殺人令嬢の殺り直し。「真実の愛が芽生えた」と婚約破棄してきた王子の口を物理的に封じてみました。

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殺人令嬢の殺り直し。

 

「悪いな、セシリア! 僕はクラリッサとの真実の愛を貫くために、君との婚約を破棄す――ガフッ!?」


 王城で開かれた結納パーティーが終盤に差し掛かった頃。アルフレッド王太子殿下は私との婚約を破棄しようと、壇上ステージおどり出ていた。


 しかし彼の口から出てきたのは、婚約破棄の言葉ではなく、葡萄酒のように赤い液体だった。



「ゴホッ。なんだよ、これ……セシリア、何故こんなことを……」


 王子は苦しそうに口元を押さえながら、ガクリと膝から崩れ落ちる。


 国宝"リードモニッシュ"。

 新郎新婦に永遠の愛をもたらすとされる宝刀は今、凶器として王子の胸に突き立てられ、彼の命を奪おうとしていた。



「何故、と申されましても……アルフレッド様は身に覚えがございませんの?」


 彼は自身に起きたことがまだ信じられないようで、床に転がりながらアイスブルーの瞳を大きく見開いている。どうせ私のことを虫も殺せない、か弱い侯爵令嬢だと思っていたのでしょう。


 そばにいたクラリッサ嬢や他の来場客たちも、驚きのあまり一言も発せずにいる。そんな周囲の様子を、私は冷めた表情で眺めていた。



 とめどなく流れ出るアルフレッド王子の尊い血。彼の美しい金髪や純白の衣装が、血の海にゆらゆらと浮かんでいる。これじゃあ王国一と名高い美男子も形無しね。



「手癖が悪くてごめんなさい、アルフレッド様。でも私、貴方の戯言ざれごとを最後まで聞く気になれなくて……」


 私は血に濡れた手をハンカチでぬぐいながら、王子に非礼を詫びる。


 刃は肋骨を避けて心の臓に刺し込んでおいたから、万が一にも助かることはないでしょう。経験と感覚で分かる。確実に息の根を止めるため、何度も実戦で身に着けた技術だ。ふふっ、我ながら惚れ惚れする一撃だったわね。


 こうして自画自賛をしている間も、彼は何やらうわ言を呟いている。しかしそれも次第に弱まり、やがてアルフレッド王子の瞳から光が消えていった。



「はぁ、今回も駄目でしたわね。仕方ありませんわ。


 ハァと嘆息しながら、私は慣れた手つきで王子の胸元から宝飾のついた小刀を抜き取る。宝刀リードモニッシュは刃こぼれすることもなく、血に濡れて妖しく輝いていた。いつ見ても本当に不思議な小刀ね。



「あ、貴方……いったい何をしたのか、分かっているの!?」

「あら、クラリッサ様。ようやくお話できるようになりましたか? えぇ、もちろん存じておりますとも」


 そう言って私は小首を傾げ、淑女らしく上品な微笑みを浮かべてみせる。そして手に持っていた宝刀をサッと差し出して見せた。するとクラリッサ嬢の可愛らしい顔がサッと青ざめていく。


 彼女はアルフレッド王子付きのメイドでありながら、彼の心を射止めた悪女である。今回の婚約破棄騒動も、半分はこの女の謀略によるものだ。


 だけどさすがの悪女も、殺人鬼を目の前にしては恐怖を隠せないのか、ブルブルと身体を小刻みに震わせている。


 ふふっ、そりゃそうよね。次に狙われる人物がいるとすれば、それは貴方なんだもの。



「ひっ!? こ、こっちに来ないで……!!」

「それでは、ここでお別れですクラリッサ様。もしこの世界に続きがありましたら、どうか貴方に幸せな未来が訪れますように」


 私は最期の言葉を優しく掛けると、右手に握っていた刃物をくるりと返し、自分の方へと向けた。


 その瞬間、クラリッサ様が「あっ」と言葉を漏らす。だけど私は一切の躊躇ためらいいもなく、小刀を自身の胸へと押し込んだ。


 痛みと共に、何度も見慣れた闇が私を包み込んでいく――。



 ◇


 私はアスター侯爵家の長女として生まれた、生粋の貴族令嬢だった。

 豪華な家に住み、贅を尽くした食事を食べ、何不自由なく育ってきた。服なんて同じものを二度以上着たことが無いし、欲しいものがあれば何でも手に入った。


 当時の私は、“自分は尊い存在なのだ”と信じて疑わなかった。そしていつかは素敵な殿方と一緒になり、幸せな結婚生活を送るのだと。……そう。私は貴族にありがちな、ただの世間知らずの子供だった。



