第11話 二つの仕込み

 一日、最後の報告を受けてから、どれくらい時間が経過しただろう。

 彼女にとって自室とは寝室そのものであるし、以前よりは書類の数が減ったとはいえ、寝るタイミングを逃して仕事をすることもある。

 ただ、若い時と違って、日付が変わろうとする時間には眠気が襲ってくるため、翌日に疲労を持ち越すこともない。

 であるのならば、時刻は二十二時を過ぎた頃合いだろうか。


 煙草の煙を吐き出す音に気付いた。


 ぞくりと背筋に走った悪寒。現役の頃には二度ほど感じたそれと同じであり、嫌な気分になるが、気持ちなんてのは遅れてやってくるものだ。

 そして、冷や汗を感じる前に、大きく吐息を落とし、老婆は眼鏡を外した。

「……」

 何を言うべきか、少し迷う。

 そこそこ警備が厳重なこの屋敷に忍び込んだことを褒めるべきか? いやいや、たとえ見た目がまだ若い子供であっても、少年であっても、ここまで余裕を見せ、しかも気付かれて構わないと言わんばかりに煙草を吸っているのだから、皮肉にもならないだろう。

 だから。

「懐かしいことを思い出したよ」

「ほう?」

「かつて私の師がね、悪寒を感じたらその時点ですでに負けだと、そう教えてくれた。状況が最悪だからこその悪寒だってね」

「良い師だな。つまりきみは、最悪の状況でしか悪寒を感じないよう、きちんと育てられたのだ。感謝は忘れない方が良いし、きみが同じよう後継を育てているのならば、なお良い」

 子供の物言いではない。態度も、来客用ソファに足を組んで座っているが、慣れを感じた。

「同業者かい?」

「さてな。ただ、戦場での経験はそれなりにある。今回は――そう、話し合いに来た」

「手短に頼むよ」

「どうだかな。ざっと調査はしたが、きみたち本来の仕事は国を支える柱だろう。二十年前の損失も埋まっているはずだ。落ち着いている頃合いかね」

「……そうだねえ」

「ふむ、何か飲むかね」

「気が利くね、あんたは。グラスは二つでいい、戸棚にある酒の右から四つ目さ」

「敵でもない老人には、優しくしろと教わっているのでね」

 一度煙草を消し、言われた通り、戸棚からグラスと酒瓶を取ると、老婆の執務机で酒を注ぎ、その片方を持ってまたソファへ。

「回りくどい話はやめておこうか。ぼくも交渉事はかじった程度なのでね。――歓楽街の地下にある闘技場、あれは元来、きみたちの持ち物だろう?」

「……そうだね、今は違う」

「工場区では似たようなことをしているがね、後釜ではあるまい」

 その言葉だけで、理解度を計ることができる。

 そうだ、あくまでもであって、彼女たちがやっていたこととは違った。

「あれは訓練施設だろう? 現場を見てきたが、よくできている。呼べる人数は三十人ほどだろうが、まずは本人同士の戦闘訓練。さらには、観客の中に紛れ込んだターゲットを探す訓練、対象を守る訓練、なかなか合理的ではないか」

