第16話 第一王子ローウ

 貴族の道楽に付き合うのは、今回が初めてではなかった。

 彼らにしてみれば、第一王子である自分との付き合いを深めたいのだろうが、こちらが文句を言わない限り、彼らは好意的に誘ってくる。

 楽しそうに振る舞うのも慣れたものだが、魔術師六名が拘束をした魔物と人間との戦闘は、一体これの何が面白いんだと思うくらいには、興味がなかった。

 しかも相手が子供ともなれば、よほど貴族連中は娯楽に飢えているのだろうと、鼻で笑いたい気分だ。

 ローウの周囲に集まる貴族は、どちらかといえば自身の利益を求める者が多い。貴族としての責務を果たさず、私欲のために立場を得るともなれば、排除されて然るべきだろう。おそらく父親、つまり国王も知っていて見逃しているか、一掃するタイミングを見計らっているに違いない。

 想定内だったのだろうか。

 少なくとも現場にいた人間の大半は想定外だったろうし、ローウはいずれこうなってもおかしくはない、と感じてはいたものの、今日起きるとは思っていなかった。

 ただ、覚悟はできていた。

 事故のように見えたが、おそらくあれは意図的なものだろう。魔物を抑制していた術式を解除し、魔物は暴れ、まずは魔術師たちが殺される。慌てて逃げようとする観客から被害を受け、ずっと椅子に座ったままだったローウは後回し。

 自分が死ぬことさえ、覚悟はあったのだ。

 一度でも貴族社会に取り込まれれば、逃げ場はない。つまりは、第一王子なんて肩書きがあろうとも、同じ場所で同じよう観客としていたのならば、それは腐った貴族と同じなのだ。

 自分がそうしていれば、弟や妹が巻き込まれることはない――そういう立ち回りをしてきた。

 特に、王位継承に意欲的ではないプリュウやイムウィを、兄弟同士のやり合いに巻き込むことはないと、常にそう思っている。

 しかし、命を懸けて、守ろうだなんて思ってはいない。何故って、死んだら守れないから。

 ゆえに、この結末は、ただの自業自得。

 目が覚めた時に、その行為自体で生きていることを実感したローウはため息を一つ落としたし、左腕の肩から先がなくなっていたことさえ、安い代償だと、小さく鼻で笑ったくらいだ。

「――兄さん」

「……?」

「ローウ兄さん」

 誰の声なのかわからない。首を動かすのも億劫だったが、すぐ視界の中に顔が見えた。

 ああそうか。

 自分はまだ生きている、そんなことを改めて自覚したら、躰の動かし方を思い出した。

「あ、あ……」

 咳が出たが、上半身を起こして水差しからコップへ注ぎ、まずは唇を湿らす。水の感覚を意識しながら、今度は口の中から喉へ。

 染み渡る、とまではいかないが、これは二日くらい意識がなかったくらいだ。

「イムか、久しぶりだな」

「記憶は?」

「問題ない。生きているのなら、ようやく面倒なことはやらなくて済みそうだ」

「兄さん、どうして僕にシクレさんとゴーキさんを?」

「――親父から聞いたのか」

 完全に隠そうとは思っていなかったが、口留めはしていた。だとしたら、どこから知ったかなんて限られる。

「お前がどう見てるかは知らないが、俺は王族として決定的に欠けているものがある。簡単に言えば親父にあって、俺にないものだ」

「……そんなのは、僕だってそうじゃないか」

「いや、お前は持ってるさ。ロディやメズロだって、プリュウにもある。俺はなイム、決断力に欠けている」

「それは――」

 何かを言おうとして、あるいは否定しようとして、イムウィは口を閉じた。

「集められた情報から、決めるのが王の仕事だ。相応の責任を負ってな。そのくらいのこと、お前なら知っているだろう? だから、あまり意欲的ではなかった。それこそ、と思うくらいに」

「簡単じゃないよ。首を差し出すだけの責任なんだから」

「わかってるじゃないか。だが、そんな失敗の時にはまず、俺が首を出せばいい。そういう裏方を望むからこそ、お前を立たせようと考えていた。――いや」

 それはあくまでも、理想でしかない。

「だからといって、俺はお前を利用しようとは思わなかったな。どちらでもいいし、どうでもいい。貴族の仕組みを知って、余計な連中がお前に付きまとうことがないようコントロールもしていたが、そのまま潰れていても、今回のよう死んでも、仕方がないと諦めている」

