ex レイ3

 暖かな寝床から体を起こす。まだ日が出始めたくらいの早朝。家主のタルバはまだ寝ていた。私が早起きしただけであって、今のところ彼が寝坊しているわけではない。


 窓から外を見ると昨夜の吹雪は止んでおり、空は雲一つない青空だった。雪の重みに耐えかねた木々の枝から雪が自然落下する。一塊の雪が落ちることで静けさが支配する麓に衝撃音が響く。


 外には誰もおらず、見渡してみても動物の姿も見えない。ましてや魔物の存在もなかった。私はこれから王都まで旅立たないとならないため、いつでも出発できるように体を温めることにした。とはいえ、雪の上で行える鍛錬などたかが知れている。私が持ってるものなど腰に帯びていた剣を素振りするくらいだろう。その程度であれば迷惑にもなるまい。私は邪魔にならない程度に防寒具を身に着け、外に出る。


 ドアから外に出ると冷たい空気を肺一杯に取り込む。街中で吸う空気とは一味違う、澄んだ空気。息一つで私が人里から離れたミッド大山脈の麓にいることをまざまざと理解させる。家から5メートルほど離れたところで足場の雪をしっかり踏み固める。たとえ転んだとしても雪がクッション替わりとなって怪我しないだろうが、注意を怠らないことは大切だ。それに危険性を見過ごすような癖がついてもいけない。昨夜積もったばかりの乾燥した雪が踏まれて音を鳴らす。


 2分ほどで足場の雪を固め終わると、さっそく素振りを始める。丁寧に教えてもらった型をなぞる。

記憶にある剣術の師匠はいつも型をなぞるところから鍛錬を始める。両手をきちんと剣に添えてゆっくりと振り下ろす。少しずつペースを上げて、体を温めていく。縦に斬り、袈裟斬り、逆袈裟、右薙ぎ、左薙ぎ、切り上げ、刺突という形で大まかに教えられた型に剣を振るう。


 家の方角から視線を感じて振り向くと、タルバがこちらを見ていた。頭が寝ぐせで爆発し、まだ寝ぼけていそうな顔だった。どうやら起こしてしまったようだ。できる限り音を鳴らさなかったのだが、雪を踏み固める音が聞こえてしまったのだろう。軽く汗をかいたちょうどいい具合のところで鍛錬を終える。家に戻り、タルバに話しかける。


「すまない。起こすのも悪いと思って勝手ながら外で訓練していたのだが、起こしてしまったようだな」


「おはよう。そう思うのならやらないでくれよ。ここは都市や街中ではないんだ。いつでも外敵が来てもおかしくはないんだぞ。まぁほとんど来ないけど」


 開口一番に挨拶をすべきところを謝罪の気持ちが先行してしまった。それにここは街中や軍のキャンプ地ではないのだ。ここの危険性は彼が一番詳しいと言える。朝から注意されてしまい、気持ちが少し沈む。


「迂闊なことをしてしまい、申し訳ない」


 改めて謝罪の言葉を述べる。昨日思いがけない助言をもらえたことで自分の進む道が開いたように舞い上がってしまったようだ。警戒をしていたとはいえ、私と彼しかいない以上、魔物や敵に襲われでもしたら危害は彼にも及ぶ。本来は私の周囲には護衛がいるため危険は少ないが、今は誰もいないのだ。今まで気にしなかったことも一人でいる以上気を配らなければならない。


「とりあえず朝飯にするか。朝飯は昨日の残りと穀物を固めたものだ」


 彼はそう言って台所に向かっていった。すぐに戻ってくるとクッキーのようなものが出される。見たこともないクッキーだ。見た目は激しく凹凸があり、街で売られているようなきれいに成型されたクッキーではないことがわかる。どこのクッキーだろうか。


「ありがたくいただこう。それで私はヒルドに向かう予定なのだが、貴様にもついてきてもらいたい。昨日で実感したが、吹雪くタイミングの判断や雪での視界不良を考慮すると私一人ではたどり着けないと判断した」


 形はともかくクッキーの見た目をしているのだからクッキーなのだろう。世話になっている身で飯まで出してもらったにも拘らず、見た目が悪いから食べれませんなど口が裂けても言えない。礼を述べてから今日の予定を話す。急な頼みになってしまったが、私一人ではまた同じようなことになるのではないかと思い、保険をかけたかったのだ。


「わかった。朝飯を食べ終わってから準備してヒルドに向かおう。ちょうどヒルドに用事があって行くつもりだったからな」


 彼の返事に胸をなでおろす。私が貴族ではないと告げている以上、平民が貴族からの頼み事という名の命令をされることとは違い、断ることができる。私は王族と言ってもないのだから、断られたら潔く身分を明かすしかなかっただろう。王族といったところで証明できるものは王族しか持つことのできない魔道具ぐらいだろう。それも信じてもらえなければ、もう私に打つ手はなかった。


 1時間後に準備を終えたタルバとヒルドへ歩き始めた。私は不慣れな雪道を歩くことに必死で、思いのほか深く沈み込む雪に足を取られる。昨日歩いていたときとは深さがまるで違う。一方でタルバはこともなげに歩いている。彼の歩いた場所は私の歩いた足跡とは違い、まるで最初から固められた場所を歩いたような綺麗さがあった。

 彼の歩き方を真似しながら、意識して足を垂直に降ろす。なんとかタルバと同じペースで歩く。私は雪の上すらまともに歩けないのかと情けなくなる。前を向いていたタルバが不意に質問してきた。


