第19話 状況終了、あとはこれから
プリュウは機嫌が悪かった。
移動用の馬車の乗り心地が悪かったのではなく、山登りを開始して足が痛くなったわけでもない。
「兄さんたちにお茶会に誘われて、何があるのかと思ってたら、好きに生きていいと言われました。何がどうなっているのか、さっぱりわかりません」
敬語を使う時のプリュウは、不満が溜まっている時だと、リムリアはよく知っている。
「説明を求めます。なんでこうなってるんですか」
声にあまり起伏がなく、平坦な口調は責めているようにも聞こえた。こういう時、レーゲンはにやにやと笑っているだけで当てにならない。
「いつものよう、ぼくの役目かね……」
「なんですか」
「わかった、わかった」
「こうなると面倒なんや、リュウは」
「何か言いましたか」
「うちにまで当たるなや。それに、うちだって何も知らん」
以前と違うのは、ここにホノカがいることだが、それは大きな違いではないだろう。共犯者とは言えないが、魔術についてリムリアが何度か教えているし、最近はレーゲンの鍛錬にも興味を持っている。
目的地までは、どのくらいだろうか。いや目的地なんてものは設定していないのだから、レーゲンが気に入る場所がどこにあるか、だ。
そんなふうに話を逸らすか、目を逸らしたい気分でもあったが、そんなものは何の解決にもなっていない。
結論として、プリュウがこの状況を肯定しているのか、否定しているのかを知りたいところだが、それは最後にしておこう。彼女にとって重要なのは、過程だ。
「まず、こっちに来た初日の夜、娼館の支配人に挨拶をしてな。その流れで、工業区の地下闘技場にまで足を運んでレーゲンが戦闘をしつつ、そっちの支配人も揃って顔合わせを済ませた」
「もう一ヶ月くらい前になるのか、あれ。フゲンッて刀使いとやり合ったから、イムウィとの縁が合ったンだっけか」
「うむ。丁度、ホノカから報酬を受け取ったタイミングで、鍛冶屋にフゲンの刀が持ち込まれていたこともあって、先にレーゲンがイムウィと顔合わせをしている」
行動力、いや、行動の速さにホノカは呆れぎみだ。引っ越し初日からもう動くなど、よほど準備がしてあるか、自信があるかのどちらかだろう。
二人のことだから、どちらもか。
「そこから、夜の間に裏でこっそり情報を集めてな。第一から第三までの情報がごろごろ出てくるのでね、どうしたものかとレーゲンに相談したのだが」
「こういう時は世間の声を動かすのが一番楽だッて結論だぜ」
「ということで、情報を確証にするため、いろいろ忍び込んで、それを世間に
「貴族連中への接触は簡単だ、こっちには情報がある。地下闘技場の元の持ち主にはリムリアが接触したんだが、そういう混乱状況を作るにあたって、ひっくり返すことができる人物が一人だけいた」
「それがラナイエア・フォージズだ。そちらへの交渉はレーゲンに任せたが、後になって話してみれば、納得だ。アレは状況を引っ掻き回し、混乱の中で一手をつかみ取ることを楽しんでやる。まあ、穏便に手を引いてもらったがね」
「それだけ賢いし、殺すには惜しい人材だっただろ」
「うむ、まったくだ。そしてぼくたちは、情報を漏洩させるまでで仕事は終わりだ」
「あんたたちは……」
「結果的にリュウも動きやすくなっただろう? 直接、国政に関わることはしないと以前に言った通り、できることをやっただけだ」
「かなり王城内でも混乱してたのよ?」
「知ったことではないな。一体、何が不満なんだ?」
「ほんと、貴族の重鎮がわたしのところに来た時は、何事かと思ったわよ。大したことは聞かれないし、裏のない雑談だったし……」
「連中には脅しをかけておいたからな。しかし、わかっているだろうが、きみが王女であることは変わらん」
「あーうん」
一息、どうやらだいぶ落ち着いたようだ。
「それは釘を刺された。かといって、それを振りかざすような真似はしないけど」
「今後の予定は?」
「以前と同じ。どっかで土地を確保して、村でも作るわよ。二人もその方が都合が良いんでしょ?」
「うむ」
「旅をするかもしれねェが、のんびり暮らすのも悪くはねェよ」
