第22話 どっちつかずの悩み
ちょっと相手をしてやってくれ――。
暗殺稼業の取り締まりである老婆、エツカからそう言われて迎えた少女は、プリュウの同級生。つまりレーゲンやリムリアにとっては三つ上で、あと二年で卒業する学生でもある。
スカーフを口元に巻き、両手に持ったナイフで軽快に攻撃を仕掛けるスタイル。今日が二度目の顔合わせだが、戦闘訓練は初めて。
仕切り直しはもう、何度目になるだろうか。
レーゲンは左手に短刀を持っている。ナイフと同じくらいのサイズで、先端はやや曲がっており、ちょうど手首から肘に届かないくらいの長さになっていて、自然体で立たった時、逆手で持つと腕に隠れて見えないのだ。
接敵した時には、すれ違うよう腕を出すだけで切断することができる――鍛錬用で刃が潰されているため、怪我はしないが、終わるのはいつだって致命傷になるやり方だった。
接近して振ったナイフを避けながら、彼女――ミオの袖を軽く左手の指で引っ張り、姿勢を崩すための足払いを仕掛けたあと、倒れ込もうとするミオの首に右手がかかった時点で、既に、左の短刀は握りをそのまま突き付けるよう額にぴたりと当たり、彼女は地面に倒れた。
「ん」
レーゲンは立ち上がるが、ミオは両手を広げて倒れたままだ。
「……なんでぇ? これでも、ばあちゃんの、愛弟子なんだけど」
「あ? そんなことは知らねェが、経験不足だな」
一区切りか。
レーゲンの家の庭、結界が張られているこの場所で、椅子に座って観戦していたログリッテは、そこで立ち上がった。
「レーゲン、休む前に一度だけ頼む」
「いいぜ。おら立てミオ、邪魔」
「んもう……」
対峙したログリッテは、剣を引き抜いて両手で構える。
あれから半年と少し、今は駆け出し冒険者として、資格を取ることができたが、まだ本腰は入れていない。その理由は、レーゲンという大きな壁を目の前にしているからだ。
剣を構えて目の前に立つと、すぐに手のひらと背中に、じわりと汗が浮かぶ。
指先の動きだけで、逆手から順手に持ち替えた瞬間、躰が硬直する。
意識して深呼吸をしつつ、躰から力を抜いたが、レーゲンが本気なら硬直した時点で終わっていただろう。
わずかに右足の位置を動かすと、また指の動きで逆手持ちになり、短刀は見えなくなった。
観察しているよりも、やはり、対峙した方がその厄介さを痛感できる。そもそもレーゲンの戦闘方法は、こうして真正面からやり合うものではない。
道ですれ違った瞬間。
陽が沈む前に火を熾して、ほっとして肩の力を抜いた瞬間。
ようと、声をかけるような気軽さで殺すための技術だ。逆手で持つのも、得物を隠す意味合いもあるし、上から突き刺すのに力が入りやすいのも理由の一つだろう。
いずれにしても、体術の延長だ――右足を引き、左半身になったログリッテは、剣を引いて突きの構えを作る。
一歩。
やや大きく、レーゲンが右側に移動した。
見破られた、か。
どうせ入り身で来るのならば、こちらもそれを迎え撃つための突き。最速、先手を取るのではなく、どこから来ても最小限の動きで迎撃できるようにしたのだが、たった一歩の移動でそれを読み取られた。
レーゲンが横に動いたのならば? ログリッテは当然、そちらを向かなくてはならない。
その隙間、一瞬で間合いの内側に入られる。
一歩、二歩を退いたログリッテは、大きく息を吐きながら剣を鞘へ。
「――充分だ」
「おう、よく考えられるようになったな。上出来だ」
「今度は対応できるようにならんとなあ……」
「……ええ? やり合わないのぉ?」
「実際にやらなきゃわからねェお前と、対峙していろいろ試して理解したログリッテ、どっちが賢いンだろうな?」
「んぐ……」
「なんや休憩? ようわからんけど、ミオはあんま賢くはないやろ」