「そういえば聞いていなかったが、最終的にどこに向かう予定なんだ?」


「王都まで行く予定だ。詳細は軍務規定に抵触するため教えることが出来ない」


 私は目的は隠しながら、目的地について話す。軍人は軍務規定に縛られることは事実であるし、仕方ないと思ってくれるだろう。どのみち私は身分も本名も偽っているのだから、教えても襤褸ぼろが出るだけだ。


「そこまでは聞くつもりはなかったよ。それにしても王都か、ヒルドから行くにしても乗合馬車で行くしかないだろうから大雑把に見積もっても4日程かかるだろう。そこまで一人で向かうつもりか?」


「乗合馬車を使う気はない。場合によっては冒険者を雇うつもりではあるが、出来る限り早く到着することを考えると冒険者が依頼を受けるまでの期間を待つのは無駄だ。ヒルドはガナーシュ辺境伯の納める土地で、代官がいるはずだ。その代官に話を通して協力を得ようと考えている」


「そうか。冒険者に依頼を出すには時間と手間がかかるし、代官に話を通せるのであればそちらのほうが早いだろう」


 今回の場合事態は急を要する。ただの平民が使う乗合馬車を使っていれば時間がかかってしまう。冒険者を雇うにしても集まるまで待たされる。それならば最初からガナーシュ辺境伯に頼る選択が最速だ。私はこれでも王族なのだ。雪に足を取られるみっともない姿しか晒していないが、それでも本来はどのような形であれ敬われる立場なのだ。


 先ほどの会話以降私たちは無言でひたすらヒルドに向けて歩いた。私が話下手なことや話せないこともあるため、押し黙ってしまうのは仕方ないだろう。逆にタルバはタルバで自分のことを全く語らない。冒険者といえば自分の功績でも自慢したがるものだと思っていたが、そうでもないようだ。針葉樹の林を抜けると、遠くに街並みが見えてきた。


「お、やっと見えてきたか」


「どうやら無事にたどり着けたようだな。礼を言う」


「いやいや、別に気にすることじゃないよ。お前も軍の命令で動いているんだろうし、協力を拒む理由もないしな。戦争をやっている方向が俺の家と被るし、どのみち戦況の把握を行う必要があったからな」


「あとは各々やることをやるとしよう。私は代官の元に向かう。お前はどうする?」


「俺は冒険者ギルドに顔を出しておくよ。これでも一応冒険者として登録しているからな。良さそうな依頼をこなして、ノルマを達成しておくとするよ」


 どうやら彼はノルマをまだクリアしていないらしい。ノルマといってもいくつか依頼を受けていれば冒険者を継続する意思があるとみなされるはずだ。ということは彼が冒険者として最低限の依頼しかこなさないようにしているのだろう。異名まで持つ彼がどうして有名でないのかやっとわかった。

 

私のような王族であっても冒険者という存在は華があり、憧れる存在だ。自由に旅して見たことのない魔物と戦い、世界中を自分の目で見て回ることができるのだ。古の勇者も元々は冒険者として活動していたともいわれている。また冒険者とは貴重な素材の収集や危険性の高い魔物の討伐などで国から依頼を出すこともあり、王族であっても関わりがある。


 特に有名な冒険者の代表格には美しき天才双剣士の『紅』や山を吹き飛ばした逸話で有名な『怪物』、雷を宿した剣を振るう『雷剣』、すべての魔法を操ると言われる『導師』などがいる。有名な冒険者はみな異名を持っている。2等級以上になってくると、危険度の高い依頼も多いことから彼らの特徴や姿を基にした自然と異名が囁かれるようになるのだ。異名がついた冒険者は各地で依頼をこなすことも相まって、自ずと浸透していく。異名を持たずに広く知られている冒険者やパーティももちろん存在する。


 王都に住んでいる私はタルバのことも異名のことも聞いたことがなかったのは、タルバが最低限の依頼しか達成していないからだろう。またミッド大山脈の麓に居を構えていることから冒険者には珍しく一か所に留まるタイプということも相まって広まらないのだろう。彼の情報とノルマ未達のことから彼が冒険者として上を目指していないのは明白だった。王都に戻って時間が出来たら彼のことを調べてみよう。そして自慢しよう。辺境に住む『不死』の冒険者に出会い、王都の誰もしたことがない助言をしてくれたと。


 ヒルドの門が見えてくると次第にタルバとの別れも迫ってくる。身分も詳しく明かしていない私に大変よくしてくれた。彼がいなければ死んでいたも同然であるため、命と一宿一飯の恩はいつかなんとしても返そう。彼が王都に来ることがあれば便宜を図るのもやぶさかではない。


「さて、そろそろ門だな。お互い身分証には困らないだろうから、とりあえずヒルドに入ろう」


「そうだな」


 お互い門番に身分証を提示し、それぞれがヒルドの門をくぐる。私は門番にドーガからの伝令で来ていること、身分を明かし代官に協力してほしいことを伝え、人を遣ってもらった。


「それじゃ、俺は冒険者ギルドに向かうわ」


「わかった。色々と世話になった。感謝する。いずれこの恩は返させてもらう」


「大したことしてないから気にするな。それじゃ、またいつかな」


 ヒルドの門を潜り、十字路で彼と別れる。代官の館へと早歩きで向かう。ここからは一人のただの人ではなく、王族として堂々と振る舞わなければならない。失ったものは多かったが、得るものもあった。私は散っていった仲間のために、今後の国のために前に向かうのだ。たとえ父のような王になれないとしても、どれだけ無能と蔑まれようとも自分なりのやり方で王族として軍人として生きていく。


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