「本格的にやり始められそう」
「ならば五年だな」
「ん?」
「ぼくとレーゲンが卒業するまでの五年で、とにかくきみは繋がりを作れ。それから計画書だ」
「なんの」
「土地の手配より前に、きみは建築に詳しいかどうか、よく考えることだ。村を作ろう、まずは家を建てよう、などと思っているようでは話にならん」
「ぬ……じゃあ何するのよ」
「上下水道の整備だ。生活に困らない範囲で深く掘ってパイプを通す――この作業だけで、どれだけの人間が、費用が、期間が必要なのか」
「あ、そっか。台所やトイレの水かあ……え、かなり人手が必要じゃない?」
「その、かなり、という曖昧な部分を明確にするために、どうすればいいのか考えたまえ」
「そりゃ、専門家に聞く」
「その専門家とやらは、本職の合間に素人が口にする質問に、律儀に答えてくれると思っているのかね?」
「うぐ……ホノカ助けて!」
「あんたが責任者やろ、しっかり考え。まだ五年もあるんや、まずはガッコの知り合いにでも声かけから始めたらどないや」
「興味がありそうな人物には、できるだけ声をかけて情報を集めたまえ。時系列順にやるべきことを書き出して、足踏みをするようになったらぼくに見せろ。助言はできる。そのうち、正式に王位継承権の放棄があるだろうから、それを終えればもう、直接顔を合わせても問題ないだろう」
「はあい……なにホノカ」
「話だけしか聞いとらんかったけど、本当に素のままの対応しとんのやな」
「そりゃ味方になってくれって頼んだのはわたしだもの」
「ああ、この二人なら王族なんて、鼻で笑うだけやな」
「うんそんな感じだった」
「いずれにしても、土地の確保なんてのは最後でいい。あらゆる準備をしたところで、必ず想定外は存在する。もっとも、五年なんてあっという間だがね」
そこで、ふむと、リムリアが腕を組む。
「場所に関してはこちらでも探すが、キャンプと同じだな。水場が近くにあって、かつ、遠すぎず近すぎない、それでいて平地を探す。そろそろ鈍感なリュウにも、滝の音が聞こえてこないかね?」
「……あ、ほんとだ。水の音がする」
「リムリアに教わった
「ん? おう、事前調査はしてなかったが、なかなかでけェ滝があるな」
「嬉しそうやなあ」
「そりゃお前ェ、俺にとっちゃ最高の場所だぜ。先に拠点の準備でもいいが、まずは滝だ。そこを目印にすりゃァ、何をやっても、下手をしなきゃ迷うことはねェだろ」
レーゲンは今、早くなろうとする足を、理性で抑えている。そのくらいには楽しみだ。
山に入って一時間、今の会話がされてから十五分ほどで、目的の場所に到着する。
――かなり、大きな滝つぼだった。
流れ落ちる滝の高低差は、15メートルほど。横幅も4メートルほどはあり、滝つぼもそれにふさわしい広さと、また、深さもあった。釣り糸を垂らせば、魚が釣れるかもしれないほど、周囲には生命が溢れている。
つまり。
「レーゲンがいる時以外、ここには近寄るな」
「へ? なんで」
「魔物にとっても、ここは水飲み場だ。下手を打てば戦闘になる。どうしても、というのならば、ぼくに声をかけたまえ」
「――はっ」
短く放たれたそれは、レーゲンの口から。横顔が少し見えるくらいの立ち位置にいたホノカは、それが、抑え込んだ喜びが漏れたようにしか見えなかった。
「おう、基本的には、手出しをするな。魔物がいても身構えず、ただ、人がそこにいると考えて対応しろ。俺がいる時は動かなくていいぜ」
「ふむ、余計な食料は取らないで済むなら、それに越したことはあるまい。では頼んだぞレーゲン、拠点を探してくる」
「手がいるなら早く言え」
「二人分のベースを作るのに、手がいるとは思えんがね。それに、こっちも最低限でいい」
ふらりと動いたかと思えば、すでにリムリアの姿は消えており、レーゲンはそれを見送りもしない。
「そのへんで休んでろ」
足取りは軽く。
レーゲンは右足から滝つぼに入ると、そのまま左足を出した。
「――」
二人の反応は違う。
プリュウは単純に驚いて息を呑み、そしてホノカは疑念を抱く。
何故。
どうして、水の上に彼は立っているのだろう。
