第10話帝都の男


 クラッカーを食べ、素振りしていた私だったが、程なく村は闇色に包まれて酒場まで帰って行った。そして今この村の名物のジャハダティーを啜る。


「結構(けっこう)いいな」

 今は酒場にあった大衆向けの本を読んでいる。勇者が魔王を倒す、どこにでもありそうな話だ。


 ジムはこう言うのを低俗だと言いそうだけど私は結構(けっこう)好きなのよね。

 その時、ガラガラと入り口の方が騒がしくなった。


 討伐隊(とうばつたい)のメンバーだ。ヴィクトルもエルザもいる。今度はヴィクトルは帝国の軽装鎧(よろい)を着ている。もう、20時なのか。

 一人のハンサムな男性が酒場のマスターに話す。


「前に話した通り、ここからは俺たちの貸切な」

 そう言って、ハンサムな男性はパンパンになった袋をマスターに渡す。それをちょっと太っていてハゲなマスターが恭しく(うやうやしく)受け取った。そして、その場にいた客に言った。


「はいはい、討伐隊(とうばつたい)の皆様がきましたから帰ってください」

 それに客は不満を顔に顕(あらわ)にし、去って行った。

 それで小太りのマスターが恭しく(うやうやしく)手を揉み(もみ)ながらオーダーを聞いてくる。


「それで何に致しましょうか(なんにいたしましょうか)?」

「何か適当なものを頼む」


「はい。承知(しょうち)しました」

 マスターは厨房(ちゅうぼう)にさって行った。

「あの、あなたのお名前は?」

 私はいうと彼は爽やかな(さわやかな)笑みを浮かべた。


「俺の名はマルス・フォルス。よろしく」

 そう言って手を突き出してきた。

「アイリスです。よろしく」

 私は握手(あくしゅ)したら。マルスがスッと私の隣の席に座った。


「アイリスちゃんか。名字はないの?」

「うちの母が奴隷(どれい)だったものですから、名字はありません」

「へー、母親が奴隷(どれい)なのに、よく入れたね?もしかして父親が偉い人?」


「そうです。フェドラ町の領主(りょうしゅ)です。でも、養育費(よういくひ)の代わりに私に子息としての権利(けんり)は無効になりました。父が養育費(よういくひ)をかかさず支払ってくれてたから、武術や学問に精(せい)を出すことができたのです」

