レンブラントの素描展を観る

@8163

第1話

 地下街を歩くなんて久しぶりなんだが嬉しくもないし面白くもない。だが、直ぐに毎日通っている人々と同じ速さで淡々と、周りに無関心で、五・六歩先を見ながら歩く習慣に戻り、都市の生活者に馴染んだ。無意識に地下鉄の駅に向かう人々のスピードに付いて行っているのだ。不思議だ。まるで県境を越えると、それまでの言葉遣いが方言に変わってしまう、あの魔法に似ている。もう生まれながらと同じような塩梅になってしまったのだろうか。なんだか、それも情けない気分だし、初めて都会に出てきた時の、あの馬鹿にされたくない怒りのような敵愾心の裏返しで早歩きを覚えた頃を、もう忘れてしまったのかと思う。

 忘れたと言えば、本屋で作者の名前をハッキリとは思い出せず、恥ずかしい思いをした。本当は、恥ずかしいのは女店員の筈なのだが、なぜか此方が羞恥心で一杯になった。スエーデンボリをスエーデンボルグと言ったが為、テニスのスエーデンのボルグの棚に案内され、困ってしまったのだ。よくよく考えたらどちらの名前でも良いのだが、霊界に詳しい訳でもなく、半端な知識しか持ち合わせていなかったので恥じたのだ。

 幸いにもベテランの女店員が気づいてくれ、哲学・心理学の棚に無事に辿り着く事が出来たが、流石に大手の書店、店員がスエーデンボリを知っているなんて驚異だ。いや、名前ぐらいは知っていても不思議はないが、そのベテラン、此方を異端者を見るような眼で眺めていたので、つまり、内容を知っている事になる。

 その本はピッチリと包装され、羊羮の箱みたいになり、右手に抱えるようにして歩く。地下街を歩くのにスエーデンボリの霊界の本を片手に歩くなんて、こんな気取った事があろうか。かつて同じ書店からサドの「悪徳の栄え」や「美徳の不幸」マンディアルグの「黒の美術館」などを抱えて帰った時を思い出し、たった二年ほど前の事なのに、もうすでに興味は他に移って、とりとめがない。何を求めてさ迷っているのか。意味などない。直感の示す方、時にはその逆に舵を切り、面白さを求めた。この゙気取り゙は劣等感の裏返し。つまり右も左も、上でも下でも、どっちでも良いのだ。目的地が解ってないんだ。

 地下街の通路は石材だろうか? 大理石だろうか? そんな豪勢なものか? ただ、ハイヒールの靴音が響くので天然石なのは確実で、人工のリノリューム等ではないだろう。白っぽい、灰色の、タイルみたいな正方形の、これも石材ならば敷石と呼ぶのだろうか、判らないが、ローマ街道のような深さのある石ではなく、もっと薄く加工された物に違いない。それに表面は磨かれていて天井からの光を反射して鏡のように、とまでは言わないが、うっすら陰は映している。そこに突然赤いパンプスが突きだされた。

 人を呼び止めるのに声も掛けずに足先を伸ばし、うつ向いて歩く人の視界を遮り、相手が顔を上げ、認めて貰うのを待つなんて、そんな傲慢な女は二人しか居ない。どちらも告白して断られ、すごすごと引き下がった相手だ。与謝野晶子は「奢りの春の美しきかな」と、歌ったが、二人とも、もう二十歳はとっくに過ぎた筈、それでも傲慢なのは生まれが良いからだろう。一人は開業医の娘、もう一人は社長令嬢。

 知っていたのなら告白などしていなかっただろう。絶世の美女ならば未だしも、そこまでじゃない。儚げな美人でもないし流行りのスリム美女でもない。どちらかと言えばポッチャリ個性的な女の子二人だ。食べ物に苦労したことのない、マリーアントワネットの逸話を思い出す。パンが無ければお菓子を食べろと……。そこまで無知ではないだろう。悪意のある創作だろうが、面白いので定着してしまった。セレブへのやっかみ、川柳・狂歌の類いだろう。薄笑いして遣り過ごせば良いのだろうが、身内や恋人だったのならば、どうだろう。

 高二で告白した彼女は明るくて屈託のない、ネクラな自分にはピッタリな彼女だと思っていたのだが、振られてから「○○医院の娘だから」とか「金持ちだから……」自分勝手は仕方がないと、陰口を叩かれているのを知った。天真爛漫は天然、屈託のなさは思い遣りの無さに翻訳され、周りに認識されていたのだ。それでも良い。むしろ周りを気にしない独り善がりな人格が、愛となって一人の男に注がれたのならどれ程の幸せかと考えたのだが、彼女は此方を全く問題にしていなかった。眼中に無かったのだ。まあ、これが初恋ならば相当なショックを受けるのだろうが、生憎、経験済み。中学3年間、想い続けた女の子に卒業してなお、諦められずに分厚いラブレターをしたため、祈るような気持ちで出したのだが、返事は簡素に、全く知らなかったと残酷。無慈悲な現実を知らされ、経験済みだったのだ。

