ときにはつまらぬ話を

第5話 ときにはつまらぬ話を 〈1〉

 


 第三話 ときにはつまらぬ話を



 オールタイム・ベストというものがある。

 自分の中の不動の名作、いつでも変わらぬ傑作、つまりはいつ観てもいい映画とかそういう意味だ。もちろんこの概念は映画以外の音楽や小説にも適用される。今では珍しくない括りである。

「あの……きみたちのオールタイム・ベストってなに?」

 機多要きたかなめはこのような質問を仲間たちに投げかけたことがあった。

 まず、斑目由岐はアメコミ映画の中でもディープなものをいくつか挙げた。『ウォッチメン』やら『ヘルボーイ』『ブレイド』『コンスタンティン』などアメリカン・コミックを題材にした映画でもマーベル流行以前の二〇〇〇年代の作品が好みのようだった。

 斑目ルエはガス・ヴァン・サントやウォン・カーウァイ、北野武の名前を挙げて控えめながらも芸術性の高い映画を推した。感傷的な作品を好む吸血鬼もいたものだと要は思ったのだが、それは口にしないでおいた。

 佐渡島蘇芳はタルコフスキーの『ノスタルジア』だとかアンゼイ・ワイダ『灰とダイヤモンド』やルイス・ブニュエル『アンダルシアの犬』など古めいたシュルレアリスム映画やら反体制映画をあげた。趣味が妙に渋いが、訊ねたところ「大学で観た」という答えが返ってきたため妙に納得した覚えがある。

 トロイメライのことはどうでもよかったが、彼は勝手に『まぼろしの市街戦』『レクイエム・フォー・ドリーム』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』と答えた。最悪だった。要にはこれがとびきり悪い冗談のように思えた。

 さて、そんな機多要にとってのオールタイム・ベストは『スタンド・バイ・ミー』だ。

 捻りがないだのなんだのという文句はこの際隅にうっちゃって、掛け値なしにいつでもどんなときでも好きだと言える作品だ。

『スタンド・バイ・ミー』はかつての親友である弁護士クリスの訃報を知った小説家の「私」が少年期の終わりを振り返るという体で語られる物語だ。有名な筋書きとしては、もうじき十三歳になる十二歳の少年たちが晩夏の一番暑い日、同い年の少年の死体を探しに線路づたいの冒険にでる話といったほうがいいだろう。

 しかしながら原作小説のタイトルはあまり知られていない。この小説の原題は『ザ・ボディ』――死体という意味なのだ。通過儀礼、永遠の決別、行きて帰りし物語なれど二度と戻らない魂の傷。同い年の少年の〈死体〉を探しに行くという行為を印象深く切り取った不穏なタイトルだ。

 それに原作と映画にも違いがある。リバー・フェニックス演じる兄貴分にして親友ともいえる少年クリスと主人公である「私」ゴーディの立場がクライマックスでは丸々入違っている。「俺から離れずにいてくれスタンドバイミーよ」そう静かに口にして銃を構える少年が映画と原作では異なっているのだ。さらに原作では死体を探しに行った少年四人のうち「私」以外の三人がすでに故人であることが明かされている。要はこれを思うにつけ度し難い想いに囚われた。

 〈わたしは十二歳のときの仲間たちのような友人は、その後ひとりももてなかった。世間の人はどうなのだろう?〉

 あのときのような友人はできない。もう二度と。

 映画では締めくくりに、原作では回想の途中でこのフレーズが登場する。

 では、機多要の場合は。

 十二歳当時の友人は一人を除いて存命なうえ、そのまま友人であり続け、そのうち一人は姿形までそのままだ。

 思うにそう……自分たちは共犯者であるという意識で繋がり続けていたのだと要は信じている。

 殺人者を殺して葬ったマーダラーズ。

 そういう歪な形で結びついた友人同士である、と。



「だめだ、書けない!」

 そう叫んでくしゃくしゃに丸めた原稿用紙を床へ放る。同様にしてろくに字も書かれずに丸まった紙屑がそこら辺に無数に転がっていた。

 背後で玄関が開く音と気配がして、コンビニの袋を両手に抱えたトロイメライが入ってくる。

「食料買い出し行ってきたぜェ。これで三日くらいはもつだろ」

 ごそごそとなにやら取り出す動きがあって、尚も机に向かう要の横にひょいとエナジードリンクが差し出された。そこでようやく原稿用紙から顔を上げる。

 儚く有機的な絶世の美貌、そして悪魔の名に恥じ入らぬ歪んだ笑みを浮かべたトロイメライと目があった。

「それで大作家様、進捗はァ?」

「…………ぼちぼち」

「いやそれ絶対嘘だろォ!」

 部屋の惨状を目の当たりにしたトロイメライはそう突っ込んだ。

 要は薄ら笑いを浮かべて「ふへへ……三行、三行進んだもの……へけけ……」などと人としてはおろか作家としてもギリギリのことを言った。

「つーか原稿用紙って形式自体もう終わってるよねェ?」

「僕は下書きまでは手書き派、なんだよ……」

「さいですかァ」

 機多要はブラッド・サック・マーダラーズのキーボード担当兼ミキサーであり、そして私生活では文筆業を営んでいる。

 ただし十代がメインターゲットのライトノベルでデビューしたきり鳴かず飛ばずの体たらく、新人賞の下読みや雑誌のコラムなどのアルバイトで食いつないでいる作家を目指していた何かの成れの果てだ。自分でも自分の身分をどう騙ってよいかわからないくらいである。

 ただしキーボードの腕もミキサーとしての感覚も優れており、関係各所からは「いっそもうこっちメインで働いたらどうか」という声が複数掛かっていたりする。だが要はそれらの誘いをたびたび断り、あくまでも作家という立場にしがみついていた。

