第14話 行き詰まる人々
「……」
会場を支配する重苦しい沈黙。
濃厚に立ちこめる鉄臭い血のにおい。
緊張に耐えられなくなった令嬢が、あちこちで、バタンバタンと倒れる。
こみあげる吐き気にうずくまる者もいる。既に吐いている者も。
だが、誰も助けようとはしない。
そんな余裕はない。
老兵は、王太子の前にぬかずき、命令を待っている。
ひとりだけ淡々と、与えられた任務を遂行している。
「……」
王太子は立ち尽くし、口を開きかけては何も言わず閉じる動作を繰り返している。
ヒロインは懸命に考えているようだが、額に浮かぶ汗がいい思案が浮かばぬことを示している。
側近達も、たまに顔を見合わせ、ちらっと老兵を見ては、恐ろしいモノを見てしまったとでもいう風に視線をそらしている。
王太子とヒロイン達は行き詰まっていた。
目の前の老兵に命令しようにも、名前すら判らない。
いや、名前なら「その方、名を何という」とでも聞けばいい。
だが、そう聞いてしまったら、そのまま黙っているわけにはいかない。
次には、彼に命令をすることになるのだが、それが出来ない。
もし、間違った命令を下してしまえば、あの恐ろしい『指導』が向けられるかもしれないのだ。
近衛隊長に平気で『指導』をした男だ。
王太子と言えど『指導』される恐れがないとは断言できない。
王太子の頭にあるのは『後悔』の文字だ。
自分は高い身分高い地位だからこそ、国法を守るべきであったのだと。
破ることが可能であるとしても、せめて形式だけでも正当な手順を踏むべきだったのだと。
法は、足枷ではなく、こういう混沌と恐怖から身を守ってくれるものでもあったのだ。
それを自ら率先して破ったのがこの結果なのだ。
だが、その『後悔』は、どうすべきかには繋がってはいない。
今、王太子は立ち尽くし、じっとりとした汗にまみれているばかりだった。
「……」
悪役令嬢もまた立ち尽くし、口元を鉄扇で隠したまま固まっていた。
悪役令嬢も、また行き詰まってしまっていたのだ。
先程試みた利益誘導の失敗が尾を引いている。
次に間違った言葉をかければ……あの恐ろしい『指導』が向けられるかも知れないのだ。
今まで彼女は、心のどこかで正義も法もバカにしていた。
力なき正義は、正義ではないと。
だがそれは自分に力があったから……いや、自分の立場に力があったからにすぎなかった。
目の前で剥き出しになった凶悪な力の前で、彼女は、ただ無力だった。
「……」
では、会場にいる他のやんごとなき人々はどうか?
ここにいるのは学園生である貴族の令息令嬢だけではない、その親や近親者であるやんごとなき人々が多数いる。この国の政治経済を動かす力がある者達もいる。
だが、残念ながら、彼らもまた行き詰まっていた。
王家派、悪役令嬢の実家である公爵家派、中立派。
だいたい3:2:5の割合であった。
ここで決定的に動いて属する派閥が優位なように事態を導けば、地位や力を飛躍的に向上させることが出来るだろう。
だが、その動きが、あの老兵によって国法に反していると判断されれば……あの恐ろしい『指導』が向けられるかもしれないのだ。
普通の状態であるなら、一下級兵士の存在など塵芥に等しい。
だが、異様な緊張と恐怖に支配された卒業パーティ会場では、その下級老兵士こそが支配者だった。近衛隊長の無残に破壊され僅かに痙攣し続ける肉塊が、それを無言で示している。
猛獣と同じ檻に入れられている心持ち。
今すぐにでも会場から逃げ出したい。
それが大多数の者の正直な思いだった。
だが、この場を離れるわけにはいかない。
この場を離れたあと、何か決定的な事が起きたとしたら……情勢の変化に遅れをとり、致命的な不利益を被る可能性があるからだ。
「……」
そして、この様子を隠し部屋から覗いている王と王妃そして第二王子もまた行き詰まっていた。
彼ら、中でも王にはこの事態を収拾出来る権限があった。
あの老兵に命令する権限を持っているのだから。
だが、出来ない。
当初の計画によれば、王は、悪役令嬢とその実家の処分を王太子に任せて、成功すれば後付けで認め、失敗したら王太子に全責任を被せるつもりだった。
失敗したのを確認したら、王と王妃は第二王子と共に現れ、王太子の廃嫡を宣言する。
内諾など、とぼけてしまえばいいのだ。
内諾と共に渡した文章も、いつもの印章とは僅かに異なる印章を押してある。
王太子は偽の印章まで作って騒ぎを起こそうとしていた。と、いう顛末だ。
王家にとってのリスクを最小限にするつもりだったのだ。
だが、事態は宙ぶらりんである。
王太子に都合良く進んでいるわけでもなく、悪役令嬢に都合良く進んでいるわけでもない。
事態を見極めようとグズグズしているウチに、権威を示す機会を逸してしまったのだ。
そして今や、あの老兵は『指導』という超法規的な力を手に入れてしまっている。
ここで事態収拾のために、王が姿を現したとしても、国法に反した言葉を吐いたら……
もしかしたら、万が一、ひょっとして、『指導』されてしまうかもしれない。
王は、この愚劇が終わったら、余計なことをした近衛隊長は一兵卒に降格だと考えていた。
収拾の機会を逸している以上、それは単なる現実逃避にすぎない。
いきなり。
その現実逃避が終わる時が来た。
「なっなぜ陛下がここに!?」
という驚愕の声に振り返ると、悪役令嬢のパパ公爵が立っていたのだ。
その背後には、完全武装の兵がずらりと並んでいる。
パパ公爵は、隠し通路から逃れてこない愛娘の安否を気遣う余り、兵を率い隠し通路を通りこの場へ現れたのだ。「パーティ会場は何度も警備してるんで、隅隅まで知ってますぜ」と自称していたチャラい男の案内のせいで少々迷子になってこの隠し部屋に到達したのは偶然だった。
王、王妃、第二王子の反応は、
「え……」
「は」
「ほへ」
3人と護衛達の頭上には、巨大な疑問符が浮かぶばかり。
その場の全員が一瞬だけ呆けていたが、今までの体験の差が運命を分ける。
悪役令嬢のパパ公爵は、日頃から裏家業に精を出しているだけあって、このわけがわからぬ事態に対しても立ち直りが早かった。すでに反逆して一線を越えていたからかもしれぬ。
「ええい! これは絶好の機会!
こいつらを討ち取った者には、たんまり褒美を弾むぞ!」
たんまり褒美という言葉に、パパ公爵の率いる兵らの顔に理解が浮かんだ。
大金の予感がゴロツキや無頼漢である彼らの意識を覚醒させたのだ。
兵らは呆然としたままの王家の面々と護衛に殺到し、無抵抗の家畜を屠るように討ち取った。
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