波紋を作りながら滝つぼに近づき、踏み込みは左足、右の腰から刀を引き抜いて、左側へ一振り。
《
滝つぼから落ちてくる無数の水滴を縫うよう放たれた一撃は、その技を証明するよう、刀身に水滴の一つもついていない。
なるほどと、ちらりと刀身を見たレーゲンは、そのまま続けた。
《
手首を返し、右足の一歩を踏み込みながら、今度は上段から右下へ向かう逆袈裟の斬戟。落ち続ける滝の水を斬ったのにも関わらず、先ほどの話ではないが、水の隙間を縫うように切断したため、今度は刀身に水がついているが、滝に影響は限りなくない。
そして、くるりと回転して、一つの幕を下ろす。
《――
二人の目にも、滝が二つに割れたのが見えた。
上下に分かれながらも、流れ落ちることをやめられない水たちは、下が落ち切ってから、いきなり無音の時間が訪れ、そして、上が滝つぼと合流したのならば、また元通りの滝となる。
この一幕において、もっとも難易度が高いのは、追ノ章だ。滝そのものへの影響を一切与えず、邪魔をせず、阻害せず、ただ切断する。
もしもこれで人を斬っても、熟練者ならば20秒は死んだことに気付かない、とさえ言われている。
納刀を済ませたレーゲンは、なるほどなと小さく呟き――。
「お、早いな」
振り返って戻ろうとした矢先、一人の魔物が姿を見せた。
黒色、そして狼型。
サイズは今のレーゲンより、少し大きいくらいの規模だ。
レーゲンは刀の柄に左手を当て、抜かない意志を示し、黒狼は当たり前のよう、滝つぼに足を進め、波紋を浮かべながら表面を歩いてレーゲンに近づいた。
「よう。三日くらい、ここらを拠点にするぜ。俺は鍛錬でいろいろやるが、まあ、余計なことをしなけりゃ問題ねェよ」
視線を合わせて言葉を放ち、相手が顔を二人に向けた時点で、頷きを一つ。
「もう一人は周辺を歩いてるが、見ての通り二人は素人だ。派手にするつもりはねェよ、邪魔が入らなきゃな。飯の確保くらいは許せ」
ため息のような音が、黒狼の鼻から出る。彼はゆっくりと彼女たちの前に移動し、顔をなめてから、また来た道を戻るよう姿を消した。
「なるほど、賢明だなァ。おう、顔は洗っていいぜ。そのくらいじゃ匂いは落ちねェが、人間にゃわからねェさ」
今すぐにでも続きをやりたかったが、まずは拠点準備が優先だろう。おとなしくリムリアを待つかと、レーゲンは滝つぼから出た。
「――それ、なんや」
「ん?」
「普通は水ん中に落ちるやろ」
「ああ……説明はちょっと面倒だな。理屈だけは簡単なんだが」
「右足が落ちる前に左足を出すとか、そういう面白い話じゃなさそうね」
顔を洗った二人が落ち着いたところで、レーゲンはとりあえず木の傍に二人を座らせた。
「ま、リムリアが戻るまで時間もあるし、軽くな。まず、ここに何がある?」
ひらひらと手を振ったのを見て、ホノカが言う。
「空気や」
「そうだ。俺は単純に
わかりやすいよう、両足を肩幅よりやや広く開き、腰を軽く落とし、左手を開いたまま、殴るような動きをしたのならば、4メートルほど離れた一本の木が音を立てて揺れた。
「徹しッてのは基本的に、鎧を着てる相手への打撃で、表面の鎧じゃなく肉体に届かせるための一撃だ。衝撃ッて波を届かせる、その応用になる。全部ひっくるめて、衝撃用法と俺は呼ぶんだが――」
一息。
「難しいように見えるが、理屈自体は簡単でな。想像してみろ、俺は4メートルくらいの棒を持っている。それをその木に突き付けた」
「同じ現象やな。ってことは、その棒が衝撃なんや」
「え? じゃあレーゲンは、長い棒のついた靴をはいてるみたいな感じで歩いてるってこと?」
「それは理屈じゃなく、現象というか結果だけどな、合ってるぜ。体重による衝撃の波を利用してるンだ。感覚的には、水の上にいながらも、底にある地面を歩いている感覚に限りなく近い」
「――ここから空気を介して木に触れるように?」
「おう」
「なるほどとは言えないけど、うん、なんとなく」
「……さっきの黒い狼は、術式を使っとったやろ」
「さすがに気付くか、その通り。方法なんて、いくらでもあるし、使えるからッて自慢するようなことじゃねェよ」