 そうなのか、片思いだったのかと直ぐに諦めは尽き、未練などはなく、むしろ余分な恋愛感情に振り回されなくてスッキリした気分で高校生活を送ることが出来た。それでも、まあ、人生への悩みやら何故生きているのかへの疑問が消えた訳じゃなく、のんべんだらりの学校生活とは別の、意識の葛藤で潰れそうになった自分があったのは確かだ。

 ところが、すっかり彼女の事を忘れていたのに、こんな所で鉢合わせするなんて真っ平だ。しかも、普通なら「あーら久しぶり」とか何とか声を掛けるだろう。足を伸ばして歩みを止めようとするなんて、相も変わらず、いや、俺にだけかもしれないが、傲慢で奢れる娘のまんまなのだろう。つまり上から目線の、コクられて振った男でしかないのだ。多分、気軽に、何の考えもなしに、つまり、此方の事情とか心理状態とか、いっさい慮る事がない。そんな女に愛想笑いして、今でも好きだよ、とでも言いたげな演技をしなきゃならないのか。

 咄嗟だったから、そこまで考えた訳じゃないだろうが、目の前に差し出された赤いパンプスを跨いで、顔も上げず下を向いたままリズムも変えず歩き続けた。花柄のスカートの裾の部分だけ見えたのを覚えているが、値段の高そうな生地に鮮やかな花がプリントされ、それが肌色の足の甲を囲む赤いパンプスと共鳴しあって足首を細く見せ、時間をかけて計算されたトータルなコーディネートを想像させた。お洒落をして買い物にでも来たのだろう。そのノリで悪戯を思いついての行動だと推測出来るが、もう、そんな自己主張に付き合う義理はない。それを理解出来てないのだ。有名な女子大に進学した筈だが、さしたる成長もなく自己中心的な言動は変わらないのだろう。此方も成長どころか退化して引きこもりに近い日常だ。話しも合わないだろう。多分、無視して正解だ。

 通り過ぎて十歩・二十歩歩いただろうか、茫然と見送り、片足を出したままで歩き去る此方を眺めている女の気配を感じていたが、違う女の可能性がある事に気づいた。顔を確認してないので高二の彼女だと、百パーセント間違いないとは言えない。告った女がもう一人いたのだ。一緒に美大浪人していたが、その年、受かって大学に通っている筈だ。つまり、此方と違い、恋愛に何ら影響されず受験出来たと言う事だろう。まさかとは思うが、そんな事が無いとは言えない。

 彼女とは少し複雑だ。惚れた腫れたじゃないんだ。可笑しな話しなんだが、此方としてはボランティアに近い。ますます妙だ。妙だが、それが此方の心情だから仕方がない。それも、彼女が有名企業の社長令嬢だと知っていたのなら、そんな義侠心など起こさなかったのだが、それまで関心も無かったので彼女のプライベートも知らなかったのだ。同情して要らぬお節介をした。彼女も高校の3年間、卒業しても尚、一人の男に憧れ諦め切れずに追いかけ浪人までしていた。そんな、何の不自由もない恵まれた環境にあるとは知らず、そこに固執して視野を狭くする必要はないと教えたかったのた。

 烏滸がましさの極みなのは承知していて、やめておけよと思っていたが、ある日、夕方になり、人影も疎らなデッサン室での二人のやり取りを目撃し、男の素っ気なさに彼女も強気にプライドを保っていたが、男が去った瞬間、首を捩って男の方を向いた顔の必死さ。シャツの裾が捲れて白い肌が剥き出しに、その、あられもない姿。

 今、思えば男は彼女の家柄を知っていて、避けていたのかも知れない。美術を志す輩には二種類あって、それこそ金持の道楽みたいな浮世離れした奴もいる。彼は多分、普通の育ちに違いない。そうゆう、あれやこれやを知らなかったので、彼女の思いの強さだけに囚われ、行動してしまった。自分の中学3年間の片思いと重なり、ひとつ、目を離れた所から見えるようにしてやって、楽にしてやる積もりで「好きだよ」と、言ったのだ。誰か一人でも自分を好きでいてくれるなら、振られても平気で居られる。そんな腹づもりなのでコクると言ってもドキドキしたり興奮して声が大きくなったりはしない。冷静なまま、目を見て、彼女の変化を探りながら、試すようなものだ。ところが、思いの外、彼女は動揺して慌てふためき、目を反らせただけでなく背を向けてしまった。後ろを向いてしまったのだ。何を隠したのだろう。

