現象は吉兆様の仕業であろうと。


(あのように慈悲深い吉兆様がここまでのことをなさるとは……。顕正め、きっと筆舌に尽くしがたい悪行を成したのであろう。何と愚かな……)


 せめてもの情け。


 実照は何もなくなった陣地跡に向かって手を合わせ、南無阿弥陀仏を唱えたのだった。



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