ただ。
「こいつは俺の流儀だが――何事においても、できないッてのは避ける。可能な限り、やらないと口にするよう日ごろから鍛錬をする。この二つにはでけェ差があるンだよ」
「――、それ、ええな」
「できる限りでいいぜ、目指してみろ。気の持ちようで生き方は随分と変えられる。そもそも魔術に、できねェことの方が少ないンだから」
「それや。あんた、なんでそんな魔術に詳しいんや?」
「あ? まだ言ってなかったか? 俺もリムリアも、お前らが言うところの神の落とし物ッてやつだ」
勢いよく、ホノカはプリュウを見た。
「あーうん、らしいよ。わたしが知ってる印象とかなり違うけどね」
「前の知識を生かして、なんかしようと思ってないんか?」
「いや、生かしてるから、こうやって武術を追い求めてンだろうが。リムリアだって、以前とは違う生き方をしようと魔術を探ってる」
「そうやなくて……いや、そうなんか? 普通、こう、発展に寄与するとか、以前の知識で上位に立つとか」
「悪いが」
レーゲンは苦笑する。
「そういう意味で、他人なんかどうでもいい」
どっちが上とか、楽をするだとか、何かをしてやろうだとか、彼らにはそういう発想が一切ない。それはもう、常識すら、この世界に合わせている。
ただ、以前も話していたが、この世界がかつての世界と大きく変わっているとは、思っていない。
「それに、俺もリムリアも一度死んでる。新しい人生が始まったのに、かつてを引きずるッてのはもったいねェと、長い人生経験から理解してるンだよ。そこらの若造と違ってな」
「――ぼくはそれほど長生きはしていないがね」
二人の座っている背後から、木の裏からリムリアが姿を見せた。
「傭兵は短命とはいえ、六十ほどまでは生きた。仲間内では長い方だが、きみほどじゃない」
「じゃあ不満を抱えたままだったのか?」
「――いいや」
リムリアは笑う。
「きみと同様に、満足のいく死だったとも。そうでなければ今、こうして生きてはいない。それに、そもそも人間とは、環境に適応するものだ」
それよりもと、リムリアは話題を変える。
「詰まらん話よりも、今のことだ。気になるなら、後にしたまえ。レーゲン、もういいのかね?」
「確認はした、後にするさ。お前が気になった気配は、この山に縄張りを持ってる魔物で、挨拶は済ませたぜ」
「ふむ……ああ、この二人は匂いをつけられたか。なかなかの強さを感じたが?」
「普段なら顔見せもしねェような相手だったな。正面からぶつかり合うとなると、お前も何枚か手札を切る必要があるから、やめとけ」
「ではそうしよう」
「で? 拠点は見つけたか?」
「竹が見当たらなかったが、何とかなるだろう。俺もレーゲンも、外のキャンプでは寝床など必要ない」
「そうなんか?」
「寝ることもあるけど、躰を横にすることはねェよ。家の中でもそうだけどな」
「レーゲンはおかしいので真似はするな。ベッドに背中を預けて、得物を抱いて寝ているのはこいつくらいだ。しかも起きてる。部屋に入った時、鯉口を切って刀身を見せられた時は驚いたものだ」
「目を開けるのが面倒だったンだよ。ま、そういうわけだから、お前らは安心しとけ。夜間の警戒もこっちでやる」
「交代もせんのかい」
「一人でやれるのに、二人目はいらねェだろ。将来のために練習するッてことなら、それはそれで構わない」
「リュウは今後のことをよく考えたまえ」
「はあい。でもまだ五年はあるんでしょ?」
「馬鹿を言うな。たった五年しかない、そう考えておかないと、すぐ刻限が来る」
この時のプリュウは、話半分で聞き流し、わかったと、適当に頷いたけれど、一年後にはそれを痛感する。
やるべきことが多すぎたからだ。
公式に、第五王女プリュウが王位継承権を放棄し、国政に関わらないとの宣言が出たのは、その日からおおよそ一ヶ月後のことである。
彼女は自由を手に入れ、そして、同じだけの責任を負うこととなった。
それが、当たり前に、普通に、生きるということだ。
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