第17話 治療in茶屋

 空になった茶碗の前で腕を組み、私はしんみりとした声を出した。


「プリちゃん。私は大切なことを思い出したよ」


『はぁ、』


「初志貫徹。初心忘るべからず。人間、最初の謙虚さを忘れずに――」


『端的に言いますと?』


「――味噌と醤油、あと白米が恋しいでござる」


『……この時代にも味噌はありますね。味噌があるのだから醤油も作れるでしょう。白米も食味は劣りますが少量存在しているはずです。ただし精米技術が未熟なのでそれを何とかしないといけませんが』


 ため息をつきながらもちゃんと解説してくれるプリちゃんだった。素敵ー。結婚してー。


『主様はちょっと……友達としては良くても結婚相手としては……』


 真顔ならぬ真声で断られてしまった。解せぬ。こんなにも美少女だというのに。


『そういうところです』


 こういうところらしい。


「う~む、となると病院と薬局が一段落したらお米作りと醤油造りかな?」


『数百年レベルの引きこもりとは思えない行動力ですね』


「数百年? HAHAHA何のことか分からないなー。なぜなら私は永遠の15歳だから!」


『…………』


 プリちゃんの無言の圧力に押しつぶされそうな私だった。


 店員の津やさんが暇そうにしていたので雑談することにする。お客さんも一人だけだし。


「そういえば、噂より愉快とか何とか言っていましたけど、私ってそんなに噂になっているんですか?」


「そうだねぇ。道三様が山姥を連れてきたとか、九尾の狐に誑かされたとか、夜な夜な男を部屋に連れ込んでいるとか、かね」


「それはひどい」


 名誉毀損で訴えなければ。


『この時代にそんな法律はありませんが』


 ボケに対して真面目に突っ込まれてしまった。


 津やさんはとてもとても楽しそうな顔をしていた。これは、アレだ。近所の噂好きなオバサンと同じ顔をしている。いつの時代もどこの世界にもこういう人はいるものなのだ。


「いい噂は医術の達人であるとか、密教を究めて奇跡を起こすだとか、金払いがいいので『鴨』なりそうだ、とかかね」


 おい最後。どこの商人だ。


 商人で一番最初に思いつくのは生駒の家宗さんだけど、彼以外にも何人か商人と付き合いがあるので家宗さんではない。と、信じたいところ。いやまぁ鴨扱いでも欲しいものが手に入ればそれでいいのだけどね。ぐすん。


「で? どこまで本当なんだい?」


「医術、というより治癒術は習得してますね。密教は空海?くらいしか知りません。……金払いがいいのも事実ですかね」


「やっぱり銭もあるところにはあるんだねぇ。治癒術ってのはどんなものなんだい?」


「それはですね――」


 説明しようとしていると店の奥、おそらくは調理場からなにやら大きな音が響いてきた。何かが割れる音に、大きなものが倒れる音。そして、うめき声が聞こえる気がする。


「あんた、どうしたんだい?」


 津やさんが店の奥に引っ込み、すぐさま『あんた! しっかりしなさい!』と緊迫した声が聞こえてくる。


 騒ぎを聞きつけたのかお客さんや街の人たちも店の奥に視線を送っていた。


 緊急事態っぽいので少し失礼して店の奥へと移動する。

 割れた陶器。転がった桶。それらと一緒に中年男性が倒れていた。津やさんが身体を揺さぶるけど呻きしか返ってこない。


(痙攣。左半身のしびれ。ろれつも回っていない……脳梗塞かな?)


 この時代ってそんなに贅沢な食事はできないだろうし、生活習慣病にはならなそうなものだけど。


『高塩分で、低蛋白、低脂肪食ですからね。健康的とは言えないでしょう。この時代の日本人は食事のたびに飲酒していたという記述もありますし』


 プリちゃんの解説に納得しつつ、私は中年男性のすぐ近くに正座した。そのまま彼の頭を膝の上に乗せる。いわゆる膝枕だ。


 戸惑う津やさんに微笑みかけてから私は男性に治癒魔法を掛けた。血管が詰まる前まで時間を巻き戻すだけなので比較的簡単な治療だ。こういうところは西洋医学より優れていると思う。

 逆に、何年もかけて病魔が進行した場合には治癒術での完治は難しいので一長一短だったりする。


 簡単=余裕があるので、私は雷魔法の応用で神々しい光を周囲にまき散らしつつ風魔法で髪の毛を揺らめかせた。


『また無駄な演出を……』


 プリちゃんが呆れている間に治療は終了。津やさんは目を見開いて驚愕し、男性は痛みが消えたのか安らかな顔をしている。


「え、えっと、夫は助かったのかい――ですか?」


 津やさんがたどたどしい敬語で尋ねてきた。その様子に苦笑してしまう。


「今まで通りの口調でいいですよ。今さら敬語にされるのは寂しいです」


「そ、そうかい?」


「ご安心を。この人はもう大丈夫ですよ。ただ、不養生しているとまた再発してしまいますから、まずは食生活から変えないといけないですけど」


「しょ、しょくせいかつ? それは一体なんだい?」


「ええっとですね――」


「あ、ちょっと待ってくれ。……ほら、あんた! いつまで寝てるんだい! あんたのことなんだからちゃんと起きて聞きな!」


 べしべしと夫の身体を叩く津やさんだった。何という肝っ玉母ちゃん。治癒術だから問題はないけど、普通の病み上がりの人間にはもうちょっと優しくしてあげて欲しいところだ。


 津やさんからかなり強めの力で叩かれているのに夫さんは立ち上がる気配がない。それはつまり、私の膝の上に頭を乗せ続けているということで。


 その鼻の下はだらしなく伸ばされていて、太ももの感触を楽しむかのように頭を左右に動かしている。


「おぉ、何という柔らかさ。これが涅槃か……」


「…………」


「…………」


 氷点下の目で夫を見下す津やさんと私。これだから男ってヤツは……。


 津やさんは無言のまま夫さんの胸元を掴み、乱暴に立ち上がらせた。そのまま彼の身体を支えるために寄り添う――ように見せかけて腕と足を夫さんの身体に複雑に絡ませた。


 偶然か、必然か。その技の名前はコブラ・ツイスト。もちろんこの時代にそんな技も名前も生まれていないはずだけど、やり方が合っているならば相応の効果は生まれるものであり。


「いだ!? 痛だただたただっ!?」


 夫さんの絶叫が室内に響き渡った。私の膝は高いのだ。ざまぁみろ。


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