ex レイ1

「レイベル様、お逃げください」


共に戦争より帰還するはずだった臣下の叫び声が辺り一面にこだまする。私たちはドーガでの防衛線を守り切り、王都へと帰還する復路で撤退したはずの敵兵が襲撃してきた。気を抜いていたわけではないが、突然の出来事に体がこわばる。


「レイベル様、こちらです!」


 他の臣下に連れられ私は敵から離れる。30分ほど逃走を続けた。私付きの第3騎士団団員と護衛騎士たちは私を守るために足止めに徹した。足止めに残った兵士たちの半数が相手と討ち死にしたと報告を受けた。どうやら相手はドーガを攻略することが出来なかったために、戦場の情報をベゼル王国に与えないように私たちを追ってきたようだ。


「レイベル様、敵は全滅。現在部下を偵察に当たらせていますが、敵影は見えません」


「レイベル様、我らベゼル王国第3騎士団の護衛15名が死亡。5名が致命傷であったため、介錯しました。また今後どのように動くか話し合う必要があると考えます」


 今回の遠征で私についてきた王族付きの護衛騎士と第3騎士団団長は現状の報告と今後の行動指針について進言を受けた。どのように動くにせよ、王国に帰還するにはミッド大山脈の谷間を進まなければならない。本来、ミッド大山脈は人の背丈以上を優に超える積雪によって初冬の時点で通行止めになっている。だが今年はくるぶし程度の積雪であり、ドーガ方面からいつ敵国の兵士が襲ってくるか不明なため、ミッド大山脈の谷間を抜ける無謀な策は現実的な選択肢として残されていた。


「まず部隊の再編制を早急に行い、その後食料、医薬品、装備の確認を行え。ミッド大山脈の谷間を抜けるつもりだ。今年の積雪量であればまだ通れるはずだ」


 臣下たちに指示を出す。現状の人的資源と物的資源がどれだけの損害にとどまっているかを確認しなければならない。ドーガに補給に行った場合、再度襲撃に遭う可能性を考慮すると引き返すことは厳しい。そうなると、現状の物資でミッド大山脈を通らなければならない。


 食料は魔物を狩れれば多少なりとも賄えるだろう。今年のミッド大山脈の異常気象によって通常冬籠りしている魔物も散見されたからだ。だが壊れた装備や医薬品などは消耗品だ。補給する術がない現状では物的資源の中でも特に貴重であった。また回復魔法を行使できる魔法使いもいない。


「レイベル様、ミッド大山脈の積雪量が例年より少ないといっても我々が立ち入った際に吹雪に遭えば身動きが取れなくなります。谷間を抜けた場合、雪崩から回避する手段が我々にはありません。東南側から迂回したほうが安全ではないでしょうか」


 側近は谷間を通るよりも安全かつ確実性の高い迂回路を提案してきた。部隊の再編成を済ませた団長も近づき、口を開く。


「レイベル様、部隊の再編成が済みました。幸い物資の損傷は軽微で食料は1週間分程度、医薬品は魔法鞄に入っていたため十分あります。装備に関しましては一部武器と防具に損傷がありますが、どれも使用可能です」


 団長は現状の資源状況を報告に来た。思いのほか物資の損傷が少なかった。魔法鞄という空間魔法で異空間に物を収納できるダンジョン産の鞄を使っていたことが幸いしたのだろう。


 また一部は能力『収納』を持つ団員が管理していたことは不幸中の幸いだった。能力『収納』は文字通り物を収納する能力だ。個人によって多少の差異はあるものの、全員に共通することとして異空間に物を収納できる。時間経過はするようだが本人が生きていれば出し入れは自由だ。商人に多いタイプの能力のため、なかなか国で確保することは難しい。

 そんな貴重な能力持ちと魔法鞄が残っていたことは一筋の光明だった。少なくとも谷間を抜けるまでは物資は持つだろう。


「明朝ヒルドに向けて出発する。危険ではあるが、物資の状況や人数を鑑みて谷間を迅速に通り抜けることとする。各自準備を進めるように。状況に変化があれば直ちに報告するように。以上だ」


 臣下たちは私の指示に従って動き始める。今私たちがいる地点はドーガ側にあるミッド大山脈前の森だ。森といっても葉は既に散り、枝や幹が剝き出しの木々が立ち並ぶ。冬にベゼル王国の各地でこのような冬枯れた森や林があちこちに見える。他の季節であれば木の実や森に生きる動物、魔物なんかを狩ることを当てにできるが、季節が冬ではそんなことはできない。冬眠しているか、雪上でも問題なく活動できる魔物しかいないのだ。敵に地の利がある環境で戦いを挑むなど準備をした自殺行為に等しい。


 だが人間相手であればまた別の話だ。我々も雪に足を取られるが、それは敵も同じ。襲撃してきた相手の装備は移動速度を重視した軽装だった。そのような状況から鑑みて敵は大した準備もなく追撃に出たのだろう。ミッド大山脈まで追撃してくることは考え難い。敵にはミッド大山脈を超えられるだけの物資がない。厳しい状況に立たされているが、ミッド大山脈がまさしく分水嶺なのだ。


 この大山脈を超えられるかがベゼル王国とヴェルフ帝国のパワーバランスを一変させる。我々が抜けられなければヴェルフ帝国がこの戦争に勝ち、ベゼル王国に勝ち目がなくなる。ベゼル王国とヴェルフ帝国の関係性は絶妙なパワーバランスによって保たれており、定期的な戦いは起きるが、全面戦争までは踏み込まれないように国の舵を切っている。この均衡はベゼル王国37代目の現国王であるメルクーラ3世によって作り出されている。ベゼル王国は数代前まで沈みゆく国として荒れていたがメルクーラ3世による立て直しによって、今では安定した治安と豊かさを実現している。歴史学者からはベゼル王国中興の祖として歴史に名を残すことが幾度となく語られていた。