「私の可愛い娘、セシリア。これからは王妃として相応しい淑女となるのですよ」


 そんな優雅な暮らしも唐突に終わりを迎える。この国の王太子であるアルフレッド王子との婚約が決まったのだ。



 その日を境に、周囲が私に向ける視線が変わった。侯爵家の娘から次期王妃へと変わったのだから、それも当然よね。


 婚約が決まって一番悲しかったのは、誰も私の幸せなんて願っていないと分かったこと。家族も友人も、生まれた時から権力欲に溺れた貴族思想に染まっていた。


 ドス黒い欲にまみれた目に晒された私は、ようやく自分が置かれた立場を理解し、恐怖した。



 それでも私は期待に応えさえすれば、皆が元のように接してくれると信じていた。いえ、その時はそうだと信じて縋るしかなかったのだ。


 ――しかしそんな私を待っていたのは、王妃教育という名の無情な折檻だった。



「どうしてこんなこともできないの!」

「許してお母様!! わたし、頑張るから……!!」


 作法から歴史、数学や法律など。果ては護身術まで、ありとあらゆるものを小さな身体に叩き込まれた。少しでも出来が悪ければ、母から容赦のない鞭が飛んだ。いくら泣き喚いても、誰ひとり助けてはくれなかった。



 立派な淑女となるための修行は、寝ても覚めても行われ、社交界では貴族の嫉妬や嫌味で精神をすり減らす日々。


 それでも婚約者であるアルフレッド王子だけは私を見てくれていた。頑張る私のそばに居て、私の手を取って微笑んでくれた。それだけが、私に残された最後の生き甲斐だった。



 そうして六年の歳月が経ち、私や王子は十六歳となった。

 待ちに待った結納の儀式である。私たちはこの儀式で神に愛を誓い、国内の貴族たちに次代の王や王妃の姿を披露する。


 この日を待ち望んでいた。これでようやく、私の努力が報われる。




 だけどあのアルフレッド王子は、いつも通りの素敵な笑顔で、私に婚約破棄を突き付けた。どこの誰かも分からない女との真実の愛をうたって。


 私は信じられなかった。だってずっと努力してきたのよ?


 なのに周囲の人間たちは王子の語る熱い愛に心を打たれ、次々と拍手を送っていく。

 王子と女が抱き合う姿。その光景を目の当たりにした私は、気付けば宝刀リードモニッシュを手に取っていた。


 すべてに裏切られた私の頭の中は、怒りの感情でいっぱいだった。意識が朦朧とし、呼吸もできないほどに苦しい。無我夢中で何かを叫んでいたみたいだったけれど、それも途中で記憶が飛んでしまった。



 再び意識が戻ったとき。

 私の足元では、王子が胸から血を流して事切れていた。


 自分の犯した罪に気付いた時には、もう遅かった。次代の王を殺したとあれば、処刑は免れない。


 震える手から、自分のものではない赤い液体がポタポタとしたたり落ちる。



「私の……私のドレスが……」


 真っ白だったドレスが赤く濡れている。ずっと憧れていた、私の花嫁衣裳が……。



 もう、何もかも終わりにしよう。

 悲鳴と怒号が飛び交う中。絶望に染まった私は、震える手でリードモニッシュを握り、自分の心臓をえぐった。痛くて痛くて、凄く苦しかったけれど。これで地獄の日々から解放されると思えば、安らぎすら覚えた。



 ――だけどこれは、ただの始まりにしか過ぎなかった。





「ど、どうして死んでいないの!?」


 眠りから目を覚ますように目蓋まぶたを開けると、そこには不安そうに私を見るアルフレッド王子の顔があった。それもだいぶ幼い姿で、だ。



「だいじょうぶ? 急に倒れたから心配したんだよ?」

「え? えぇ、ちょっと貧血を起こしたみたいですわ」


 戸惑いつつも身体を起こすと、見慣れた家具が目に入った。どうやら私は侯爵家のベッドに寝かされていたようだ。


 私はこの状況を見て、すぐに理解した。


(これは俗に言う、死に戻りというやつかしら。昔、何かの小説で読んだことがあるわ。そしてキッカケは……アレしかないわよね)