「そのお父さん、いいお父さんだね」


 そう言ってマルスは端正(たんせい)な顔をぐいっと私の方に近づけた。なんだかいい匂いがする。これが帝都の男かぁ。まあ、イケメンだし、悪い気はしないね。

「そこまでだ、マルス」

 そう私たちがいい気分になっているとヴィクトルが口を挟んだ(はさんだ)。


「なんだよ、ヴィクトル」

 そう言ってちょっと拗ねた(すねた)表情をする。あ、結構(けっこう)可愛い(かわいい)。

「お前さん、もう持っているんだろう?程々(ほどほど)にしとおけ」

 それにマルスは気分を害した様子だった。


「ちぇ。おーいマスター!食事はまだか!」

「あ!はい!ただいま!」

 マスターはバタバタと駆けつけてきた。その手にはサラダのオードブルを持っている。


「とりあえず、これをお食べください」

「チェ、サラダかよ。しけた店だぜ」

 そう言いつつマルスはサラダを食べていく。あ、なんか今までの期待がゼロになった。そして、私の中じゃあマルスがマイナスになったな。

 そういう幻滅(げんめつ)している私に一人の女性の声が聞こえた。


「隣いい?」

「どうぞ」

 その人は中年のおばあちゃんでハリはなくシワが何本か浮き出ているが、その目には明るい人なつっこそうな感情が漏れていた。


「失礼するわね。私、こう見えてもベテランなの」

「というか、新人と言われたら逆にびっくりしますね」

 彼女が猫の目をする。そして、高笑いをした。


「ハッハッハッハ!そりゃあそうか!これで新人だったらそっちの方が不思議(ふしぎ)ね!」

 彼女はひとしきり笑った後、いった。


「名前、名乗ってなかったね。私はエカテリーナ・マートン。こう見えても実戦経験のある隊員です」

「私の名前はアイリス。フェドラ町からきました」


「うん。そうだったね。フェドラ町って、外から聞くと領主(りょうしゅ)がしっかりしていて結構(けっこう)いい街だと聞くけど、実際はどうなの?」

「はい。いい街ですよ。みんな優しくて、いい人たちばかりです。中にはかなり短気な人もいますけど」


「はは。それはどこの街も同じ。どの街いたって、悪い人はいるって」

「うーん。悪い人と言うより、かわいそうな人たちですね。いろんなことに傷ついてどうしようもなくなっているから、ものすごく短気なんだと思います。だから、結局のところ、私はあの人たちを嫌いになれないな」


「あ、今のでフェドラ町がとてもいいところだとわかった気がする。いい街の条件は悪い人たちが犯罪を起こさないようにすることじゃなくて、悪い人をどれだけ多くの人が気にかけているか、だと思うから、あなたたち、いいわね」

「ありがとうございます」

 ペコリと私はエカテリーナに礼をした。


「ところで」

「うん?」

「男の人ってみんなああなんでしょうか?」

 気焔を上げる男たち。それを横目で見ながら私はボソリと言った。


「マルスのこと?」

「そう。私、ダメなんですね。どんなにイケメンでも店員に俺様口調で話す男の人って生理的に受け付けないんですよ」

 それに、エカテリーナは、はははと笑った。


「まあね。でも、そこそこいるわよ、そういう男性」

「そうですね。男性って本当に嫌ですね」

「そうそう、浮気(うわき)はするし、家事は女に任せるしで嫌よねー?」

「はい。それにすけべだし」

 それにエカテリーナさんもコクコクと頷いた(うなずいた)。


「本当そう。マルス、帝都に妻子いるのに、現地妻もゲットしたんだから」

「え?」

 その瞬間、頭が凍った。


「それってどう言うことですか?」

 口調は冷静だった。だが、頭の中には鋭い氷柱(つらら)が怒りの冷気を放っていた。


「そのまんまの意味よ。彼には帝都に奥さんと子供がいるんだけどね。マーサというこの村の若い娘とねんごろな関係なわけ」

「そんな!」

 私はいきりたって立ち上がる。周りの目がこちらを見る。私は静かに席に座り直した。また、男たちのばかな喧騒(けんそう)が聞こえてくる。


「そんなことって」

「事実よ。アイリス」

 背中から声をかけられ、振り向くとエルザがいた。


「こんばんは。アイリス。調子はどう?」

「さっきの話で気分が害されました」

「それは何よりね。人間としてまともな証拠(しょうこ)だわ」

 そして、気づいた。彼女にはトレイを持っていて、三つ分のビールとなんかの料理が載っている皿があることを。


「あ、どうもありがとうございます」

「いえいえ。エカテリーナの話長いからね。三人でおしゃべりしましょう」

「はい」

 エルザは私たちにサンドイッチとビールを配り、トレイを返して、私たちの話の輪に加わった。


「実際多いのよ」

「現地妻、ですか?」

「そうそう。そうして、妊娠(にんしん)までさせている男って結構(けっこう)いるのよね」


「そうなんですか!」

「そうよ。だから、現地の人たちは私たちを煙むたがって(けむりむたがって)いるのも少なくないわね」

「信じられない」

 私は視線を虚空(こくう)の一点に見つめていった。


「そんなの不潔(ふけつ)です」

「まあまあ、そういうものよ。男って。隙(すき)あれば女と交わりたい(まじわりたい)のが男なのよ」

「でも!」

 私はかぶりをふった。


「それでは幻術(げんじゅつ)と何も変わりありませんか!モンスターと何も変わりありませんか!信じられない。イシス教の牧師も言っていたではありませんか。人間型の動物とは違うのは理性があるからだ、と。理性があるからこそ、心で、交わりたい(まじわりたい)と思っていても、自制心(じせいしん)を働かせるのが人間ではないんですか?これは男とか、女とか関係なしに人間の存在(そんざい)としてのあり方ですよ」

