第10話 彼らの生き方
そう時間を置かずして戻ったのにも関わらず、屋敷の侍女は何の不満もなく、リムリアの部屋まで案内してくれた。
戻って来るのをわかっていたみたいだ、と気付いたのは、部屋の隅、陽光が当たるかどうか、という位置の椅子に座り、本を読んでいた男を見た時だ。
「来たかね。名前は聞いている、ホノカ。レーゲンの案内は終わったようだな」
「せやな」
実際に、わかっていただろうと、確信を得た。
けれど。
「そこには折れた刀があったかね? そして、持ち主に関連する誰かが先客としていた」
「……そうや」
「その先客とは、第四かね」
「あんた、見てたわけやないやろ」
「ふむ、なるほど、これが縁が合う、ということか。レーゲンの見立てを聞いた時は半信半疑だったが、こうなってしまえば頷くしかあるまい」
座ったらどうかねと、本を閉じたリムリアは立ち上がり、部屋の隅で紅茶の準備を始めた。
「そこのテーブルの椅子は好きに使え」
「ありがとう。……使用人に任せないんやな?」
「ここはぼくの家ではない、レーゲンの家だ。居候の身としては、このくらいはやる――と、そう説明したら納得するかね? 盗聴防止用の結界を今、張ったばかりだ。第三者を呼ぶのは好ましくない」
「……結界?」
周囲を見渡すが、しかし。
「魔力が感じられへん」
「そうかね? それはきみが、普段から魔力を感じることを知っていながらも、魔力を探すことをしないからだと思うが。術式の解析はしたことがあるかね?」
「解析って……何がどうしているか、やろ? 魔術を使うのに、理屈を知るのは当たり前やないか」
「当たり前かね」
「そうや」
そこで一度、言葉が途切れた。
「……なんやの。あんた、結界の特性持ってるんか?」
「
リムリアの口から落胆にも似たため息が落ちた。
「かつて
「聞いたことないんやけど」
「難しいことではない、あちらとこちらを区切る一線を引くことだ。それを結界という術式に落とし込んだのは、彼女の技術であり、思考でしかない。それは防御でもあり、攻撃でもある」
「攻撃?」
「胴体を、あちらとこちらに区切られて、きみは生きていられるのかね?」
「……」
「きみたち学生そうだが、宮廷魔術師でさえ、魔術の深みを知らん。魔術使いに毛が生えた程度のやつとは、話が合わんのでね。レーゲンの母親は、それなりに知ろうとはしているが、こちらとしてもわざわざ話してやる必要はない」
それ以前に、かつての記憶があることをそれなりに隠しているので、顔を見合わせて会話をすることを避けている。
「ところで、きみは誰かと契約でもしてるのかね?」
「――」
「拘束のたぐいではないし、むしろ保護に近いが……なるほど、レーゲンは何も言わなかったと見える。相変わらず、余計なことは言わんらしい」
「なんで」
「言っただろう? 感じることを知っていても、探すことをしない――同じことだ。戦闘において、相手の動きが重要なのは知っているだろう。どう動くのか、予想するはずだ」
「そうやな」
「相手が何をしてくるのかわからない、これが一番厄介だ。つまり戦闘とは、それ以前に観察する力が必要になる」
「やから、その観察力を磨いた結果ってことか?」
「結果的にはな」
ずっと、リムリアもそう思っていた。けれどレーゲンと鍛錬をするようになり、そこにある小さな違いを教わったのだ。
「ぼくが観察しているのは、相手が何をするかではない。何ができるか、だ」
「同じと違うんか」
「小さいが、これが大きな違いになるのだと気付くのは、実践してからだがね」
紅茶をテーブルに運び、自分のものは手に持って、また窓際の椅子に座った。
「ところで、きみはリュウの何かね?」
「友達や」
「そうか」
「……あんたも、納得するんやな」
「ふむ、そこに理解も納得も必要かね? いいか、言い方は悪いがきみを使うと決めたのは、ぼくでもレーゲンでもなく、リュウだ。きみが裏切ろうが、何をしようが、その結果の責任を負うのはぼくたちではなく、リュウだろう?」
「それは……」
「どちらでも構わん、などとは思っていないがね。だからこうして話をしているし、忠告はしておく。ぼくたちを利用したいのならば、最初から頼むと口にした方が良い。裏であれこれ動くと失敗する」
「ああうん、それはなんとなくわかる。なんでこんな二人なんやと、リュウには文句言いたい気分や」
