第80話 少年は邂逅する
古来、河原は誰のものでもない非課税地であった。
ゆえにこそ災害や戦乱、貧困などによって税を払う能力を失った人々が住み着くようになったという。
蛇の道は蛇、というが。そういう場所であるが故、堺のような賑わいのある街では中々お目にかかれない人間が河原には集まっていた。
屠畜、葬送、刑吏役などの特殊な職業に従事する者や、ゴザも敷かずに寝転がる者、子供と身を寄せ合う女。食うに困っているのか痩せこけて餓鬼のように腹の出た者。熱に浮かされているのに誰も近づかず放置されている者……。
いいとこのお坊ちゃんでは決して見ることのない光景だ。乳母に育てられ、偉いお坊様から教えを受け、傅役に大事に守られて。後継ぎとして大切に育てられた男ではまかり間違っても知ることのない現実だ。
しかし信長は知っている。民に紛れ、民と共に踊り、民の苦しみに寄り添っているが故に。
信長は、ほんの少しだけ期待していた。
堺ほど発展した街ならば、飢えて苦しむ人間などいないのではないのかと。
けれども現実は非情であり。どれだけ豪商が金を稼ごうと、どれだけの貿易船がやって来ようとも貧民は貧民のままであった。堺が近くにあっても、こうして貧民は貧民として生きていかなければならなかった。
「…………」
どうすればいいのか、信長には分からない。
帰蝶から渡された銭を使えば、目に見える範囲の人間を飢えから救うことはできるだろう。
だがそれはしょせん一時的なこと。どう頑張ってもこれだけの人間を一月二月と食わせることはできないし、銭が尽きればまた飢えさせてしまう。
どうすればいいのか。
天下に武を布き、布いたあと、いったいどうすればいいのだろうか?
信長には知識がない。
平手に聞いても、父上に聞いても、
――あるいは、帰蝶に問えば……。
そんなことを考えていた信長は、ふと足を止めた。視界の端に掘っ立て小屋が映ったからだ。
正確に言えば掘っ立て小屋の前で偉そうにふんぞり返る少年と、側に控える初老男性に目を奪われたから。
「――ほほぅ! ここに噂の『人売り』がいるのか!」
人の目のある場所で、なんとも人聞きの悪いことを叫ぶ少年であった。
年齢は12~13歳くらいだろうか? この時代の人間にしてはガッシリとした体つきをしており、食うに困る立場ではなく鍛錬も欠かしていないことが察せられる。
発言こそ穏やかではないが物腰は落ち着いており、着ている服の生地から見ても高貴な身分であることは間違いなさそうだ。
と、そんな少年が信長の存在に気がついた。
「ほぅ! あれが音に聞く『かぶき者』であるか! 本当に珍妙な格好をしておるのぉ!」
珍獣を見るような目で信長を見る少年。知らぬこととはいえ、未来の第六天魔王(予定)に対して何とも剛胆なことである。
「なんだぁ、見世物じゃねぇぞ?」
一歩前に出て刀の鯉口を切ったのは『愉快な仲間たち』筆頭の犬千代。勝三郎(池田恒興)、新介(毛利新介)、左馬允(津田盛月)も次々に信長の前に出る。
しかし、平手と森可成はその場を動かず、むしろ信長の肩を引いて数歩下がらせた。
胆力のある少年。の、後ろで控える初老男性。彼から発せられる殺気が尋常ではないと気づいたからだ。
犬千代のような若武者が出す、触れる者をすべて傷つけるような殺気ではない。一見すると
だが、ある程度の実力を持つ者であれば静かに絡め取られるような、気づかぬうちに窒息させられるような殺気に気づくだろう。
少なくとも犬千代たちでは相手にすらならない。
こんな場所で信長を危険に巻き込むわけにはいかない。声を出すまでもなく意思疎通した平手と可成はいつでも――それこそ犬千代たちが『犠牲』になっているうちに信長を抱えてでも逃げる覚悟を決めた。
そんな二人の覚悟を読み取ったわけでもないだろうが……。尋常ではない初老男性が
無。
まるで夕凪のような、あるいは波のない湖面のよう。
それこそ、今までの殺気がわざとらしく感じられるほどに。
不気味なまでに殺気を消してみせた初老男性が頭を下げる。
ついでとばかりに少年の頭を掴み、こちらにも頭を下げさせる。
「突然の無礼な物言い、若様に代わりお詫び申し上げまする」
「む、無礼であったか? すまぬな、かぶき者――いや、変わった服装をした青年よ」
無理やり頭を下げさせられているのに怒った様子も見せずに少年も謝罪してきた。その様子に犬千代たちも不思議と毒気が抜かれてしまう。
と、少年が『愉快な仲間たち』や平手を眺め、最後に信長を見つめた。
「ほぅ、中々の益荒男揃い。これだけの
何とも偉そうな物言いに犬千代たちが殺気立つが、不思議と腹の立たなかった信長は素直に答えてやることにした。
「織田三郎信長である」
「織田……? ……ほぅ、なるほど。ではおぬしが『尾張のうつけ』であったか」
「わしのことを知っておるのか?」
「おぬしの父は朝廷や寺社にも多額の献金をしてくれておるからな。息子のことも自然と耳に入ってくるというものよ。……まったく、献金など本来は将軍家が率先して行うべきであるのに、情けないことよ」
やれやれと首を振ってから少年が改めて信長を見つめる。すべてを見抜くかのような不思議な瞳で。
「ほほぅ? うつけとは聞いておったが、人の噂など当てにならないものよな。これは今から
「……誼を結びたいのなら、まずは名乗るべきではないか?」
「はははっ、それもそうよな。我が名乗りで耳朶を震わす光栄、終生の誉れとせよ」
相も変わらず偉そうに腕を組みつつ、少年は名乗りを上げた。
「――余は室町幕府第13代征夷大将軍、足利義輝である!」
「…………、……はぁ?」
思わず変な声を上げてしまう信長であった。
残念ながら。
今この場に
※この時点だと『義輝』じゃなくて『義藤』なんですけど、ややこしいし大半の人が分からないと思うので義輝で統一させていただきます。
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