第3話 銭湯にて

 銭湯。それは身も心も清められる至高の場所。大きな浴場で足を延ばすこともできる古の勇者がもたらした文化の一つだ。


 彼がこの世界に訪れるまでは湯の入った桶とタオルで身を清めることが最も贅沢な身の清め方だった。当時の世界では伝染病や感染症が常に人々の頭をもたげ、時には争いに発展していた。

 しかし、古の勇者が喧伝した文化の一つ、銭湯とそれに付随した衛生観念というのは国内のみならず、世界中に衝撃を波及させた。


 この文化が広く浸透すると病や怪我による死亡者数は格段に減り、今まで以上に税収は向上した。特に伝染病や感染症の伝播を阻止する手助けになった。そうはいっても従来の病気の多くは症状を多少抑えることができるが、根本的な回復にはつながらず、医者や薬師といった存在は以前重要視されている。

 

 古の勇者は魔王を討伐するだけでなく、文化的な側面からも人々を救った。彼は広めた文化を自分の手柄にせず、民に還元されるようにしたともいわれている。そんな古の勇者だからこそ、今でも人の鑑として尊敬の念を民から送られている。かくいう俺もその一人。この素晴らしき銭湯を庶民にも味わえるようにしてくれた古の勇者には感謝しかない。


 古の勇者への感謝を胸に、今日も銭湯にやってきた。入り口にある暖簾という垂れ下がった布を押し上げて銭湯の受付に向かう。


「大人の男一人分で頼む」


「400円だよ。よく来るからわかってると思うけどね」


 そう銭湯の番台は返してくる。というのも家を建てる以前はヒルドを活動拠点として冒険者をやっていた。4年程度は宿屋暮らしで毎日銭湯に足繫く通っていた。そのころから番台は変わっていないので、常連として顔を覚えられているのである。銭湯の入り口で多少の金を払い、男女左右に別れる。


 俺は当然男湯へ向かう。古の勇者の世界には混浴という男女でともに入る文化もあるにはあったと言われている。だが、わかりやすい揉め事の種でしかない。そのため古の勇者は銭湯を作成する当初から男女別で作成させたのだろう。


 男湯の入り口をくぐると数人の男性と衣服を入れる籠が目に飛び込んでくる。今日は空いているみたいだ。人が少ないほうが銭湯を心行くまで堪能できるので俺にとっては好都合だ。

 衣服を脱衣用の籠に放り込み、タオル片手に風呂場へと向かう。


 風呂場に入ると、大きな浴槽と人が数名、それに洗い場がある。予定外のことで街に来たが、風呂にはいれるのは唯一の良かった点だ。石鹸を泡立てながら体を清めていく。一通り洗い終え、待望の浴槽に入る。やはり足を延ばせるのは素晴らしい。体を芯まで温めていると、同じ浴槽に浸かる人物が声をかけてきた。


「おや、タルバ。まだヒルドまで来ないと思っていたのだが、何か急用でもあったのかい?」


声をかけてきた男は俺が会いたくなかった冒険者の一人、レルバだった。運が悪かったと思うしかなさそうだ。


「ちょっと人を案内してな。ミッド大山脈あたりで人が遭難していたから、たまには人に優しくするのもいいだろうと思っただけだ」


そう返答するとレルバは怪訝な顔をした。


「冗談よせよ。お前がそんな優しい人間じゃないだろう。そんなもの見かけただけなら見捨てているはずだ。大方案内せざるを得ない理由ができたんだろう。貴族とかな」


 めんどくさいな。俺が冒険者としてどのような判断をするかなど何度も依頼を共にこなしたこいつにはさすがに気づかれるか。しょうもないことでいつも絡んでくる割に、記憶力や判断力は十分に高い。だからこそ、こいつにはあまり会いたくないのだ。余計な依頼に巻き込んでくるからな。