それに二人とも深く頷いていた。


「アイリスの気持ちもわかるけど。アイリスって、彼氏いる?」

「います。幼なじみで。将来を誓ったフィアンセがいます」

 エルザはちらっと男たちの方を見て行った。

「私もいるわ」

「それは討伐隊(とうばつたい)の中に?」


「ええ、彼、シャイだけどとても誠実(せいじつ)で正義感のある人なの。彼も私と同じようにモンスターを対峙したいって志願してきたわ。彼も当然他の男と同じようにすけべな心はあると思う。だけど、彼はそんな浮気(うわき)行為はしないって思ってる」


「私もです。ジムは立派(りっぱ)な男性です。彼は獣じゃない。人間です。常に(つねに)人間的であろうとしています。だから、私は好きになったんです」

 言ってるそばから耳たぶが赤くなった。ビールのせいかもしれないが。


「かー!若いっていいわねー」

「エカテリーナはいないの?」

 エカテリーナはビールをぐいぐいと飲む。

「いたわよ」

「それは遊び?それとも、本気?」


「本気も本気。まじの本気だった。彼もね正義感が強くて誠実(せいじつ)な男性だったわね。それに几帳面(きちょうめん)だったし」

「うんうん」


「そして、結婚して2年目ぐらいだったかな。彼、浮気(うわき)したの」

「うん」

「私が死ぬ気でモンスターと戦っているのに、彼は街中(まちなか)の少女と交わったわけ(まじわったわけ)。それ知った瞬間、ブチ切れて、離婚(りこん)状を提出したわ」


「ああ」

 エルザはなんとなくわかったような表情をする。私も多分、そういう表情をしているんだろうな。


「周りの女友達や、同僚からは、男の浮気(うわき)は甲斐性(かいしょう)、と言われたけどね。私は本気で怒っていたの。彼は絶対に浮気(うわき)はしないって言っていたからね。私、彼の言葉を信じていたの。それがこんなことになるなんて、のショックが大きくて、それで友達があんなことを言うもんだから、余計ショックでね。だから別れてやった」


「よく、離婚(りこん)が成立しましたね」

 この帝国では男がサインしない限り離婚(りこん)は成立しないのだ。女性が浮気(うわき)したら、申し出があれば即刻離婚(りこん)はできるが。


「そうね。後から考えてみれば、彼、本当は罪悪感を持っていたのかも。なんの抵抗もなくサインしたしね。今、考えると許してあげればよかったかな?って思ってる。でも、あの時は頭に血が昇って(のぼって)いたからね。絶対に許せなかったのよね」

 そう言って。エカテリーナは長い嘆息(たんそく)をした。


「あんたたちも自分のフィアンセが絶対に大丈夫だと思わない方がいいわね。アイリスは、人間は理性を持っているから、他の動物とは違う、神に選ばれたものたちだ、と言っていたけど、やっぱり人間てどこか、獣の部分も持っているわね。私の夫の場合、本当に魔が刺した(まがさした)んだと思うわ。だから、人間が神に選ばれた種族である、と言う考え方はやめた方がいいわよね。どんな男でも間違い(ちがい)は犯すものよ」

 それでエカテリーナは、フゥと息を吐き出した。


「ジムが浮気(うわき)か」

 あの誠実(せいじつ)な顔を思い浮かべる。


「うーん。思いつかない」

「私も」

「ま、それが普通だね。と言うか相手を信用していないようじゃあ、結婚の約束はできないからね」


「そうですよね」

 私たちはそれから取り止めもない話を延々(えんえん)としながら、しかし、私はある決意を固めていた。


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