第122話 信秀と妻。あとポンコツ


 家臣に宴の準備を命じたあと。

 信秀は杏林(医者)に改めて診断を頼んでいた。自身の感覚では病気など吹き飛んでいるのだが、専門家の意見も聞きたかったのだ。


 信秀の脈を取っていた医者が驚愕の声を上げる。


「なんと、にわかには信じられませぬ……。昨日とは別人と言われても納得できるほど。これであれば50を超えて齢を重ねることもできましょう」


「で、あるか」


 信長に後を任せるのはもう少し先になるか、と信秀はついつい喉を鳴らしてしまう。


 ――面白き女であった。


 たしかにあの阿伽陀アッキャダは素晴らしいし、平手らの報告を信じるならば他にも多くの“力”を有しているのだろう。


 だが、もしもそれらの“力”を持っていると知らなくとも、信秀は帰蝶を気に入ったはずだ。


 最初の名乗り。

 順当に『美濃守護代の娘』と名乗ればいいところを、そうしなかった。あれだけの重臣が居並ぶ中で、なおも家の威光に頼らず一人で信秀に向かい合う女……。面白いと思わずにいられようか?


「…………」


 何より恐ろしいのが。

 信秀ともあろう人物が、あのとき、あの場所で。会話の主導権を握られていた。


 普段は『うつけ』を演じて相手の調子ペースを乱し、自分の調子ペースに引きずり込んでしまう。


 やはりマムシの娘か、と信秀が呆れとも感心とも取れるため息をついていると――



「――殿! 殿は何処に!?」



 騒がしく襖を開けたのは妻である土田御前。夫の気色の良さを見て取った彼女は驚愕に目を見開き、すぐに表情を引き締めた。


「まずは、快方に向かわれていますことお慶び申し上げます」


「見ただけで分かるか」


「分かります。それに、あの女・・・であれば治しても不思議ではないでしょう」


「ほぅ、『嫁殿』に逢うたか……。奥から見て、どうであった?」


「……あやうく呑まれる・・・・ところでした」


「ほほぅ?」


「初めはものを知らないたわけた・・・・女だと思いましたが……。さすがはマムシの娘、自ら『うつけ』を演じるとは油断なりませぬな。最後には笑みを浮かべながらこのわらわを脅してきましたぞ」


「で、あるか」


 くっくっと信秀は喉を鳴らす。言葉遣いこそ不満げだが、妻の機嫌がいいことを察したためだ。

 周りにいる侍女は『奥方様』の命に唯々諾々と従うだけなので、久々に骨のある女と出会えて嬉しいのだろう。


 しかし、こんなにも早く『尻尾』を出すとは……。いくらマムシの娘とはいえ、やはりまだ小娘ということか。


 …………。


 いや、あえて・・・の可能性もあるか?


 その可能性に思い至った信秀が背に一筋の汗をかく。


 はたして。もしもあえて・・・だった場合、その狙いは何であろうか。

 普通に考えれば周りから侮られないためか、『姑』に対して牽制をしたといったところ。


 だが、自ら『うつけ』を演じられるあの女であれば凡俗からの評価など気にせぬであろうし、姑相手にしても、回りくどいことなどせず正面から叩き潰せばいいだけだ。


 となると、やはり夫となる信長のため……?


 信長の後ろにあれだけの女がついているとなれば、周りからの反応も……。


 信秀が思考の海に沈みかけていると――



「――お義母さまぁ!」



 ぴしゃーんっと。襖が荒々しく開けられた。そこにいたのはやはりというか何というか斎藤帰蝶であった。


「伝え忘れていましたがお腹の子供は『逆子』ですので! 出産の際はお気を付けください! もうすぐ陣痛ですが、私を呼んでいただければ迅速出張・安産確定・身内割引で産婆を勤め上げ――熱い!? プリちゃん体当たりしないで!? ノックしなかったのは悪かったと思っているから!」


 突如として現れたと思ったら、目に見えない“何か”にグリグリと頬を押される帰蝶。その勢いに、もはやどうやって土田御前のいる場所を知ったのかという当然の疑問すら湧いてこない二人であった。


 思わず顔を見合わせる夫と妻。


「……三郎は中々に愉快な嫁殿を見つけてきたものよな」


「……アレを『愉快』の一言で済ませるとは、さすがは殿、大器ですね……」


 深々とため息をつく土田御前であった。



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