「ちょっとぉ、顔見せてすぐそれはないでしょ、ホノカ」
「おい、おいレーゲン、そろそろ説明してくれ。こっちの可愛い姉さんたちは何だ?」
そういえば待たせたままだったと、それぞれ挨拶を交わす。
学校では同じ学年になっている、ホノカとミオ。飛び級で先に職業学校に通っているプリュウに関しては、同い年だけれど説明は省いた。それからレーゲンの同級である、ログリッテとニール。ゲッカは来ていない。
「丁度良いホノカ、まだ時間はあるだろ」
「なんや」
「庭に設置型の術式を作ってくれ。内容は……そうだな、手のひらサイズの水に濡れる感じでいい。簡単に、見えないようにして」
「数は」
「庭全体で、適当でいい。人が動けるスペースが確保できるなら」
「殺傷能力はなしやな……ん、防御系の術式に発展もできそうやな、これ。自動化させて、罠なら同じ場所に再設置させない方向の方が良いし――できた。とりあえず手動や」
「ログリッテ、ミオ、ここから向こうの壁まで移動して、戻って来い。水に濡れたら戻って来て、もう一度だ」
「わかった」
「えぇ……私も? ――あだっ、なんでホノちゃんが蹴るの!」
「黙ってやれや」
「んもう!」
まずは観察から入る――見えないものを見よう、そう思って目を閉じた。
「待てログリッテ、そのまま聞け」
「なんだレーゲン」
「どうして目を閉じた?」
考えすぎて動けなくなったことがあるから、最近は疑問を二段階で止めている。
何故、目を閉じたのか。
「見えないものを感じるためだ」
だが、何故そうする必要があったのか。
それは――。
「……視覚情報を閉じることで、ほかの感覚を鋭利にしている」
「正しい行動だ、間違っちゃいねェよ」
走り出したミオがすぐ水をかぶり、変な声を上げてから、とぼとぼと戻って来るのを横目に、レーゲンは続ける。
「だが、戦闘中に目を閉じる間抜けはいねェよな?」
「同感だ。それだけ視覚情報は、普段において重要だってことだろう」
「今はそれでいい、訓練だからな。だが次からは、耳を閉じろ」
「――閉じられるのか?」
「人は目で見ていても、見落とすことがあるだろ? それと似たようなもんだ。一朝一夕で習得はできねェが、そういう方法もあると覚えておけ。――覚えたら続けろ」
「わかった」
そんな様子を、ニールは頬杖をついたまま見ていたが、しかし。
「あー、ホノカさん?」
「なんや」
「いつもこんなことしてるんスか?」
「レーゲンの鍛錬はもっと地味や。あんたは混ざらんのやな」
「体力作りはしてるっスよ。戦闘は――まあいずれ、逃げ方くらいは教わろうかと思ってるっス」
「ふうん」
「それより、今日はどうしたニール。用事がある方か、ない方か? ホノカのことなら気にするな、知ってる。ミオには……まあいいだろう」
「そっか。いや、昨日は棟梁と一緒に基礎打ち、その見学をしてたんだけどな? 水回りが重要って話で気付いた。一番最初だろこれ」
「続けろ」
「家を作る前に、この王都じゃ既に完備されてるもんがある。上下水道だ。しかも生活に密着してやがる――当たり前すぎて、意識しないくらいにな」
「最低限の設備でどんくらいかかる想定だ?」
「半年から一年。特に下水は? 最終的には下水道か?」
「浄水装置を魔術品で作る予定らしいが、まあ、作った方が安心感はあるな。ただそうなると、村よりも街ッて規模間になるだろ?」
「多少調べてきたが、拡張や修繕が前提とはいえ、深さや長さ、素材や――それこそメンテナンスまで考えると、かなり太い道管を通す必要があるだろ。ゼロスタートと街中でやるのとじゃ話は違うが、規模のでけえ事業になる」
「で、どこから関わりたいンだ?」
「……」
問えば、睨むような視線をレーゲンに向けながらも、頭を掻いて困ったような顔をする。