 どうやら“宝刀リードモニッシュ”を用いると、時が巻き戻されるようだ。おそらくその条件は、婚約者の心臓を刺してから、自分の心臓を刺すということ。



「ねぇ、本当にだいじょうぶなの? 顔色がすっごく悪いよ?」

「ひっ……」


 何も知らず、無垢な笑顔を向ける王子。私はそんな彼がとても恐ろしく感じた。

 適当な理由をつけて部屋から王子を追い出すと、私はお父様に掛け合って、婚約を無かったことにしてほしいと泣きついた。



 だけどあの未来は私を逃がしてはくれなかった。

 ありとあらゆる手を尽くしてアルフレッド王子との婚約を破棄しようとしても、何故か上手くいかない。


 どんな手段を使っても、必ずどこかの段階で王子は私に好意を抱く。それなのに、なぜか婚約パーティーで起きる結末は変わらない。




 一度目のやり直し。

 先手を打ってクラリッサを虐め、アルフレッド王子から遠ざけようとした。


 でも王子の彼女に対する恋心が余計に燃え上がっただけで、逆効果だった。見ていて腹が立ったので、王子を滅多刺しにした。



 今度は徹底的に無視することにした。すると今度は私に異様な執着を向けてきた。王子が用意した部屋に監禁され、外へ出してもらえなくなった。

 二度目は彼に従順になったフリをして、どうにか殺した。



 三度目。四度五度と繰り返しても、結果は同じ。それでも私は諦めずに、何度も何度も同じことを繰り返した。



「もうなんなのよ……どうしたいのよアイツは……!!」


 何をしても無駄だった。どう足掻いても、あの人は私を不幸にする。


 もはや習慣ルーティーンのように死に戻りを繰り返す。気付けば私は、何の躊躇いもなく彼を殺せるようになってしまっていた。




 ……幾度目かも分からない結納の儀。

 いつものやり取りを交わし、再びその時がやって来た。



「セシリア。僕は君を――」


 ここまで来ると、もはや何の感情も湧いてこない。

 結納の儀式を取り仕切っている神官の手から“リードモニッシュ”を奪い去ると、王子の眼前へと素早く詰め寄る。


 そしていつものように、小刀を王子の胸部へと突き出した――が。



「クッ、なにを……」

「――えっ?」


 私は油断しきっていた。

 ひ弱な彼に後れを取るなんて、思いもよらなかった。


 アルフレッド王子に小刀を持った手首をとられ、そのまま押し倒されてしまう。そしてもみ合ううちにナイフの刃先が自分に返り……。



「セシリア! おい、しっかりしろ!」

「うぅ……」


 あれ? もしかして、これってまずいのでは……?


 いつもとは違う最期。

 覆いかぶさる彼の体温を感じながら、私の意識は遠のいていった。



 ◇


 僕の婚約者はどこか不思議な女性だった。


 初めて会った時のセシリアは十歳とは思えないほどに大人びていて、その物腰からは上品さが漂っていた。



「アルフレッド様、短い間ですがよろしくお願いいたします」

「こちらこそ……え、短い間?」


 最初の会話はたしか、こんな感じだったと思う。

 結婚すれば長い間一緒に居ることになるはずなのに、短い間っていうのもおかしな言い回しだと、当時の僕はそう思った。



「ねぇ、クラリッサ。僕ってセシリアに嫌われているのかなぁ?」


 その日、王城に帰ってきた僕は、着替えを手伝ってくれているメイドのクラリッサにそう訊ねた。



「何をおっしゃるのですか。殿下を嫌うご令嬢なんていませんよ」

「でも自分からは全然話してくれないし、避けられてる気がするんだよね」

「殿下といると、緊張してしまうのではないでしょうか」

「うーん、そうなのかな……」


 クラリッサは僕をマネキンに見立てて、テキパキと服を着せていく。最初は女性の前で下着姿になるのは恥ずかしかったけれど、今となっては慣れたものだ。



「心配はいりませんよ。殿下はこの国一番の美男子。婚約者の方も、いずれ心を開くでしょう」

「あはは。相変わらずキミは僕を褒めるのが上手いね」

「いえいえ、これは本心ですよ?」


 歳の近い彼女は僕にとって一番の理解者だ。

 なにやら特別な事情があって僕付きのメイドをやっているみたいだけれど……彼女は他のメイドと違って僕を恐れないし、親身に接してくれている。彼女を僕にと推薦してくれた父上には感謝しかない。