「そんなに痕跡があるとは思えないね」

「小さい痕跡であっても、想像で補完することはできる。それに、大人数の部下を育てるなら、ぼくだってそうするのでね。暗部の仕事はなにも、暗殺だけではない」

「暗殺だけなら、楽なんだけどね」

「戦場では捨て駒にされて、愛想が尽きたかね?」

「それも織り込み済みでの仕事だ――と、言えたらいいんだけどねえ。補填があったとはいえ、金だけじゃ埋まらないものもある」

 戦後だ。

 そして彼女たちは軍人ではない。

「戦場では、六割で壊滅と口にするものだ」

 おおよそ六割の人員が死亡した時点で、部隊とは瓦解する。それは組織も同じことだ。

 仲間をそれだけ失って、生き残ったところで、同じ生き方を続けることは難しい。戦後に違う仕事を斡旋しただろうし、それでもと残った人数だとて、せいぜい一割か。

 つまり、新しい人員を入れて、それこそまっさらな状態から始めるようなものだ。

「取り戻せるなら、手に入れるかね?」

「――何が行われていて、誰の主導か、わかって言ってるんだね?」

「当然だとも」

「理由は」

「目に余る」

 断言してから、改めてリムリアはテーブルの煙草に手を伸ばした。自分のものではない、部屋に備えてあるものだ。

「というのも本心らしいが、第一の火遊びに責任を取らせようと思ってな」

「わかっているんだね……」

「不祥事が起きるだけだ、あとのことは知らん……が、伝えておいて損はないだろうと思ってな」

「具体的に何をするつもりだい」

「魔物と人を争わせて遊んでいるのだろう? 見世物としては面白くもないが、制御を外れた魔物が暴れ回るだけのことだ」

 それほど難しいことではないと、レーゲンは軽く言っていた。

「第一は殺さないようにする。貴族に取り込まれた被害者だとはいえ、自業自得だろう、あれは」

「あんたの理由はどこにある。国を正そうなんて正義感じゃあるまいね?」

「なに、そうすることで得をする人間がいる」

「……なるほど、それをここで言うつもりはない、と」

「知りたいのなら、条件がある」

「深入りしたいとは思わないが、条件だけは聞いてみたいものだね」

「会議がしたい。きみも参加して貰いたいが、貴族を二人ばかり招待したくてな。残念ながらぼくから招待状が届いても、素直にうなずくとは思えん」

「誰だい」

 二人の人物名を口にすれば、老婆は頬杖をついた。

「私の同窓会でも開こうって話じゃないだろうね」

「日程はまた連絡する」

「頷いちゃいないよ」

「今日、この話の続きをするだけのことだ。断るとは思わないがね」

 来る時とは違って、帰る時は窓からでいい。

「酒は、その一杯だけにしておけ。ゆっくり休め、ご老人。ぼくの敵にならないことを祈っている」

 そして、窓から少年の姿は消えた。

 下に落ちると見せかけて、屋根へ上がったことまで見えた老婆は、大きく吐息を落とす。

 まったく。

 あんな同業者がいるとは、聞いたこともなかったが、だとしたら一体何者なのか。

 それも聞かせてくれるのならば、会議の誘いは断らずに受けるべきかもしれない。


 馬車が停止する。

 装飾は少なく、外観は黒色の馬車は最低限の二人乗り用であり、無駄な部分は見当たらない。二頭引きであるのにも関わらず、速度を出していないところを見るに、乗っている人物はそれほど時間を気にしなかったのだろう。

 御者からの声に反応して出てきたのは、髪をオールバックにまとめ、眼鏡をかけた長身の男性だ。貴族や騎士の一部人間が棲む居住区核であるため、きっちりとした身なりである――が、従者はいない。

