第13話 武術家としてのレーゲン
ラナイエア・フォージズにしてみれば、五日後の昼過ぎになる。
護衛という名目で妻を伴ってその屋敷に顔を見せれば、入ってすぐに声をかけられた。誰もいない庭から声がすることに驚きながらも、足を踏み入れれば少年が二人、鍛錬をしている。
「結界か」
「よう、ラナ。退屈かもしれねェが、そっちの椅子に座ってろよ。飲み物は期待するな」
レーゲンの言葉に頷き、庭に設置された丸椅子の一つに腰を下ろす。
不思議な光景だった。
右の腰に
そこから四歩以上離れた位置に、リムリアがいた。こちらは黒色の直刀を右手に持ったまま、やはり動いていない。
戦闘は本分ではないラナイエアから見て、明らかなのは、どういうわけかリムリアの方が疲れている。
いや、自分が来るよりも前にほかのことをやっていたのかもしれない。
「――ほう、そちらの女性は腕に覚えがありそうだな。悪いがぼくと変わってくれないか? なに、こうしてレーゲンの前に立っているだけで済む、簡単なお仕事だ」
「ラナ」
「おう、行ってこい。今日は休息日だ」
リムリアはまず、左へ三歩ほど正面を向いたまま動き、腰にある鞘を引き抜くと、ゆっくり見せつけるよう直刀を納める。それから一つ、吐息を落とした。
「立っていればいいのね?」
「得物は持っているな? 握っておけ。これは以前、ぼくも言われたが――逃げたければ逃げろ」
「……?」
すぐわかると言って、ラナイエアの近くに歩こうとしてすぐ、正面に立った彼女が勢いよく後方へ跳んで距離を取った。
「言った傍からかね? ゆっくり慣れたまえ、良い訓練になる」
椅子にかけていたタオルを首にまき、置いてあった水のボトルを手に取り、飲む。
「リムリアだ。レーゲンとは幼馴染とでも思ってくれたまえ」
「おう、ラナでいい。事情は知ってるんだな?」
「うむ。それ以外の仕込みはだいたいぼくがやっている。耳に入っているだろう?」
「妙な連中を集めて会議をしたくらいは」
「そうかね」
椅子を引き、どっかりと腰を下ろす。
「第二の研究室に忍び込んだり、第三周辺の金の流れを当たったりして、不祥事の証拠を集めてな」
「ガキの思考じゃねえよ」
「それはそうだろう、ぼくたちは神の落とし物だからな」
「――へえ。どんな気分なんだ?」
「ぼくとしては、新しく生まれ変わったような気分だ。後悔を取り戻す最中に、新しい後悔を積み重ねている。違う道を選ぼうとしても、こうして似たようなことをしているのだから、笑い話だがね。レーゲンは、ただ道が続いているだけだと」
「生まれ変わっても、変わらねえとは大したもんだ。それに関してはお前もな。裏の人間だったのか?」
「ただの傭兵だ」
「にわかには信じられねえな。通説によれば、世界が違うんだから同一視すべきじゃないだろうが、お前ならこっちの傭兵なんて、簡単に崩しそうだぞ」
「だったら、こっちに来る前からレーゲンと鍛錬をし続けた結果だろうな」
「なるほど、お前らはただの落とし物とは違うらしい。かつての記憶を使って、有利に動こうなんて馬鹿な真似をしないんだからな」
「ああ」
なるほど、そういう流れもあるのかと、リムリアは腕を組み、視線をレーゲンたちに向けた。
「かつての記憶があろうと、なかろうと、現状を変える一手はそれほど簡単ではない。一石を投じて大きく変化させた先にあるものも、決して幸福なものではないだろう。失敗をして、それを振り返る時は手遅れだが、そこでようやくこの世界に生きているのが自分たちだけではないと、そう気付くものだ」
「それはお前の戒めか?」
「世界に挑むなら、化け物になるしかない――そういう歴史を知っているだけだ」
「なるほどな」
頬杖をついて、ラナイエアも二人を見た。ちょうどこのテーブルが、向かい合った二人の中間くらいに設置してあるからだ。
「お前もだいぶ疲れてるみたいだが、何をしてるんだ? いや、何が起きている?」
「見てわかるのは、何かね」
「レーゲンが刀を抜いて、納めてるだけだな」
「そうだ。そのたびに、いくつかの攻撃が見える」
「攻撃してねえだろ」
「レーゲンはしている。こう言うと現実味がないかもしれんが、刀を抜く側が攻撃を想定していれば、その意志が、相手に伝わるものだ。それなりの技量があれば感じ取れる」
「ああ、妻に聞いたことがある。熟練者が相手だと、一撃で決まる代わりに、そこまでが長いってな。つまりはそれか」
「――実際に、俺が動ける範囲を確認してるンだよ」
「だそうだ」
「けど現実には動いてねえ。対峙してるリムリアの対応は?」
「それを先読みして避けるか、対応できるか、その確認だ」