「あぁーあ、クラリッサが僕のお嫁さんだったら良かったのに」

「あら、それを婚約者様が聞いたら嫉妬してしまいますわよ?」

「……僕の本心なのに」

「ふふふっ、これは一本取られましたわね」


 着替えが終わると、クラリッサは僕の手を取って甲に口付けを落とした。配下が忠誠を誓う時にする行為だけれど、僕は不思議と胸が高鳴るのを覚えた。



「ですが、王族の結婚は平民のする色恋とは異なります。殿下もそろそろ自覚をお持ちになってくださいませ」

「……分かってるよ」


 僕は大きな溜め息を吐く。あの一筋縄ではいかなさそうな婚約者とどうやって付き合おうか。しばらくは頭を悩ませることになりそうだ。




 だけどそんな不安とは裏腹に、セシリアとの婚約者ごっこはそれほど悪くはなかった。


 他の貴族令嬢と違って、貼りつけたような笑顔や歯の浮いた褒め台詞の応酬も無い。素のままの自分で接することができた。




「アルフレッド様、次の年には冷害が予想されます。麦の価格を今の内に調整した方がよろしいかと」

「む、そうなのか……たしかに今年の天候は妙だという報告があったが」



 時には一緒に政務を行うこともあった。

 彼女は非常に優秀で、僕よりもよっぽど王に相応しいと思えた。


 そして彼女の予測はどれも当たる。それはもう、恐ろしいほどに。



「アルフレッド様。今の貴方はまだ足りないものが多いです。どうか王となる自覚をお持ちになってください」

「……君に言われなくても分かってるよ」


 クラリッサと同じ言葉。なのに彼女から言われると、なぜか反抗心が湧く。



(――どうせ僕の事なんて、何も知らない癖に)


 抱いたそんな想いに反して、彼女は僕の言動を何でも予想してみせた。理解されることが、こんなにも恐ろしいなんて思いもよらなかった。


 数年が経ち、結納の儀を迎える頃には愛情よりも恐怖が上回っていた。



 そして始まった結納パーティー。その最後に行われる結納の儀で、僕は彼女に婚約破棄を突き付けるつもりだった。


 クラリッサが王族の血を引く庶子だったのだ。

 僕は王である父を説得し、裏で彼女と婚姻するための工作を始めた。


 意外にもそれは上手くいき、苦労してセシリアの父である侯爵も味方に引き入れた。


 あとは本人セシリアにその事実を突きつけるだけ。そのはずだったのに――。



「クッ、なにを……」

「えっ……?」


 式の途中で突然、隣にいたセシリアに殺意を向けられた。

 動きにくいドレスを着ているにもかかわらず、彼女は手馴れた様子で神官から小刀を奪い取り、僕に向かって飛び込んできたのだ。



「や、やめ……」


 事故だった。いや、あれは神が僕にもたらした奇跡だったのかもしれない。


 僕は向かってくる彼女の手首を咄嗟とっさつかみ、そのまま抑え込もうとした。だけど互いに足が絡み合い、そのまま前へ倒れてしまった。


 そして宝刀“リードモニッシュ”が彼女の胸元へと吸い込まれていく。



「あぁ、セシリア……どうしてこんなことを……」

「アル……フ……」


 驚きに目を見開くセシリア。

 だけど僕の問いに答えることもなく、あっという間に彼女は死んでしまった。



「ヒッ……!?」

「クラリッサ……?」


 ふと我に返り、赤く滲む視界で最愛の人を見る。だけど彼女は僕を見て小さく悲鳴を上げた。



「ひ、人殺しっ!!」

「待ってくれ、クラリッサ。これは事故で……」

「い、いや!! それ以上こっちに来ないで!!」


 愛する女性からの拒絶。気付けば周囲の人たちも僕を恐ろしい目で見ていた。衛兵は抜刀して父を護っている。僕を庇ってくれる人は誰ひとり現れない。


 この時ようやく、自分が人を殺めたのだという実感が心に強くし掛かった。



「は、ははっ……はははは!!」


 こんなものか。これが僕の信じた真実の愛なのか。

 誰も彼もが手の平返し。明日には僕の悪評はちまたを騒がすだろう。



「なら、もう少し盛り上げてやろうじゃないか」


 こうなれば自棄やけだ。

 僕はパーティー会場の中心で、自身の胸を“リードモニッシュ”で貫いた。




 ――これはいったい、どういうことだ。

 血で染まった手も、服も元通りになっている。いや、全体的に身体が幼くなっているのか?