「……僕は、どこかの戦場に出て死ぬ、そういう未来を思い描いていたよ」

「そうだな、ロディやメズロにしてみれば邪魔な存在だ。いいように使えるプリュウとも違う。俺はそれを阻止できないだろう……遅らせるのがせいぜいだ」

 そして。

「最低限、暗殺だけは避けておきたくて、あの二人に頼んだ。お前がどうであれ、味方になって欲しかったからな。……学校卒業後も、黙っていようと思っていた」

「どうして?」

「俺がお前の肩を持っているなんて、知られない方がいいだろう?」

「僕は、兄さんが王になった方が良いと、ずっと思っていたよ。貴族たちと遊んでいるように見えても、行動がどうであれ、考え方や人との接し方なんかは、昔から見ていたからね」

「買い被りだ」

「そうでもないよ。でも、僕はともかくプリュウは?」

「……まさかお前と、こんな話をするとはな」

「そうだね、それは僕も思う。僕たち兄弟は母親も違うけれど、お互いに胸の内を語らず、ずっとライバルみたいな関係だった。これはたぶん、父さんの世代がそうだったからだよね?」

「そうだ。三人兄弟で争って、親父が獲った玉座だ。俺らもそれに倣うべき――と、まあ、俺は思っちゃいないが、下の二人はそう考えたんだろうな」

「あれは兄さんに対する嫉妬もあると思うけど」

「そうなのか?」

「そうだよ。こう言うと大げさかもしれないけど、――ローウ兄さんは、人に見えたから」

 玉座が欲しいと考えたのならば、焦燥感はあっただろう。間違いなく自分よりも長く生きていて、憧れるくらいに何でもできるなら、その感情が反転してもおかしくはない。

 だから、違う方向へ行く。

 第二王子ロディは研究へ。

 第三王女メズロは、人を使って策略を。

「兄さんは二日寝ていたよ。今日は三日目だ」

「――そうだったのか」

「先に言うと、僕はこうなることを知っていた」

「止めなかったことを気にするな。こんなのは自業自得だ、いずれこうなった。まだ俺は生きている。どう処分を受けるにせよ、これで裏方に回れるだろう。表に立つのはもう面倒だ……」

「リュウはね、兄さん。王女ではなく、ただの一人になりたいらしい」

「ああ、そうだろうな。国のために、どこかへ嫁ぐなんてのは嫌がるだろう。愛国心がないわけではないが、俺たちの争いには嫌気がさしている。そう考えてもおかしくはないし、なんとなく俺もそれは感じていた。……お前ほど、裏で何かをしてやれてはいなかったが」

「難しいからね」

「俺たちは王族だ、その肩書きは消えないからな」

「でも、リュウにも味方ができたんだ」

「ほう? そういう感じはなかったが」

「なかったよ、僕だって初耳だった。その味方っていうのも厄介でね、国政に関わるつもりはないし、直接手助けをするつもりもない。ただ、多少はリュウが動きやすくなるよう手を貸してやろう――そのくらいの感覚で動いてる」

