第81話 剣豪将軍 足利義輝



 第13代征夷大将軍、足利義輝。

 信長も、犬千代たちも、その名乗りを信じなかった。


 たしかに『足利義輝』は現在13歳であり、目の前の少年と同い年くらいだろう。


 だが、『天下諸侍の御主』が護衛も引き連れずにこんな場所にいるはずはない。いくら細川一門の争いによって京都から追われているとはいえ、それでも紛れもない将軍。動員兵力だって3,000名はいるはずなのだから。


 良くて僭称。悪くて妄言。犬千代は訝しげな顔を隠そうともしていないし、信長などは生暖かい目で『自称義輝』を見つめている。


 ちなみに事態を見守っていた周りの人間も信じた様子はない。この場には自称始皇帝の子孫や自称天照大神の化身、自称卑弥呼の生まれ変わりなどの奇人変人変わり種が集まっているのだから。


 しかし、

 義輝の背後に控える初老男性の実力を見抜いた平手政秀と森可成は、もしかしたらという思いを否定することはできなかった。あれだけの実力者であれば『お忍び』の護衛としては十分すぎるのだから。


「……若様」


「お、そうであったな。お忍びなのだから自己紹介してはならぬ、と」


 はははっと悪びれた様子もなく義輝が笑う。その様子に信長は『もしや、』と考えを改めた。


「……その『公方様』は、このようなところで何をしておるのだ?」


 本物かもしれない。

 だが、偽物の可能性も否定しきれない。

 そのような微妙な状態における『公方様』という敬称と、乱雑な言葉遣いであった。


「うむ、この小屋の中で人を売っていると耳に挟んでな。やはり将軍ともなればそういう闇の部分も知っておかなければなるまい。というわけで実際に足を運んでみたのよ」


「……将軍自ら斯様な場所に来るとは、なんとも剛毅なことであるな」


 と、自分のこと(帰蝶の噂を聞いて敵国である美濃に密入国。挙げ句の果てにクマに襲われる)を棚に上げて呆れる信長であった。


 そんな信長に対して、なぜか義輝は自信満々に胸を張る。


「家臣からの報告を聞いているだけでは道を見誤る。自らの眼で光を見て、闇を見て、その上で思考を重ねなければ良き施政者になれない。とは、我が師の教えである」


「…………」


 信長が感心しているうちに義輝は小屋の扉を開け、中に入った。


 義輝の言葉に感じ入った信長も、『闇』を見るためにそのあとに続いたのだった。



           ◇



 小屋の中には主らしき初老の女と、護衛らしき男、そして複数の女性がいた。


 年若い者。それなりに年齢を重ねた者。まだ子供と呼べる者……。幅広い年齢の女性が並んで座っているが、『売り物』としての価値の問題か、老境にある者の姿はなかった。


 小屋に入ってきた信長たちの姿を見て女性たちが恐怖をその顔に浮かべるが、逃げる様子はない。

 いいや、『手を縛られているので逃げたくても逃げられない』と言った方が正確だろうか。


 突如として入ってきた10人近い男性。しかも幾人かは『かぶき者』であり、腰に刀を差している。

 明らかに危険な状況。

 だが、この小屋の主であろう女性は動じることなく煙管をくゆらせている。いくら護衛がいるとはいえ剛胆な態度だ。


「いらっしゃい。うちは女衒だが、廓(遊郭)じゃないよ。一晩の相手探しなら堺にでも行っておくれ」


 女衒。

 身売りした女を遊郭などに売り渡す職業。むろん人身売買である。


 森可成や犬千代などは津島の遊郭で遊ぶことも多いし、誰もが望んで春を売っているわけではないことは知っている。


 だが、良くも悪くも潔癖なところがある信長や、妻煕子を愛する光秀はその光景に明らかな嫌悪感を抱いた。


「――女」


 と、信長がこの小屋の主であろう女に詰め寄った。


「おぬしはこの者たちを遊郭に売るのか?」


「えぇ、えぇ、そうなりますねぇ」


 どこか人を食ったかのような女の物言いを受け、信長の頭に血が上る。


「この者たちは攫ってきたのか? 無理やりに連れてきたのか?」


「はぁ、へぇ、勘違いしないで欲しいのですがねぇ。攫ってきたわけでも、無理やりに連れてきたわけでもないのですよ」


「縄を打っておいて、とぼけたものよな」


「それはそれは、この女たちが自らの『業』を理解せずに逃げだそうとしているからですよ」


「業、とな?」


「えぇ。この女たちは借りた金を返さなかった。取り立てようにも農地はない。家もない。家財も布もありゃしない。となれば自分の身体で返してもらうしかないでしょう?」


「…………」


 信長が刀の鯉口を切る。


 だが、そんな彼を平手が止めた。


「信長様。なりませぬ」


「爺。このまま女たちが売られるのも黙って見ていろと申すのか?」


「借りたものは返さなければなりません。それがたとえ暴利でも、分かっていて借りたならその者たちが悪いのです」


「日照り。豪雨。冷害。人の身ではどうしようもない理由もあろう? 銭を借りなければ飢え死ぬしかない場合もあろう? それでもなお、返せない方が悪いのか?」


「高利貸しを禁じる法はありませぬ。むしろ、高利貸しからの税(土倉役・酒屋役)が幕府の大きな収入源となっておるのです。徳政令によって一時しのぎをすることはあっても、禁じられることはこれからもないでしょう」


「……では、どうすればいい? どうすればいいのだ?」


「…………」


 信長の問いかけに平手は答えない。――すぐ近くに『室町幕府征夷大将軍』がいるがゆえに。


 だからこそ。

 平手は目で語る。



 ――今の秩序が民を苦しめるならば、そしてそれを許せないないならば、新たなる秩序を打ち立てるしかないと。



 平手の想いを、信長は正確に受け取った。


「で、あるか」


 信長は深く頷いてから女衒の女主に向き直った。


「……ここの女たちをすべて買うとしたら、いくらだ?」


 今この女たちを救ったところで大した意味はない。借金に苦しむ民は日の本にあふれかえっているし、今まで売られた女性や、これから売られる女性をどうにかできるわけではないのだから。


 理屈では分かっている。織田信長とは生来頭が良く、合理的思考のできる人物だ。目的のためなら犠牲を厭わない非情さや、慣習に囚われない心の強さも持っている。


 分かっている。

 分かってはいるのだ。


 だが、少年信長は、見て見ぬふりなどできなかった。


「……ははぁ、」


 突然の申し出に、しかし女は驚きもしない。


「へぇ。上玉も揃っていることですし、10貫文(約100万円)でいかがでしょう?」


「ふざけた値段だ」


 鼻を鳴らしつつも信長は犬千代に指示をして、持たせていた銭を女に支払った。


 無論。帰蝶から渡された銭である。



 妻(予定)から渡された銭で、女を買う。



 もしかして、わしは殺されるのではないか? と、今さらながら背筋に冷たいものが走る信長であった。


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