複雑な心境があった。
やるなら最初からの方が良いに決まってるが、その決断には責任を背負うことになる。できない、やれない、そう言って捨てられない事業だ。
「いくつかのパターンに対応できる設計を仮組みしておく。今のところは、それで勘弁してくれ」
「楽しめよ」
「そりゃもちろんだ。つーか……どこまで進んでるんだ?」
「まだまだ、人材を確保する段階は遠いだろうぜ。なんか聞いてるか、ホノカ」
「うちが手を出せる状況じゃあらへん」
「レーゲンが主導してるわけじゃないよな? お前のことだから、知識は貸すが手は貸さないみたいな感じだろ」
「似たようなもんだな。俺とリムリアは補助、やってんのはリュウだ。ちょっと前に話題になってただろ、第五王女」
「――プリュウ王女殿下? っと、そういや継承権は放棄したっけ。……、……おい、おいレーゲン、さすがにガキの俺でもいろいろ王家で騒動があったことは知ってる。お前なんかしただろ」
「そう見えるか?」
「やる、やらないはともかく、できるだろ、お前は」
「やっちゃいねェよ。俺は国政なんかに関わりたくはねェから」
「そうかい」
ニールも深入りするつもりはないが、おそらく何かはしたのだろう。
「お前の設計が出た段階で逢わせてやるよ。相手はもう一般人だ、構えなくていい」
「充分に煮詰まってからな。ってことは、ホノカさんはそっちの繋がりっスか?」
「半分は巻き込まれたようなものやけど、リュウは友人や」
「そうっスか。……まあいいや、俺はできることを、とりあえずやるしかないか。レーゲン、ログリッテは置いてくぞ」
「なんだもう行くのか?」
「次からは、紙とペンを用意してから顔を見せるさ」
「スイッチが入るとすぐそれだな、お前は」
「やることが決まったら、やらなきゃな」
じゃあまたと、早足で出ていくニールはどこか楽しそうで、その雰囲気だけで充分だった。
「レーゲン」
「どうしたログリッテ。ニールは帰ったぜ」
「それはいい。これは、目に見えないものへの対処か? それとも、一般的な術式への対処か、どちらだ?」
「厳密には後者だな。おいミオ、お前も聞いてけ」
「へ? はあい?」
「術式ッてのは、魔力と構成によって作られてる。つまり、ホノカが来る前と今とじゃ、明確に違うわけだ。同じように見えていてもな。戦闘なら魔力と構成の発生を察知して対処すべきだが、今は設置型になってる」
「そうか、どうであれ違うのなら、その違和を、どう捉えるか……だな? 魔術師であり、作った本人である、そちらの、ホノカさんには間違いなく見えている」
「隠蔽術式は使ってへんよ」
「そうか、じゃあこれが標準か。レーゲン、明確な何かでなくても構わないのか?」
「今はな」
「わかった」
頷き、水を飲んでからログリッテは再開した。
「なにがわかったのよう……」
「ん? お前が一人よがりで、相手のことをまったく想定していねェイノシシ女だッてことか?」
「なんでっ!」
「実際にそうだろ。簡単に言えば、攻撃しか考えていない間抜けだ。お前が少しでも、自分と同じ技術、思考を使う相手がいたら、とか考えてンなら、多少はマシなんだが」
「ぐぅ……」
「自分より弱いヤツとしか戦ってこなかった弊害だな」
「そ、そんなことないけど!?」
「へえ? だったら、その自分よりも強い相手は、お前と何が違うンだ?」
「――」
「逆に、お前よりも弱い相手は、何が足りてない? そういう思考をせず、ただ優勢に立っているだけのお前が、間抜けじゃなくて何なんだ。真面目にやる気があるなら、ログリッテの都合を聞いて、同じ日に冒険者ギルドへ行け。訓練場でお前は一切戦闘せず、ただただ観察しろ。相手の多様性を考えろ。正面からやり合わないから暗殺なんだ、なんて逃げ口上を使うな。そもそも、年下の俺らに負けてンじゃねェよ、センパイ」