「そもそも、できることは限られるだろう」

「うん。特に、本人には気づかれずにやるなら」

「ん……?」

「お節介だって自覚があるのか、本人には黙ったままで動いた結果が、今回のことなんだ。あの狼型の魔物と対峙した少年を覚えている?」

「顔まではっきりと覚えてはいないが……」

 そもそも、子供が相手で反吐が出るような気持ちだったので、それほど本腰を入れて注目はしていなかった。

「彼がそうだよ。もう一人いるけど、そっちはそっちでまた、違う動きをしていてね。僕はたまたま居合わせて、それなりに詳細を聞いたけれど――」

 イムウィは。

「寝起きで悪いとは思うけど、これは昨日付けで一般に公開された情報だよ」

 一般の情報媒体である、いわば新聞をローウに渡した。

 そこにある暴露情報を見ての第一反応は。

「チッ」

 舌打ちである。

「俺が利用しようと思ってた情報を先に使われたか――おい、何を笑う、イム」

「いや、ごめん、ごめん。父さんと同じことを言うんだなと思ったら、笑えちゃってね」

「なるほど、親父ならやりそうだ。どこから仕入れた情報だ? かなり詳細まであるが、さすがに俺もここまでじゃない」

「本人が言うには、こっそり誰もいない時間にノックして、こっそり持ち出したらしいよ」

「どんだけどの技量だ……? 親父からの処分はまだか」

「明日くらいに出るとは思うけど、幽閉くらいはするだろうね」

「お前の立ち回りは?」

 問われ、イムウィは肩を竦めた。

「王位継承の話を持ち出すなら今だ、と勧められてね。たぶん、そうすることでリュウはもっと身軽になるだろうから」

「……冗談みたいな手合いと知り合ったな」

「まったくだよ」

「これ以上の接触はしない方が無難だな。後処理を考えてないってことは、国政に関わらない表明だろう。さらに荒らされたら手が付けられない」

「それを判断するのは父さんだよ。忠告はしておいたけど」

「最悪、どうなる?」

「想像もつかないけれど、彼らは国落としをすると言ってたよ。現状だと犠牲がかなり出るから、やりたくはないとも」

「そうか。……俺への処分次第だが、リュウの周りを整理するのが先だな」

「やっぱりそこかな」

「リュウの返事次第だ。――それで、お前はどうする?」

「うん」

 そうだねと、イムウィは天井を見上げた。

「こんなに早く、逃げ場がなくなるとは思わなかったっていうのが正直な気持ちだ」

「それでいい。今はまだ遊べ、イム。政治は俺が手を貸す。だからお前は、国民のことを考えろ」

「それもいいかもね。じゃあ僕はこれで。兄さん、これからは話をしよう。政治の話でもいいし、世間話もね」

「ああ、そうしよう。まずはリュウを入れて」

「うん。楽しみにしてるよ」

 出て行ったイムウィと入れ替わるようにして、腰に刀をいたフゲンが病室の中に入ってきて、ローウは手元の新聞を畳んだ。

「お久しぶりです、ローウ様」

「イムの目付け役、ご苦労」

「いえ、そのぶん自分は闘技場で遊ばせていただいていますから」

「それも必要なことだ。技術を教えるのならば、相応の実力を示す必要もあるし、今まで感付かれなかったのは、そういう遊びがあってこそだろう」

「そうかもしれません」

「何かあったか?」

「彼らの情報を」

「……ん」

「地下闘技場で自分は負けました。全治一ヶ月ほどの負傷は、かなり加減されたものです」

「戦闘力があるのは察しているが、どのくらいだ」

「自分の師匠よりも恐ろしい怪物を見ました。聞いているかどうかわかりませんが、まだ十歳かそこらです」

「――子供だと?」

「はい。殺意の欠片もない相手と対峙して、過呼吸になるほど手詰まりに陥ったのは初めてでした。そしてもう一人は、魔術師です。かなり毛色の違った、そして体術も自分より上でしょう」

「二人か」

「そうです、たった二人です。生まれは、引退者が行くあの村です」

「……最近復帰した、第三王騎士の副長あたりか」

「片方は、そうです。ただバックボーンとしてはあまりにも薄いと感じました」

「古い貴族連中に話を持ち掛けてるだろう」

「その場にイムウィ様と一緒に居合わせました。とんでもない威圧を出しながら、それを当たり前の空気にしたままの会話など、寿命が縮まる思いです。どちらかといえば、力でねじ伏せるやり方に近い……ですが」

「筋は通した、そうだな?」

 ひらひらと、畳んだ新聞を見せれば、フゲンは頷いた。

 もう結果は出ているのだ。ローウならば、そこから過程を探るくらい朝飯前だ。

「ラナイエアが身を引いたのなら、想像するだけ馬鹿を見る。あれの妻は戦闘メイン、元は宵闇よいやみ一族の出身だ。対応できなかったのなら、それ以上だと考えていい。交渉はあったか?」

「いいえ、一方的な通告でした」

「忠告か、なるほどな。結果を出すのは決まっているから、貸しを作ったか」

「直接そう言ったわけではありませんが、貴族のご老公たちはそう感じたでしょう」

「だいたいわかった。親父は知ってるんだな?」

「はい」

「ならいい。繋がりがあるのなら、一度顔を見るために呼ぶかもしれないと伝えてくれ――俺の処分次第だが、な」

「悪い方にはならないかと」

「表沙汰になってないからだろう? おそらく、イムウィが口添えをして、あるいは現場の判断をした」

「おそらくは、そうかと。機会を作って伝えておきます」

「イムのフォローもな」

「それはいつも通りに」

「頼んだ。連絡手段を変える必要があるかもしれん、留意しておけ」

「……左腕は、どうなさるおつもりですか」

「まだ考えてない。このまま過ごして慣れるのが先か、義椀を調達するのが先か、状況次第だ。いつでも失敗を自覚できる方を選びそうだけどな……」

「ご自愛ください。それでは失礼いたします」

「おう」

 そして、ローウは視線を新聞に落とす。

 好き勝手やるだけやって、片づけを親に任せる子供のようなやり方だ。それでも筋は通しているし、どちらかといえば、やられた方が悪い。

 何も終わっていない。これからやることは山積みで、問題もある――が。

 始めた本人たちはもう、終わらせたつもりなのだろう。

 ――これだから。

 国政に関わらない者は、厄介なのだ。


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