第520話 閑話 超勝寺実照・2


 淀城側からの使者がやって来た。その報告に超勝寺実照は首をかしげた。


(本願寺の攻勢に恐れをなしたか? しかし、なぜこちらに?)


 いや、本願寺本隊が陣取った城の南側は狂信者ばかりであるし、まだ話の通じそうなこちらに仲介を頼んだと考えれば自然か。そう判断した実照は使者を丁重にもてなすよう命じ、自らもその使者に会うため移動を開始した。


 実照が向かった先にいたのは――筋肉だった。


 胸板は鎧を着込んでいるかのように分厚く。

 腕の強靱さは鋼でできているかのよう。

 首筋には見事なまでに血管が浮かび上がり。

 その首は丸太のように太い。


 暴れる雄牛すらその豪腕でねじ伏せられそうな。そんな、圧倒的な筋肉であった。


 超勝寺実照も、自らの肉体には自信を持っていた。謀略を得意とした父を、武力で支えようと鍛錬を欠かさなかった。――筋肉。戦国時代には筋肉こそが正義。筋肉こそが物事を解決する原動力であると信じていた。


 そして、今。

 圧倒的な筋肉ちからが目の前に座っていた。


 その肉。実照より一回り、いや二回りはあろうか。身長はさほど変わらぬので、その圧倒的な筋肉差が浮き彫りになっている。


 悔しさはない。目の前の彼はもうそのような段階にはいないのだ。大地を這う蟻の子が、どうして大空をゆく鳥に嫉妬できようか。


「――見事なる筋肉」


 挨拶すらせず、実照は使者を褒め称えた。『また始まったよ……』という顔をする側近をあえて無視して使者――根来左太仁に近づく。


「そちらこそ、見事なる筋肉。たゆまぬ鍛錬を続けてきたのでありましょう」


「いや、拙僧の鍛錬など、左太仁殿の筋肉を前にすれば翳んでしまいましょう」


「はは、お褒めにあずかり恐悦至極。……と、誇りたいところで御座いますが、残念ながら拙僧は自らの力でこの肉体を手に入れたわけでは御座いませぬ」


「ほぅ? と、申されると?」


「帰蝶様――いや、吉兆様の奇蹟により、我らはこの肉体を手に入れたのです」


「……にわかには信じられぬが……」


 だが、その筋肉が常識では計り知れぬものであることは事実。それこそ御仏の奇蹟であると言われた方がしっくり・・・・くるほどの。


 そしてなにより。

 自らの筋肉に対して、嘘偽りを述べずに他力のおかげであると告白する……。その正直さを信じたい実照であった。


 しかし、彼は指揮官。そう簡単に決断するわけにもいくまい。


 悩む実照ではあるが、それについては一旦保留し、まずは本題に移ることにした。


「和睦をしたいとは、一体どのような心積もりで?」


「うむ。吉兆様は本願寺から攻められているので自衛のために対処しておられるが、別に一向一揆を殲滅するつもりはないご様子」


 何とも大きく出たものだ。

 本気を出せばあの城を囲む一向一揆十万すらも殲滅できる。そう言いたげではないか。


「特に、吉兆様は加賀の一向一揆に対して何の恨みも憎しみも抱いてはおりませぬ。――もしも加賀の信徒が大人しくしているというならば、こちらからも当たるような・・・・・・攻撃はせぬと約束しましょう」


「……つまり、戦っているふりだけはすると?」


「そちらとしても、あの噴進弾(ロケット弾)が降り注ぐ中を進み、あの大河を越えて城を攻めるのは苦労するのでは?」


「…………」


 噴進弾とは、あの空を駆ける稲光のようなものの正体であるらしい。


 双方に利益のある申し出だ。

 城側からすれば防衛戦力を南側に集中できるし、こちらとしては義理立ててで参戦しただけの戦で信者を死なせなくてもよくなる。

 そしてなにより、米がない。腹が減った状態では信者の動きも鈍くなるし、そうすれば無駄死にも増えるだろう。


 そもそも此度の戦は大坂と吉兆教の争い。吉兆教と布教範囲の重ならない加賀とは何の関わりもない話だ。


 ……それに。

 本願寺――否、蓮淳が倒れる・・・可能性があるのだから、その時のために吉兆教とよしみを通じておくのは悪くない話だ。


「起請文でも用意させましょうか?」


 この時代の契約書は寺社が発行した護符の裏に契約内容を記し、破った場合は仏神による罰が当たるというのが一般的であった。


 しかし左太仁は首を横に振る。


「いらぬでしょう。これはあくまで秘密の和睦。大坂方に知られる可能性は低くしませんと。――なにより、吉兆様と約束を交わすのです。その意味、ゆめゆめお忘れなきよう」


「…………、なれば、そういうことで」


「えぇ、そういうことで」


 こうして、限定的な和睦は結ばれた。




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