 そんな父を幼少の砌より見てきた私は、自分の能力の低さに愕然とした。血が繋がっていないのではないかと思うほど、政治的な手腕や国民からの求心力がなかった。武術や学術に秀でるわけでもなく、全てにおいて中途半端だった。評するなら可もなく不可もなしといったところだ。


 平凡な私でも現状の把握や何を行うべきかという優先順位ぐらいはつけることができる。ドーガでの戦いは両国の牽制として行われることが多いことであったが、ヴェルフ帝国が本腰を入れてきたため、早期に対策を打たねばならない。


敵の情報遮断に対する注力は目を見張るものがあり、私たちは王都まで現状を伝えられていない。王都まで兵をやろうにも、味方に裏切り者がおり、向かった兵士たちはみな死んでしまったのだろうと言っていた。私は将としても無能だ。家族や仲間、ひいては国のために命をかけて戦う兵士に名誉の戦死をくれてやることもできないのだから。それでも思考をやめるわけにはいかない。どれだけ無能であったとしても私がベゼル王国王子であることに変わりはなく、わが命は民によって生かされているのだ。王宮を出て各地を巡ることで民の暮らしと願いを感じ取ることが出来た。飢えることを知らない王族や貴族には血筋で自分の価値を捉えるものもいるが、私は民あってこその貴族であり、王族だと考えている。どれだけ苦境に立たされても私が命を投げ出すことは民と国への冒涜である。


 ベゼル王国に勝ち目がなくなるというのはヴェルフ帝国が新規開発したであろう魔道具のことだ。どのような絡繰りがあるのかはわからないが、能力を無効化することができる。

ドーガの戦場においても大多数が1時間ほど能力を行使できなくなった。私も例に漏れず、能力が使えなくなったことを確認している。魔法は問題なく使用可能だったが、戦場にいる人間にとって能力は戦闘力に直結している。


 例えば能力『威力増加』という筋力上昇の能力があるとする。この能力は攻撃の威力を増加させる力と副次的に筋力を強くする力も兼ね備えている。


その強化された力を基準とした武器を能力者は持っているため、能力での強化ができなくなった能力者は当然疲れやすくなってしまう。体に疲労が蓄積すれば、休んだところで満足にたたかうことができなくなってしまう。


 たった1時間であれど継戦能力に甚大な被害が及ぼされた。効果範囲は我が全軍。しかし、発見が遅れてしまった。伝令を担当する者たちも能力を使うことができず、気づいて時には30分ほど経過してしまっていた。

 また撤退や後退を指示したくとも能力に頼り切った指示系統しかなかったため、全軍撤退を始めたのは能力が使えるようになった開戦から1時間後だった。


 だが帝国も能力が使えないのか遠距離でこちらを削る動きを採択していた。正確にはこちらを引きずり込むように前進させ、能力を使えなくしたことで軍の指揮を取れないようにした。


 その結果として撤退するにしてもかなりの距離を移動せざるを得なくなり、撤退時に敵の攻撃もより苛烈になっていった。どの程度能力封じができるのかは定かではないが、能力が封じられることなど未だかつてありはしなかった。この情報がどれだけ役に立つかは不明であるが、能力を封じられること前提で連絡を取れなければ我が国に勝機はないだろう。


 1時間後に準備が整い、ミッド大山脈へと進行する。雪に足を取られ、クレバスに滑落し徐々に人員が減っていく。私がドーガに向かったころは護衛騎士5名、第3騎士団30名の大所帯だったのだが、今は両の手のひらで数えられるほど人数が減ってしまった。それも華々しい戦場ではなく、凍てつく雪の大地で静かに息を引き取るのだ。冬にかけて葉が散るがごとく、一枚また一枚と命が力尽きる。


 それを私はただ見ていることしかできない。情報を持ち帰るという使命と王族としての責務が周囲の人間に制を全うすることを強いる。胸中ではどのような思いを抱いているのだろうか。不意に後方から聞きなれない移動音が響く。その音は速いペースで私たちとの距離を詰めている。私の短い生涯もここで幕を閉じるのか。そう思っていると残っていた最後の護衛騎士が声をかけてきた。


「レイベル様、追っては数を増やし我々を追跡しているようです。この人数で移動していればいずれ追いつかれてしまうでしょう。我々が足止めしますので、先に行ってください」


 覚悟を決めたまっすぐな瞳で護衛騎士は私を見つめる。周囲の第3騎士団の面々も同じ思いのようだ。


「それでは貴殿らは……」


 私は彼らが何をしようとするのかわかっていた。だからこそ言い淀む。


「レイベル様、我らもとよりその覚悟を持ってあなた様にお仕えしているのです。あなたを生かすことが王国のため、民のためになります」


 彼らは私の喉元まで出かかっている言葉を察してそう返してきた。徒に時間を使っては彼らの覚悟に水を差すだけだ。私は腹をくくる。


「わかった。武運を祈る」


 私は護衛騎士に伝え、皆から一人離れる。きっと彼らと会うことは叶わないだろう。彼らは死出の旅に出た。無能な私はどれだけ自分を呪ったとしても生きなければならない。1人孤独な山越えが始まる。多くの人間に囲まれ、生きてきた私にとって人生で初めてひとりぼっちになった。


 少し経つと武器の衝突音が響き渡る。雪を踏み荒らす音が混ざり、乱戦の様相を離れた私の元まで波及させる。張り詰めた空気を背負いながら私は雪に囲まれた山脈へと歩を進めた。

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