「アルフレッド様、短い間ですがよろしくお願いいたします」

「――っ!? どうしてセシリアが……」


 驚いた弾みで、僕は尻もちをついてしまった。

 なにしろ、目の前にセシリアが何食わぬ顔で立っていたのだ。銀糸のような髪、鋭い切れ目。柔らかな花の匂い。間違いない、この少女は僕を殺そうとしてきたセシリアだ。



 だけど彼女の胸元には、僕がつけたはずの傷痕が無い。というより、彼女の見た目も僕と同じくらい若返っている。


 なんなのだ、これは。もしかしてここは、死後の世界なのだろうか。



「……? 頭でも打ちましたか?」


 キョトン、とした顔で僕に右手を差し出してきた。その動作が、小刀を握って僕を殺そうとした時の光景と重なった。


 恐ろしくなった僕はその手を払うと、這いつくばるようにしてその場から逃げ出した。



「どうされたのですか、アルフレッド様。そんなに慌てて……」


 王城に戻り、廊下を早足で駆けていた僕に声を掛けたのは、愛するクラリッサだった。彼女は黒い瞳で僕を心配そうに見つめている。



「……いや、大丈夫。なんでもないよ」

「そうですか? 随分と汗だくですが……今から部屋に着替えをお持ちしますね」


 メイド服姿の彼女は不思議そうに首を傾げると、踵を返して去っていった。


 それを見届けた後、僕は廊下の壁に背中を預けながらズルズルと崩れ落ちた。



「やはり時が戻っている……だが、いったい何故……」


 思い当たるのは、あの小刀で自害したことだ。

 あの行為がキッカケで、死に戻りをしてしまったとしか考えられない。



「いや、これは好機チャンスかもしれない。天が僕にやり直せと機会を与えてくださったのだ……」


 だけどセシリアとの婚約は既に決まってしまっている。破棄するにも、何か理由を作らねばならないだろう。



「よし、セシリアを調査してみよう。あんな恐ろしい性格を隠し持っていたんだ。陰で悪事のひとつでもしているはず」


 解決策は見えた。あとは実行するだけ。

 その場から立ち上がると、今度こそは失敗しないと僕は神に誓った。





「はぁ、駄目だ。どうやってもセシリアの悪事を見つけられない」


 何度死に戻りを繰り返しても、彼女の悪い所なんてひとつも見付からなかった。


 顔の良い知り合いを使って誘惑しても相手にしない、有能な商売人に金になる話を持ち掛けさせても首を縦に振らない。泣き落とし、可愛い動物、贈り物、その他に何をやっても、彼女は尻尾を出すことは無かった。いや、動物だけにはちょっと心が動きかけていたかな?



「というより……彼女を知れば知るほど、彼女が完璧に見えてきたのはどういうことだ?」


 これでは婚約を破棄できないではないか。

 だけど僕は諦めるわけにはいかない。考えに考えた末、別のアプローチを取ることにした。


(六年という猶予期間を使って、自分を変えてみよう)


 ああ、どうしてこんな単純なことに気が付かなかったのだろう。そもそもセシリアが僕を殺す気にならなければ、あんな悲劇も起きないじゃないか。


 こうして僕の自分磨きが始まった――。




「セシリア、良ければ君がやっている勉強を僕に教えてくれないか?」

「……アルフレッド様、また何か変なものを食べましたか?」


 またってなんだ、またって。

 思わず口元が引き攣りそうになるのを我慢して、僕は彼女の隣りの席に座った。ここは彼女が住む侯爵邸の書斎だ。何かの勉強をするときは、彼女はいつもここで本を開いている。



「いいですけれど、私の邪魔はしないでくださいね」

「……分かった」


 随分と冷たい態度だけれど、仕方がない。



「……はぁ」


 思いついた時は良案だと思ったんだけど、今回も駄目かもしれないな。少し憂鬱な気分になり、溜め息を吐く。……と思ったら、僕が読み始めた本を隣にいたセシリアが覗き込んでいた。



「アルフレッド様の知識量なら、その本よりもこちらの方が分かりやすいですよ。これを読んでからお試しになられては」

「そ、そうなのか?」

「えぇ。分からない部分がありましたら、遠慮なく申し付けてくださいね」

「お、おう。ありがとう……」


 あれ? もしや彼女って、案外面倒見が良いのか?