「……くっそう!」
勢いよく立ち上がると、その勢いのままに水を飲み、訓練を再開した。
「――で、今日は何を不機嫌になってンだ、ホノカ」
「あー、見てわかるくらい?」
「少なくとも俺はわかったが」
「……ちょっとあってなあ。や、妙なトラブルとはちゃうんや。レーゲン、狐族の風習は知っとるか?」
「いや」
「黒の狐は無能の証、白の狐は強者の証、それが異種族の間やなくても、まあ、一般常識みたいなもんや」
「へえ? 黒はともかく、確かに
「そやろ? ……、……は? いや待てや。は? なんで知っとんねん」
「以前の知り合いだ。さらに言うなら、あいつは白よりも銀に限りなく近いが――お前はどっちつかずッてか?」
「そうや」
「それで保護されてンのか。まァ、お前の毛並みが綺麗すぎて目につくッてのもあるンだろうぜ」
「……手入れしてる」
「知ってる」
言えば、ホノカは大きく吐息を落とし、頬杖をついた。
「九尾様のこと、どんくらい知ってんのや」
「性格やらなにやらの話か? それとも、戦闘か?」
「――戦ったんか」
「友人とな。当時の俺はまだ若かったから、あー……今のお前と同じくらいの頃か」
矛盾しているが、前世の話だとホノカはわかる。わかってはいるが、違和感はあった。
「どうにかなったが、俺一人じゃ勝てない手合いだよ。金気を持ってるから、触れれば傷つくのは俺の方だ。それに当時は、雷を呼ぶ前に終わらせたからな。山一つくらい簡単に吹き飛ばす手合いだぜ」
「敵やったんか?」
「どうだろうな。理由があってやり合ったが、まあ、連中にとって俺が天敵なのは間違いねェし、それは逆も
「……こっちじゃ、行方知らずや。本当におるのかどうかもわかっとらん」
「安心しろ、ちゃんといるさ。ただ、同族だから身内と考えるような女じゃねェよ。あれが頂点にいるのは、ただ強さを持っているからだ」
「強いって言われてもなあ。うちからしたら、神様みたいな存在や」
「まあ、人型であっても人間じゃねェよ。俺らとは理が違う。それで?」
「ん……どっちつかずやなあって」
「中途半端ッてことが悪いわけじゃねェだろ。発展途上、まあ言い方はどうでもいいが、完成なんて見えるやつはいねェよ」
「商人になりたいなんて思ってたんも、独り立ちしたいだけやったんかなあ」
「好きなことだけが仕事じゃねェよ。そうだな、諦めるにせよ続けるにせよ、お前も現場に入ってみるか?」
「商人の現場ってなんや。うちは資格もないんや」
「何も、商売ッてのは商品を持って違う街に行って売るような、行商人の専売特許じゃねェンだよ。短くて一ヶ月、長くても一年で戻って来るなら紹介してやる。信用できる手合いだが、隣国まで足を延ばす必要がある。必要経費は俺が出してやるぜ?」
「一ヶ月……」
「事情を話せば、相手もアドバイスくらいくれるさ。どうする?」
「……わかった、行く」
「学校は気にするな、課外授業で通る。ついでに伝言も頼む」
「伝言?」
「知り合いなんだよ、相手が。俺の名前を出して、以前の約束はもういいから、上手くやれと伝えてくれ」
「……そんだけ?」
「おう、それだけ。フォルズ商会ッて名前だから、商人ギルドで聞けばすぐわかる。移動には金を使えよ、支払っただけ安全が買える――いや、支払うのが俺だから、手配もしてやるよ」
「ありがと。どうするか考えて……あ、うちが商人やなくても、ええやろ?」
「ああ、俺は構わない。どうせ、リュウの相談役ッて椅子が空いてる」
「そっちのが面倒そうやけど」
そこから半年、ホノカは国外に出て商売を学んだ。
――そして。
五年後、彼らは活動を始める。
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