第517話 閑話 下間頼言の決断
「……どうなっておるのだ?」
本願寺方の総指揮官・下間頼言は理解しがたい現実に歯ぎしりした。
淀城攻めを始めてから、5日。
城の南側に布陣した8万(とされる)信者を複数の部隊に分け、昼夜問わずの攻撃を命じている。それが、5日。籠城側は休む暇も寝る暇もないまま戦闘を続けているはずなのに、相手側の士気が崩壊する様子はない。
むしろ、こちら側の士気が著しく下がってきた。いくら他の部隊が城攻めをしている間に休めるとはいえ、城から鉄砲などの轟音が絶え間なく響いてきているのだ。しかも目を閉じれば悲惨な状態となった仲間の死体が思い返されてしまう……。とてもではないが安眠などできないのが現状であった。
ちなみに籠城側も休む暇なく戦闘を続けているのだが、定位置で敵を撃つだけなので城攻めをする一揆勢よりは体力的・精神的に楽であるし、食料も豊富。さらに言えばポーションや帰蝶による回復魔法によって疲れが根こそぎ取り除かれるのでまったくと言っていいほど疲れていないのが実情であった。
とある人工妖精はその容赦ない強制労働&強制回復に『人の心とかないんですか?』とドン引きしていたのだが……もちろん一揆側が知る由もない。
前線視察のために陣幕から出てきた下間頼言は、憎々しげに淀城――淀城の向こう側に対陣する加賀の一向一揆を睨め付けた。
「……加賀の連中は何をしておる?」
「はっ、船が大筒によって沈められ、城に近づくことすらできないと」
「ふん、そうか」
淀川は大河であるし、いくら万単位の兵がいようとも、それらが渡るだけの船を準備するのは容易ではない。兵を満載すればその分動きも遅くなるし、大筒で狙われれば船ごと沈められるだろう。
だが、新淀川はともかく、旧淀川に水はない。その分大河の川底がそのまま巨大な空堀となっているが、新淀川を渡るよりは簡単に攻められるはずだ。
だというのに、それをしない。
明らかに、加賀勢にはやる気がなかった。
だが、下間頼言は叱り飛ばしたりはしない。
同じ一向宗とはいえ、何代も前に別れた存在。自分たちの国が侵略されれば身命を賭して戦いもするだろうし、隣国に攻め込み自らの土地を増やせるときも同様だろう。
しかし、今の淀城攻めは、加賀の連中にとってはしょせん他人事。命を賭けても領地は増えず、城を落としたところで、十万の信者が略奪をすれば一人一人の利益など微々たるものにしかならない。――やる気がなくて当たり前だ。
(嘆かわしいが、是非もないか……)
法主様から直接説法を受けられる大坂ならばともかく、遠く離れた加賀の地。しかも、それぞれの寺が派閥を作り内紛を繰り返してきた。――進者往生極楽 退者無間地獄。そんなものを本気で信じている信者がどれだけいるものか……。
「…………」
頼言とて、本気でそんな妄言を信じているわけではない。証如様はどうか分からないが、本願寺の支配層も誰一人としてそんなことを信じてはいないだろう。ただ、信者を集め、本願寺の勢力を拡大し、自らが贅沢な暮らしをするために便利だから使っているだけで。
信者が自らの食料を削ってまで本願寺に寄進して。
報酬も出ないのに熱心な勧誘活動を行い。
いざ戦となれば命すら捨てて突撃をする。
……そんな彼らに、本願寺は何をできるというのか。
ただ富を吸い上げ、死地へと向かわせ、『極楽へ行けましたね』と手を合わせる。それだけで本当にいいのだろうか?
(……ふん、何を今さら迷うことがある? 今まで何人の信者を死地へ向かわせた? この血肉は信者から吸い上げた富でできておる。今さら、善人気取りをして迷うなど――)
「――見えぬ。何も見えぬ」
悩む頼言の耳に、そんな声が届いた。
ここは前線。必然的に信者の数が多くなるし、負傷者の数もまた多く見受けられた。金創医術(外科手術)の心得のある信者が治療に当たっているが、まるで足りていないのが現状であった。
夜襲を開始してから、目をやられる信者が増えてきた。城から照射される『光』によって目を焼かれ、何割かはそのまま視力が戻らないのだ。
それを避けるために信者たちはなるべく下を向きながら城を攻め立てるが、そんな状態でまともな戦果を上げられるはずもない。
おそらくはあの信者も目をやられたのだろう。目には薄汚い布が巻かれていた。
「のぅ、のぅ、目が見えぬ。目が見えぬ。もはやこの世には苦痛しかない。極楽へと行かせてくれ……」
懇願する信者の手を、別の信者がしかと握る。
「あぁ、任せよ。儂が城まで導いてやるのでな」
頼言には彼らの関係は分からない。兄弟かもしれないし、同じ村の出身というだけかもしれない。あるいは、戦場において絆を深めた赤の他人か……。
死ぬことのできなかった信者は、こうして苦しみ続けている。
死こそが救いであると、自ら死地へと向かおうとしている。
なんだ、これは。
こんな苦しみの先に、ありもしない極楽を求めているのか。
頼言の胃が何かに引っかかれたような痛みを発する。
「なもあみだぶつ」
「なもあみだぶつ」
信者たちが、証如様が祈りを込められたお札を手のひらで挟み、必死に念仏を唱えている。
そんなことをしたところで、極楽へなどいけるものか。
お前たちはこれから本願寺のために死ぬのだ。
証如様を軟禁し、齢10にも満たない顕如様を担ぎ上げる、あの老獪が実質的に支配する、本願寺のために……。
…………。
馬鹿馬鹿しい。
「……攻撃中止だ」
「は?」
頼言の予想外の言葉に、彼の側近である僧が眉をひそめる。
「蓮淳様のご命令はあくまで銀髪の女の確保。ここで信者をなだれ込ませて、自害などされては困る。――城を取り囲み、圧力を掛けろ。一月ほども籠城させたあと、銀髪の女の身柄を引き替えに和睦すればいい」
「……それもそうですな。信者たちは『女』とみれば襲いかかるでしょうし――。攻撃中止! 城に圧力を掛けるぞ! 夜には大きな音を立て、奴らを眠らせるな!」
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