 理由はふたつ。ひとつは夢のためだ。要は幼い頃から「作家として成功する」という夢を持っていた。これを未だに諦められない――諦めてはいないからだ。昔も今も仲間たちだけは自分の書く物語を「面白い」と言ってくれる。彼らが嘘をついているとは思えないが、たとえ嘘だとしてもそれを裏切るわけにはいかなかった。

 そしてもうひとつは――。

「トロイ……」

「どうしたよォ」

「僕は……敢えて寝るよ……三時間たったら、起こして……」

「はァ!? おまえ締め切りはどうすンだよォ! おまけに三時間って長っ!」

「それじゃ……おや……す……み……」

「入眠早っ、のび太クンかよォ!」

 机に突っ伏した要はそのまますうすうと本格的に寝息を立て始めた。

 トロイメライはしばらくそれを見守ってから肩を竦める。

「まァ、オマエは大作家になる〈運命〉だもンなァ。これくらい問題ナシってことかねェ」

 トロイメライはひとりごちて置き去りにされたエナジードリンクの封を切った。独特の強い香りが漂い、一口煽ると南国フルーツフレーバーで隠蔽されたカフェインとアルギニンの味が舌をひりひりと灼いた。

「オマエもあと半年、かァ。そのときまで、せいぜい楽しみにしててやんよォ」


 §


 遡ること三年前。

「悪い。オレ辞めるわ」

 身体もこうなっちまったしな、と付け足してベースの浅井という青年がバンドを脱退したのは八月のことだった。

 もともと方向性の違いというのか、どこか冷めた感じのある人間の男だったが、それでも半年ほど共に活動を続けた後、ススキノ異種族風俗店で集団怪獣化に巻き込まれ異形化してしまったのをきっかけに脱退と相成った。当人はあくまでも異形化を病として認識し、大陸に渡って治療法を探すのだという。ちなみに彼の身体はその場に居合わせた嬢と行為をしていた簡易ベッドそれ自体と混ざり合い、大変なことになっていた。三分の一風俗嬢で、三分の一はベッド、残りが浅井自身の肉体というしっちゃかめっちゃかな塩梅だ。

 浅井は脱退自体には何の感傷もないらしかったが、それでも最後の日に一言置き土産を残していった。

「機多。おまえのピアノさぁ、つまらねえんだよ。絶対音感だかなんだか知らねえが、いつもどこかで聞いたような演奏ばっかしやがって。そんなんじゃいつまでたってもテッペンなんざ取れねえんだよ」

 急に名指しされた要は咄嗟に言い返すことができなかったが、かわりに反応というか激昂したのは蘇芳だった。上記の台詞を浅井が言い終わる前に一発きついパンチをお見舞いした。殴り返そうとした浅井だが半獣人である蘇芳の一撃はヘビィに過ぎた。あえなくスタジオから担ぎ出されて完全終了となった。

「気にすることはないヨ、要。彼のあれは性分だ」

「そうだ。お前が気に病むことなんぞない」

「要の演奏、オレは好きだよ」

 ルエ、蘇芳、由岐はそれぞれに要を励ましてくれた。

 しかし要自身が浅井の言葉の意味を痛いほど理解していた。理解せざるを得なかったのだ。

「でも……あいつの言うこと、ほんとだから。僕の演奏は誰かのコピーでしかない。つまらないのもわかるよ」

「そんなこと」

「……あるよ。ダメなのは僕の方だ」

 要には〈絶対音感〉という才能があった。〈絶対音感〉とはありていに言えば、ある音を聴いた際にその音高を記憶に基づいて絶対的に認識する能力のことだ。つまり瞬時に耳コピすることが可能なのだ。例えば有名なコンビニの入店音を聴いたとしよう。要はその音高もリズムも瞬時に把握することができる。そして偶然にもそれを再現するピアノの腕が備わっていた。

 しかし、それが幸福なことだとは誰にも言えなかった。その巡り合わせのために要は聴いた音楽すべてを完全に再現することができるが、ただそう再現するだけの機械に成り果てていたのだから。その代わりにミキシングの腕はプロの域に達していたが。

「僕の音楽は全部誰かのコピー……紛い物……だよ。浅井くんの言いたかったこともわかるよ」

「要……」

 傍に寄り添う由岐が困ったように頭を垂れる。

「しかしここにきてまたベーシストか。どうスル? 新しい子、探す?」

 ルエはそう言うとどこかに電話をかけ始めた。

「手代木さんがサポートに入ってくれると言ってる。しばらくはそれでいいだろ」

 けっ、と蘇芳が不機嫌そうに言い放つ。

 蘇芳はもともと浅井に対して好印象を抱いていたわけではない。しかも最後がこれだ。曲がったことが嫌いなストイックさも相まって、どうしても今回の件が許せないのだろう。

 しかし、バンドが抱える問題として「ベーシスト不在」は大きい。

 それに加え、なぜかブラッド・サック・マーダラーズにはベーシストだけが居つかないというジンクスがあった。もちろん四人の結びつきが強すぎるせいもあるのだろうが、それにしてもこうも適した人材がみつからないとなると厳しいものがある。

「困ったな」

「……そ、そうだね……どうしよう?」

「どうもこうもねえだろうが、ツテ辿って探すしか」

「――ねえ、みんな!」

 三人して頭を抱えていると、どこかに電話をかけていたルエがぱっと明るい顔でこちらを振り返った。

「ブラックシープのマスターがすごい弾き手がいるから声掛けてくれるって。ただ……」

 相変わらず朗らかな笑みのまま、ルエが口ごもる。

「ただ、なんだよ?」

「ただネ、悪魔なんだって。しかも侯爵級の」

「はァァ!?」

 こうして前途多難なベーシスト探しが幕を開けたのだった。





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