 単に拒否しただけなのなら、続く言葉「困ったわ……」の、反応が怪しい事になる。困ったは否定ではなく迷いだろう。と、なると、好きな男がいるのに別の男から告白されて困ってしまった、だけでなく、俺に男への思いを隠して置きたい思惑があるようだ。それを知られたくなくて背を向け後ろを向いたと思いたい。だとすると彼女は此方を意識していた事になり、より複雑な三角関係も考えなくてはならないのかも知れない。

 でもまあ、あの時はそれ以上踏み込まなかったし、彼女は受験に受かって此方は不合格。以来、会うことも無かったので殆ど忘れていたが、どうしてこの地下街で思い出したのか、何か共通項みたいな物があるのか、それとも潜在意識に在ったのだろうか。意識は金持の女だと、ひと括りにして記憶していて、一人を思い出せばもう一人も自動的に思い出す、そんな風になっているのだろうか。

 もう、早く女の視界から消えたかった。十字路を左に曲がり直ぐに右に折れ、どこぞのビルの中に入った。これで追いかけて来ても分かるまい。ホッと一息つき、見回すと、美術展のポスターが目に飛び込んできた。レンブラントの素描展。宣伝はされていて開催は知っていたが、偶然にも目の前が会場だった。「夜警」など、絵画は有名なので知っていたが、素描に馴染みはない。いや、知っていると言っても絵画も本物は観たことはない。ただ、斜め上、 45度からの光とその影が作り出す空間の魔術がカラバッジョ由来のものらしいのは知っていた。劇場形の演出のカラバッジョの絵画は、市民を写したレンブラントとは相容れないのではと考えていたが、時代は蘭英戦争、劇的なのはレンブラントの方かも知れない。

 素描はデッサンとは違うのか? もうひとつ、クロッキーと言う表現もある。素描はスケッチでデッサンは下書き、クロッキーは走り描き、などと分けても意味はない。その全てを素描とかデッサンとか言っても間違いではないし、そう表現する。曖昧だ。でも、意味はある。レンブラント展の作品はデッサンでもあり、ペン画などはクロッキーで、北斎漫画のような雰囲気もある。しかしデッサンのような構図的な意図は感じない。デッサン展の表記では少し違う気がするし、勿論クロッキー展ではない。たから素描だ。いちばん曖昧な気がするし巨匠を修飾するに相応しい。

 そんな中、意外にも目を奪われたのはペン画のクロッキーだった。どうしてかと言えば、あのレンブラントが身近に感じられたのだ。素早く描く事を要求されるクロッキー、ポーズを取ったモデルではなく、歩いたり立ち話をしている人々を切り取るように描いていて、スナップ写真と同じで素人も玄人もない。簡略化された描写はほぼ一筆書。顔の表情などはなく、頭と体、手足の位置と関係が、その人の状況を表し、対話などしていれば二人の関係までも連想させる。また視点も様々で、最も興味を惹かれたのは斜め上から見おろした男の図。二階の窓から通りを眺めて描いたのだろうか、帽子を被って右手を出し、何か指示をしている様な姿だが、顔の表情も分からず心情などの情報は一つも無いのだが、左脚を少し前に出し、右手を前に伸ばして人差し指で部下に指示をしているのか方向を示しているのか、判断出来ないが、問題はそこではなく、右に掛かった重心と腕を出す事でちょこっと捻れた上半身だ。そんな微妙な動きなんだが的確に描写されており、確かに人物が立っており、その存在がセピア色のインクで柔らかく、帽子も服もズボンも、布の肌触りか分かるほどの曲線が、線の太さ細さに差がないのに表現されている。線が太ければインクは濃く細ければ薄くなり、それが遠近を表す事になり立体感になる。ところが、レンブラントはそうではないのだ。

 ノート位の、A4サイズ大の紙に描かれた像は小さい。詳しく観察しようと近寄って腰を折り凝視していると、後ろから被さるように覗き込んで来た男がいた。何の変哲もないペン画の何を熱心に見ているのか、そんな批判的な視線を感じて煩わしさを覚え、その男が前に出て眺められるよう体をずらせて一歩離れたのだが、男は前には出ず、右の掌を上に向け、どうぞと言わんばかりのジェスチャーをし、元通りの鑑賞を促した。多分、いくら有名な画家とは言え油彩画でもないのでテクニックや絵具の重なり等もなく、一体、何を熱心に見ているのか理解できず、確かめたいのかも知れない。だが、微かな重心のズレや捻れ、太い細いが無い柔らかな線描、そんなものを説明しろと言われても表現の仕様がない。

 男は此方が迷惑がっているのを知り去って行ったが、それでも後ろ髪をひかれる思いがあるのか、一度は振り返り、次の展示室へと移って行く。上半身を折ったまま見送ったが、説明しろと言われたら言葉になるだろうかと、少し考え、そんな義理はないと感じて息を吐いた。女たちと同じく、会話は要らない気がしており、それが余韻であり、説明は野暮だ。

       了

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