勝率は悪い。おおよそ三割ほど対応はできるが、残り七割は斬られている。であればこそ疲労する。
「それだけじゃねえだろう?」
「そりゃな」
レーゲンは同じ動作を繰り返していたが、一度ぴたりと停止した。
「ラナ、わかりやすい話にするぜ? 戦闘において速度ッてのは、相手よりほんの少しだけ上回ればいい。当たる前に
「そうだな」
「じゃ、速度を追及しよう。人間には関節ッてやつがある。まず刀を抜くなら、そうだな、肩からだ」
そして一度、同じ動作で刀を抜き、また納める。
「力を入れるッてのもちょい違うンだが、まあ似たようなもんだ。肩の意識」
少しだけ、抜くのが速くなった。
「今度は肘」
そして。
「手首」
さらには。
「指」
最終的には、いつ抜いたのか、戦闘に関わらないラナイエアには見えなかった。
「速いな」
「馬鹿、これが半分だぜ」
「――半分だと?」
「今度は腰、膝、足首、指先を使って、移動の速度が乗る。ここで勘違いされがちなのは、相手の近くへ移動して斬るンじゃねェ。刀を抜いて、斬る速度よりも速く、より速く移動する――」
レーゲンの姿が消え、文字通りの瞬間、まばたきの間で彼女の目の前に停止していた。
刀は、抜いていない。
「――と、まァ今の俺がここで刀を抜いちまうと、躰への負担が大きい。何しろまだガキだからなァ。おう、姉さんもここで休憩だ。最初は疲れるだろ、休もうぜ」
「……ありがとう」
何に対しての感謝かは、どさりと尻もちをつくよう座り込んでしまった姿を見れば、一目瞭然だろう。
「なんとなくわかっちゃいたが、さすがだなレーゲン」
「何が」
「戦闘の話だ」
「なに言ってンだ、まだ基礎段階だぜ、あんなの」
「――は?」
「躰を鍛えるために、走り込みをするだろう? 俺にとっちゃそれと同じだ」
「レーゲン」
言って、リムリアは一息の時間をおいてから。
「お前はまさか、
返答は。
「そうだが、言ってなかったか」
肯定が返ってきた。
「知ってるのか、お前は」
「以前の記憶でな。武術と呼ばれるものの最高峰に位置するのが、雨天という家名だ。刀はもちろん、剣も、槍も、棒も、斧も、弓も、雨天は何でも扱うと聞いた」
「冗談みてェな話だが、実際にそうだぜ。雨天は武術家であると同時に、武術家とは雨天のことでもある。特徴的なのは、技の種類か。他流派で使ってる技なんかは、だいたい雨天にあるからな。子供が考えたような技まであるぜ」
「今のは技じゃねえのか」
「ありゃ技じゃなくて、ただの躰の使い方だけ。理屈を知って、そこそこ鍛えれば誰だってできる。だから基礎だ」
「具体的には、どのくらいの数があるのかね」
「んー……じゃ、わかりやすいから、棒、うちじゃ棍術になるンだが」
実演はしねェよと、レーゲンは笑う。
「技としては単純でな、突きを三発入れるだけ。まあ、難しいことは避けるぜ。棍術の中で大きく五つの種別がある。
つまり。
「雨天流棍術・
「名称を聞く限り、威力特化かね?」
「元は攻城戦なんかで、城門を壊すための技だからなァ」
単純計算をしたのなら、棍術だけで八幕あり、内容は三つなのだから二十四。さらにそれが五つの分類になっているのなら、数えるだけで面倒だ。
しかも、たぶん武器ごとにそれはある。
――ならば?
「組み合わせを考えれば呆れるしかねえが、レーゲン。お前はそれを選択できるんだな?」
「おう。雨天である最低条件で、そこが本質だ」
一分、いや、一秒ですら戦闘中では長いと感じることがあると、妻が言っていた。その時間に、何を選べば正着なのか、それを捉えられなくては、技が多い意味がない。
「なるほどな」
「といっても、それほど厳密に対応してるわけじゃねェよ。汎用性も高いから、その時は違う技に繋げりゃいい」
「扱えることが前提なら、使える手札は多い方がいい」
「そうかもな」
「……レーゲン、そろそろ良いだろう?」
「なにが」
「かつての話を聞かせたまえ。この国から出ていくとはいえ、ラナとはこれっきりの付き合いではないだろう?」
「俺はそのつもりだけどな」
「ぼくもそれは同感だ。きみはどうかね」
「もったいねえと思ってるのは事実だ。それこそ、お前らがこの国を出る時に、あるいはその先に、何かできりゃいいと思うくらいには」
「だったら聞かれても構わんだろう。どうかね」
「俺にとっちゃ、かつてなんてのはあまり意識してねェンだけどな。いいぜ、じゃァ少しばかり、以前の話をしちまうか」
そう言うレーゲンは、たいして興味のなさそうな顔をしたまま、ラナイエアの妻を椅子に座らせた。
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