 さらには、出迎えの侍女さえいないのは、珍しいと言えよう。

 ただ、人通りはそれなりにあるし、彼はいくつかの視線を感じたまま、御者に対し、ご苦労と短く一言伝え、馬車を走らせた。

 そこに。

「よう」

 少年が接触する。

 その声は、決して大声ではなく、かといって小さいのでもなく。

 ただ、伝えるべき人間にしか届かないような鋭さを持って伝わった。意志のある声だと、彼は知っている。何故なら自分も意図して使うからだ。

「退屈を感じ始めたら身を引けと、自戒はしてねェのか? それとも、引き際を見誤ってンのか」

「――ああ」

 動揺は一瞬。

 眼鏡の位置を正すような動きをして、周囲の人間がこちらを気にしていたら、見ていたとしても不自然のないよう、小さく微笑む。

「あなたでしたか、お久しぶりですね。子供の成長は早いと言いますが、見違えました。どうでしょう、時間があるのならお茶でもいかがですか」

「そりゃいい」

 外観こそ屋敷になっているが、中は思いのほか狭い。一般家庭よりは広いが、あえて狭く作っているという、意図的なものを感じた。

 そして、入り口の、つまりは玄関の隅にあるソファに腰をどっかりと下ろした彼は、頭に手をやって髪を崩し、眼鏡を外した。

「ラナイエア・フォージズだ。俺のことはラナでいい。お前は?」

「俺はレーゲンだ」

 足音。

 軽い音と共にやってきたのは髪の長い女性であり、通路からこちらに顔を見せた瞬間、ぴたりと足を止めた。

「――、……おかえりなさい」

「ただいま」

「客人は珍しいのか? しかも、短い時間で武装までしてくるとは、やるじゃねェか。いや、あんたの奥さんなら当然か」

「まあな。――用件はなんだ」

 先ほどは自然なやり取りに見せたが、もちろん初対面である。しかもラナイエアにしてみれば、相手はまだ子供で、それが余計に異常さを語っていた。

「もう充分だろう、この国から出ていけよ」

「断ったら?」

「……」

 無言のまま、レーゲンは薄く笑った。

「そうか。……なるほどな、やはりお前のような存在が俺の天敵になるのか」

「立場がないッてのは、そのまま権力が通じねェからな。稼げなきゃ他所へ行く商人と似たようなもんだ。暴力は通じるが、対策はしてある。罪をでっち上げても同じことだぜ」

「簡単なことではない。人はそんなふうに生きられないからな」

「個人的には国外に出て欲しいんだけどな」

「何故だ」

「同類だからだ。お前の経歴を洗ってすぐ気付いたぜ? お前は政治そのものを戦いだと思ってる。自分より強いヤツと戦う時に、ぎりぎりのラインを抜ける時に、障害が大きければ大きいほど、そのスリルで笑えるし、結果で喜べるだろ」

「……」

「大物潰しなんて言われてるが、お前はお前の欲求に従っただけだ。俺も戦闘面では、そういう感覚があるし、納得できる」

 だから。

「退屈を感じたら終わり、か」

「気付いてたはずだぜ」

「そうだな。この国で俺の敵はいない。貴族の中に挑める相手はいなくなった――かといって、王位継承権に喜んで参加するほど間抜けでもない」

「全員に絡んではいるだろ」

「支援してるわけじゃないさ。そういう勘違いをしているだけだ」

「いつでも手を切れるようにしてるのは、処世術じゃなく、単にお前が一人でやりたいンだろ。けど、俺がこれからやろうとしていることに、お前は邪魔だ」

「手を貸せとも言わないんだな?」

「言ったら貸すのか?」

「……そうだな」

 内容による、なんて返答がないあたり、やはり彼はもう、楽しめていない。

「わかった、呑もう。七日くれ」

「良い判断だ。首が二つ転がるより、よっぽど良い」

「どうするつもりだ?」

「どう? 今からの話か、それとも五年後か?」

 ようやく。

 彼は、躰を揺らすようにして笑った。

「五年後だ」

「どこか知らんところで、村おこしでもしようかと考えてる。のんびり暮らすのは良いもんだ。こういうのはどうだ? 強いヤツは安く、弱いヤツは高値で手合わせをする。初動が重要だが、あとは続けばどうってことはねェ」

戦闘狂愛者ベルセルクか」

「自己鍛錬の追求をしてるだけさ。俺の鍛錬は地味だぜ」

「正解が見えてるのか?」

「馬鹿言うな、お前だってそうだろ。地味なことを重ねて行くと、正解ッてのは見えてくるもんだ。違うか」

 まったくその通りだと、彼は両手を軽く上げた。

「お前のことを知りたくなってきた」

「三軒隣だ、暇な時に来い。ああそれと、行く先が気になるならは残しておいていいぜ。道理を弁えてンなら、邪魔にはならねェだろ」

「そうしよう。貴族のご老人たちへの伝言は?」

「気にするな、こっちでやる」

「では七日後に向けて準備を進めておこう。次は、商売でも始めてみるのも面白いかもしれん」

「おう。――邪魔したな。そっちのあんたも、警戒し続けて疲れただろう」

「一つ、いいかしら」

「ん?」

「何秒で済む?」

「さあな。ただ、こういう時は抵抗される前に終わらせるのがセオリーだ。あんたは、そこそこレベルが高い。病院送りにした刀使いは、対峙して構えるまで気付かなかった。だがな、気付いた後の対応は三流だ。二流はすぐ警戒をやめるぜ? 何故なら、それが無駄だと知っている」

「じゃあ一流は?」

「俺と同じく、自然体のままさ。戦闘なんてのは、俺がやると決めた瞬間、一息ぶんだけ速ければそれでいい。あとは、ラナみたいに違う方法で場を制するのが効果的だ」

「そう」

「それがわかっていて、俺に主導権は握れないんだから降参だ」

「賢くて助かる。さっきのは本心だ、お前みたいなのは厄介だが、嫌いじゃない」

「俺もお前のことは気に入った。メズ、裏口に案内してやれ。表から帰るんじゃ面倒そうだ」

 気が利くなと、レーゲンは肩を竦める。

 結局、ただの一度でさえ、屋敷に入ってからレーゲンが刀に手を触れることはなかった。


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