 その後どんな質問をしてもセシリアは丁寧に答えてくれたし、教え方も上手だった。


 それから僕は、なるべく彼女と一緒に勉強するようになった。王城へ帰った後もクラリッサからのお茶のお誘いを断って、夜遅くまで図書室に篭もる日々。


 王として相応しくなれるよう、全力で頑張った。



 ――だけど、今回も駄目だったようだ。油断したつもりはなかったんだけれど、今度は彼女の方が上手うわてだった。



「まさか、クラリッサを味方に引き入れているとは思わなかったよ」


 あらかじめ小刀を偽物とすり替えた。そして本物はクラリッサに預けておいたはずなのに、なぜか結納の儀ではセシリアが持っていた。どうやら僕とクラリッサの信頼関係を逆手にとったらしい。



「今回のアルフレッド様は侮れないと思いまして」

「ふふ、そうか……」


 薄れゆく意識の中で、ふと疑問が湧いた。


(セシリアは今回の、と言ったか……? もしや僕を殺すのは初めてではなかった??)


 考えてみると彼女には謎が多い。

 勉強だけじゃない。作法やダンス、剣や武術の扱いにまで手を出している。


 王妃になるため? どうしてそこまでその座にこだわる? いったい何が彼女をそこまで追い詰めていたのだろう。


 いや、そもそもどうしてセシリアは僕を殺したがるんだ?



「ごめんなさい、アルフレッド様」


 初めて見る、涙に濡れた瞳。

 もしかしたら僕は彼女のことを知っているようで、何も知らなかったのかもしれない。


(いや、知ろうともしてこなかったのか……)


 そう思うと、震える唇が勝手に言葉を紡ぎ始めた。



「セシリア……もし次のチャンスがあるとしたら……今度は君自身のことをもっと教えてくれ。そうしたら、きっと僕も……」

「次のチャンス……? ま、まさか――」


 彼女は何かを言おうとしていたようだったが、その前に僕の意識は完全に途絶えた。



 ◆


 私はどうしようもない馬鹿だ。

 自分だけが被害者で、自分だけが正しい。己が助かる方法だけを考え、そして彼を手に掛け続けていた。



「はは……私はなんてことを」


 いつも通り六年前に戻っても、彼の最期の言葉が頭から離れない。


『君自身のことを僕に教えてくれ』


 その言葉で理解した。ようやく気付いた。私は何ひとつアルフレッド様に自分の事を話してこなかった。話そうともしなかった。


 どれだけ苦労したかも、辛かったかも。鞭で打たれた痛みで眠れない夜を過ごしたことも。どんな男性が好みで、どんな本で夢中になったのか。自分の好きな食べ物の話すらしてこなかった。


 賢くなって、大人になったつもりで、何ひとつ成長していなかったんだ。

 愛されないのは相手のせい。理解してもらえないのも、全部周りが悪い。そんなのは子供の理屈だ。自分からは相手のことを理解しようとも、されようとも思っていなかったくせに。


 自分が繰り返してきた未来を思い返し、過去の身勝手な振舞いを後悔した。



「どうしたんだい、セシリア」


 そんな私に、アルフレッド様が微笑みかけてきた。いつもと変わらない……いえ、思えば最初に会った時よりも、瞳に宿る力が強くなったような?



「何でも……いえ、少し話をしませんかアルフレッド様」

「話? それは勉強の話かい?」


 私は首を横に振った。



「夢……私が見た、夢の世界での話を」




 そうして六年の月日が経った。



「好きだ。愛している、セシリア」


 結納の儀で、彼は私の目を見てそう言った。王子が大衆の前で婚約者に愛の告白をするというのは前代未聞だ。国王陛下を始めとした人たちが、驚きの声を上げる。



「たしかに僕らは――夢の中で幾度となく殺し合ったけれど、その理由も今では納得できた。すべてを踏まえた上で、僕は一人の女性として君を愛している。結婚してほしい」


 そう言ってアルフレッド様は私に小刀を手渡した。これは相手に自分のすべてをゆだねる、そういう意味を込めた儀式だ。だから私も受け取ったばかりの小刀を彼に贈り返す。これで、結納は無事に終了となった。



 私は今、どんな顔をしているのだろうか。

 嬉しいのか悲しいのか分からない。だけど、これだけは言える。


 あぁ……やっとこの人と共に生きられる。


 何度も、何度も、やり直して。

 何度殺されても、また貴方は私の前に現れて――。



「死が僕らを分かつその時も」

「えぇ、死んでも私たちは一緒よ。だけどやり直しはもう要らないわね」


 お互いにニッコリと笑うと、私たちはそっと口を重ね合わせた。





「真実の愛が芽生えた」と婚約破棄してきた王子の口を物理的に封じてみました。〜Fin〜

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