第13話 最後の勤務。


「ふんっ! ふんっ! とぉっ! たぁっっっ!」


 掛け声に合わせて宙を木剣が踊る。

 早朝の大気を鋭い振りが切り裂く。


 右手一本で1000回。

 左手一本で1000回。

 右手と左手で一本ずつ持って1000回。

 更に両手で1000回。


 周囲の空間全てを薙ぎ払い踊る。

 そして、動きを支える下半身は全くぶれることがない。


「ふぅ」


 当年65歳の老騎士は木剣の素振りを止め、長々と息を吐いた。

 湯気を纏わせた裸の上半身は、徹底的に鍛え抜かれ老いを感じさせない。


「最後の日はお務めもなしとはな……」


 狭い庭から見上げる冬の空は、どこまでも澄んでいた。

 その果てしない距離は、叶わなかった大望、騎士団隊長になるという夢を思わせる。


 44年前の戦では常に一騎がけで先陣を切り、敵の名だたる騎士を数名討ち取るという武勇をあげ、騎士見習いから正騎士となった。彼の未来は約束されていたかに見えた。


 だが、それ以降、得たものは何もなかった。


 老騎士は判ってはいる。

 判ってはいるのだ。


 自分のように剣を振るうしか能がない朴念仁は、何も掴めぬのだと。


 誰よりも剣に忠実だった彼は、剣を全身全霊を掛けた。

 どんな高位貴族の騎士にも遠慮をしなかった。

 彼の剣技と気迫を前にして、練兵場や競技場の地面に這いつくばらない者はいなかった。


 何度か勝ちを譲りさえすれば、輝かしい未来が開けていただろう。

 だが、出来なかった。

 老騎士は全ての誠実さを剣に捧げていた。

 誠実さを捧げると剣は応えてくれた。


 だが、剣は応えてくれても、老騎士が身を捧げた国は応えてくれなかった。


 彼はどこでも疎まれ。

 疎まれるだけでなく幾多の恨みを買った。

 闇討ちされた事も数え切れなかった。


 剣は応えてくれた。

 そのことごとくを退けてくれた。


 そうして、いつしか闇討ちすらされなくなった。

 配置換えで競技会には出られなくなるし、練兵場からも遠ざけられた。

 いつしか騎士とは名ばかりとなり、公式には騎乗することすらなくなった。

 剣以外の全てが彼を疎んじた。


 65になっても、彼は平の騎士のままだった。

 公式の任務で騎乗する機会がないのだから、騎士とすら言えない存在だった。


 王都の門番、王宮の警護、王立学園の庭の警備……回されるのは華やかさと無縁である薄給の仕事ばかり。しかもそれらの任務でも、厳密に法を適用した結果、苦情と誹謗の嵐を浴び、ついには人が滅多に来ない王立学園の裏庭の警備に回された。


 出世と縁のない彼を妻は捨てて、若い公爵の愛人となった。


 妻が出て行った朝も、彼は剣を振るっていた。

 心は平静だった。


 ああ、これでは、妻が出て行くわけだ。


 そう思った。


 妻がいなくなると、彼には剣以外なにもなかった。

 いや、もともと剣以外何もなかったのだ。

 さらに妻を愛人にした侯爵が手を回した結果、彼の有責で離婚が成立し、莫大な慰謝料も毟り取られた。


 彼は家屋敷を売り、愛馬を売り、無一文となり、スラムの一角で暮らすようになった。


 数人いた従者にも暇を出し、全てを自分でするようになった。


 彼はひとり、いつかふるうかもしれない剣のためだけに生き続けた。

 それが彼だった。


 だが国は平和だった。平和は続いた。

 44年前の戦争など、誰もが忘れ果てた。


 55の時。彼は王立学園の裏庭で濃厚な肉体的な接触を行っていたカップルを摘発した。片方は婚約者がいる伯爵令息だった。

 全てはもみ消され、彼は更に人のいない裏庭の隅に配置された。


 65になり、無理矢理引退させられた。


 新しい血を入れるためだ。老いぼれはいらない。と贅肉だらけの若い騎士団長はうそぶいた。

 老騎士は正規の手続きを要求した。若い騎士団長は面倒そうにそれを実行した。

 老騎士の引退手続きは法規上問題のない形で粛々と行われた。


 老騎士は引退した。心は平静だった。


 引退したとしても自分は何も変わらないからだ。

 死ぬまで、全てをいつの日か剣をふるために、剣に身を捧げ続けるのだ。


 そして今日が最後の任務。


 本来はないはずだったのだが、昼間、若い兵士がやってきた。


 老騎士と違って要領がよくて、周りにも好かれている今時の若者だ。

 急な怪我をしたので、仕事を代わってくれと言いにきたのだ。


 片腕に包帯を巻いていたが、怪我などしていないことを老騎士は見抜いた。

 このチャラい要領のよい若者は、女にもそこそこもてているようだから、恐らくその関係で仕事をさぼるつもりなのだろう、と当たりをつけた。


 本来の老騎士であれば、拒んだだろう。

 だが、最後まで兵として国に仕えたいという心が、仕事を引き受けさせたのだ。


 仕事は、王立学園卒業式と、その後の祝賀会の警護だった。


 彼はいつものように、粗末だが栄養価の考えられた食事を作り、食べ。

 黙々と訓練をし。

 44年つれそった愛剣を手入れした。


 44年前に人の血を吸った剣は、その輝きのまま彼の傍らにあった。


 剣は、彼の分身に等しかった。

 今では持っていない時でも、彼の体の一部だ。

 

 44年間抜かれない剣。

 44年間力を発揮出来ない彼。


 夜になると、常に手入れを怠らない装具を身に纏い、最後の仕事へ出かけた。


 祝賀会の会場は華やかだった。


 老騎士は気配を消し、置物のようにただ立っていた。

 実際、高位の者達やその子弟達にとって、警護の老騎士は置物のようなものでしかなかった。


 たまに老騎士に目をとめる者がいても、その視線は侮蔑。

 骨董品。高齢になっても平兵士のままである無能。

 僅かに事情を知っている者ならば、妻に逃げられた間抜け。粗忽者と。


 44年前の功績などはとうに忘れ去られていた。


 だが、老騎士は何も感じなかった。

 お互いが、別の世界に住んでいる人のようだった。


 最後の仕事も、淡々と終わるかと思われたその時。


「アルヘンシラス公爵令嬢ワルキュラ! 

 嫉妬に駆られたお前の数々の所業! 全て露見している!

 その醜悪さ、独善、残忍、卑劣、どれをとっても王太子妃としてふさわしくない!」


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