第11話 指導!

「力なき正義など意味がないのだ! 老い先短い身で覚えておけ!」


 老人は、よろよろと立ち上がった。


「軍隊内での暴力行為は禁じられておりますぞ」


「まだ言うか。暴力ではない指導だ」


 老人は驚いたように目を見開いた。


「……もしかして閣下は、指導ならいくらしても権限のうちであると仰っているのですか」


「そうだ」


「ですが指導という言葉は軍規にはありませぬ。

 公式の罰でないとすれば、指導をするしないは、個人の判断で行って構わないと。そういうことですか?」


「そうだ。これは罰ではないあくまで指導だ」


「では、閣下が間違っていると私が判断したのなら、私が閣下を指導してもよろしいのでしょうか?」


 近衛隊長は、鼻先で嗤った。


「できるものならな。やってみるがいい。お前ごとき貧弱がオレ――ぐげぇぇぇぇ」


 近衛隊長の巨体は吹き飛ばされた。

 口から歯と血を飛び散らせながら、会場を飛行して、並んだテーブルの豪勢な料理を薙ぎ払い薙ぎ倒し、真紅の絨毯の上、ぶざまに大の字となる。


 会場は異様な静寂に包まれた。


 状況からして、小柄な老人が近衛隊長の巨体を殴り飛ばしたとしか考えられぬ。

 だが会場の誰一人として、老人の動作を視認できたものはいなかったのだ。


「ふむ。近衛隊長殿はずいぶんと軽いのだな。この程度でこれほど飛ぶとはの」


 老兵はつかつかと近衛隊長に近づくと、


「きっ、キサマァァ! 何をしたか判って――げふうぐぅ!」


 老兵のかかとが、贅肉と脂肪の塊でしかない巨体へめり込む。

 近衛隊長の口から血が噴き出したのは、内臓をやられたからだろう。


「指導でございます。

 閣下は、力があれば正義に意味があると教えてくださいました。

 浅学である私めはこの歳になるまで存じませんでした。ありがとうございます。

 なるほど。自己の判断で正邪を判断するのは許される行為なのでありますか。

 目を開かれた思いで御座います」


 そのまま近衛隊長の巨躯に馬乗りになると、


「なっ、なにを、お、オレはこっ近衛隊長なのだぞっ!

 おっお前のようなゴミなどと比較にならぬ存在なのだぞぉっ!」


 近衛隊長は懸命にもがき老人を振り落とそうとするが、相手は微動だにしない。

 恐怖の余り見開き血走った目を、ほほえみさえ浮かべながら覗き込む老人。


「ありがとうございます。

 なるほど。昔から、こうやれば良かったのですな」


 ボキグというイヤな音が響き、近衛隊長の下顎が砕け散った。


 開ききった血まみれの口から飛び散った血の中には、前歯が数本混じっていた。


 静まりかえった会場に、その音は大きく響いた。


「ひっっ……」


 ヒロインが白目を剥いて気絶した。

 王太子の側近のひとりは失禁し、座り込んでしまった。


「ご指導肝に銘じておきます。ありがとうございます。

 閣下の判断は、越権行為であると私が判断しました。

 よって、指導をさせていただきます」


 次の拳で、肩の辺りから何か引き裂ける音が響いた。

 恐らく靱帯が断裂したのだろう。

 下顎を潰された近衛隊長は、悲鳴すらあげられない。


「ありがとうございます」


 更に次の拳で、顔面が潰れ、見開いたままの眼が、ぐるんと白目になった。

 意識が飛んだのだ。

 近衛隊長の顔は、今や単なる真っ赤な肉塊だった。


「指導で御座います。

 下級兵士が上官に指導してはいけないとも軍規にはありませぬ。

 近衛隊長でありやんごとなき身分であるお方が、二度と違法行為などしてはいけませんぞ」


 次の拳もまた重く鋭く深かった。

 もう一方の肩が砕かれた。


 真っ赤な肉塊の中央から、血混じりのあぶくがふきだされていた。


 老兵が繰り出す圧倒的な暴力には、憎悪や怨念がこめられているようにしか見えない。まごうことなく私刑であろう。

 だが、それを率先して実践して見せたのは近衛隊長であった。

 そして、それを誰も止めなかった。全員が肯定したのだ。

 身の程知らずに強者に逆らう老兵を内心嘲っていたのだ。


 それゆえ老兵の圧倒的な暴力を止められる者もいない。


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