「まぁそんなところだ。詮索はしても無駄だ。相手について大して知らないからな。それにお前はなぜこの街に?以前聞いた依頼は当分かかると踏んでいたが」


「依頼が取り下げられたんだよ。依頼主からは多少なりとも報酬が支払われたが、大してもうけもなくなっちまった。そんで仕方なく引き返してきたわけ」


「護衛依頼の最中に取り下げるってのはわけがわからないな。護衛対象は途中の町においてきたのか?」


「あぁそうだ。王都でなにかあったらしい。依頼主は貴族だったからな、何か情報を耳にした後急いでどこぞの騎士団に引き継がれたってわけよ」


「なら仕方ないな。庶民は貴族に振り回されるものだ」


「それよりもお前暇なら依頼受けろよ。そろそろノルマやばいんじゃねーの?」


「それなら今日早速受けてきた。盗賊討伐とかな」


「お前がわざわざ盗賊討伐ねぇ。まぁ楽してノルマ稼ぎにはちょうどいいか。お前にとっては」


「今回はそこそこの人数で赴くからな。ガナーシュ辺境伯領内の冒険者ならそうそう負けるまい。俺はサポートにでも徹していればそれで済むだろう」


「そりゃこの領の荒事を担うやつらは皆精強だからな。騎士団、冒険者問わず」


 そうガナーシュ辺境伯領の騎士団、冒険者は他所とは一線を画する。こと戦闘力だけを見ればガナーシュ辺境伯領だけで小国に匹敵する。騎士や冒険者は常日頃から辺境で魔物や盗賊を相手取ることが多い。その経験が合理的な戦闘方法の研鑽に繋がっている。中央貴族どもの勝ち方や見栄えなんて役に立たないものをそぎ落とした無駄のない強さ。それこそガナーシュ辺境伯領と他所の違いである。


「俺は後方支援に徹するとしよう。戦ってもほかのやつらほど強くはないからな」


「それは残念だ。お前も十分強いと思うがね。異名なんて誰にでもあるわけじゃないからな」


「好きでついた異名ではないからな。それに英雄に憧れるのは馬鹿な奴だけだ。英雄の負の側面を見ない奴だけが英雄を目指すんだ。そうやって使いやすい傀儡が量産されるんだ」


「これまたひねくれてるね。お前ももう少し頑張れば2等級なんてすぐになれるだろうに」


「俺は立身出世には興味がないんだ。それに今の生活に満足している」


 そう言い残すと俺は浴槽から上がった。くだらない話に付き合っている間に混んできた風呂場は人の喧騒に包まれていった。


 脱衣場で着替え、銭湯をあとにした。日も落ち、星がよく見える時間になっていた。宿屋に帰る道中はレルバの言葉が脳を反芻して離れない。

 俺は英雄なんて望まない。栄達は身を滅ぼす。全てを従え、なんでもうまくいくなんて都合のいいことは起きないんだ。古の勇者にも無理だったのだから。



――――――――――――――


 時は戻ってタルバが去ったあと。浴槽に浸かるレルバは一人、タルバとの出会いを思い出していた。あいつとの出会いはただ名前が似ているから絡んでみただけだった。今と変わらずあいつは驚くほど捻くれた男だった。


 しかし、捻くれた性格とは対照的にあいつの仕事はきっちりしていた。誰よりも丁寧で失敗しない。あいつは会った時から冒険者仲間やギルドの職員が特別視されていた。今や2等級の俺ですらあいつには期待しているのだからそれも当然だろう。あいつは冒険者になったころから滅多に失敗をしない男だったといわれている。些細な依頼の失敗はあれど、人命にかかわる際には必ず成功に導く。


 徹底した情報収集と知識、経験に裏打ちされた実力。高い依頼の達成度。数多の死線を潜り抜け、いつしかあいつには異名がついた。純粋な戦闘力が高いわけではない。にも拘らず死なない。依頼で一緒になった冒険者すら窮地において致命傷を受けずに死なない。冒険者ギルドの記録において、彼と依頼に同行する人間はいまだかつて死傷者0人。

ついた異名が「不死のタルバ」。

ここら辺の冒険者関係の人間は誰もが知っている。偶然だとも皆わかっているが、いまだに死傷者は出ていないのだからタルバにあやかりたいと思う奴らも一定数いる。


「だがなんで冒険者として大成したくないのかさっぱりわからんな。少なくとも2等級にはなれるし、他所の領に行けば重宝されるだろうに」


 タルバは冒険者として成功することに興味がないことは本人がよく言っている。何が原因かはわからないが少なくとも俺が会ったころにはその気がなかった。


 だがそれなら冒険者を続ける意味が理解できない。人間の若い時間というのは有限だ。何かを極めるには若い時分から取り組む必要がある。その若い20代を捨て、なぜ冒険者を続けるのか。タルバは何を目指しているのだろうか。タルバは冒険者で大成することができるがそれをしない。あいつが潜り抜けた死線は依頼に同行した同業者たちによって歌や物語の題材にすら使われているのに。

 本人が今の環境を望んでいる以上は変えようがないのだろう。


「本当に捻くれた男だ。生き方も、その見かけによらない結果も。だからこそつい絡みたくなってしまうんだがな」


 どう考えても真意がわからない以上、いつもと変わらない結論を口に出してレルバも湯船から出た。

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