「おめでとう、きみは正常だ」
まったく嬉しくなかった。
「それで、質問は?」
「あんたらが、おかしいのはわかった。何をするつもりや」
「ぼくたちは、ただリュウの望みを叶えるための地盤を作るだけだ」
「リュウを一人抱えて逃げ出すくらい、あんたらなら簡単やろ」
「それをリュウが望むのなら、な」
「……そうやな、リュウがそれを言い出す時は、本当に最後の最後、何もできんくなってからや」
「ほう、友人だけあってよくわかっているではないか」
「付き合いはそれなりに長いんや」
それもそうかと、リムリアは頷く。あれから年に一度、たまに二度くらいしか顔を合わせてはいなかったし、会話も世間話が主体だった。
「こっち来てから、逢ってないんやろ」
「その必要がないのでね。まだしばらく、やることも多いが、落ち着いたらぼくが顔を出すつもりだ。表立って動くわけにもいかん。王族と繋がりがあると思われたくはない」
「言い訳はできるやろ? ここの家の二人は、王宮に繋がりがあるんやし」
「ぼくたちが動いていると、彼らに筒抜けだと思っているのかね?」
「――知らんの」
「言うわけがないだろう。そもそもあの二人は、そこまでぼくたちが動けるなどとは思っていない」
「もう動いてるんか?」
「さてね」
「……一ヶ月以内に、第四を呼ぶとか言ってたんやけど」
「ふむ、一緒に来るかね? 怖い目にも遭うだろうが、レーゲンに責任を取らせよう。多少はぼくたちのことも知れるし、何をするのかもわかる。なあに、ただの話し合いだとも。荒事ではない」
なんだろうか。
それが本当なのか、嘘なのかはさておき――。
「何故や」
疑問が浮かぶ。
「なんでそんな、簡単に話すんや」
「おかしいかね」
「リュウは第五王女や、国の人間や。立場を捨てるなんて、簡単やない。手伝うなんて、うちは言えん。だってそれは、国の中枢に関わるってことやから」
「そうかね? 結果、そうなるのは必然だが、何も内側に直接足を踏み入れる必要などあるまい。魔術と同じで、やり方などいくらでもあるではないか」
「いくらでも? それは言い過ぎやろ」
「極論を一つ言おう。さきほど言った、リュウを連れて逃げることが一つの解決策だとしたら、その反対側にあるのは、国落とし、つまりこの国を潰すことだ。この両極端な二つの間には、それこそ無数の方法がある。良いかね、できるか、できないかで考えるからそうなる。選択肢を己で二つに絞っているのと同じだ」
「それ、どっかで聞いた思考やな……。学校やない、けど本じゃなく」
「未来の予測ではなく、可能性の推移だ。戦術論か何かではないかね。戦場ではこの俯瞰視点を持たないと、命令を待つだけの兵士以外は生きられない」
「それや。戦争経験者のばーさんが、そういう思考もあるって言ってた。だいぶ昔の話や」
「ほう、そういう人材もいるのかね。当時のことは本で読んで推察した程度だが、現場の意見も時間ができたら聞いておくとしよう。話を戻すがな、ぼくもレーゲンも、この国に永住する気はまったくない」
「やからって、指名手配されるやろ」
「レーゲンは喜びそうだ」
「なんでや」
「加減しなくて済む相手が、待っていれば来るんだろう? 戦闘の機会を探す手間がはぶける――半分は冗談だ、聞き流したまえ。どちらにせよ方法はあるし、そうならないよう手を回すつもりだ」
「その上で、最終的にそうなる可能性もある……ってことやな」
「うむ。人は、常識に囲まれて生きるもので、そこから飛び出すことが難しい。どういうことかわかるかね?」
「……」
少し考えながら、紅茶を一口。その所作は綺麗だが、あくまでも最低限のものであって、貴族のような慣れはあまりない。
「ごくごく自然な視野狭窄」
「これが最も近しく、気付きにくい壁だ。何もかもを捨てるのは、口で言うだけならば簡単だが、実際にやるには覚悟も準備も必要になる。夢が叶わないのと同じだな」
「同じ?」
「夢がある、それに向かって進む。なるほど、聞こえは良いし、やってる本人にとっても多少の辛いことがあっても、足は動くだろう。だがな、どんなものにも犠牲が必要で、それが割に合わなくなると、無謀な夢だと言って諦める。その夢のために、今ある当たり前の生活を捨てられるか? 右も左もわからない、命さえ賭け金にするような場所に足を踏み入れられるか?」
「……どこまで犠牲にできるか」
「今ある当たり前は心地良い。人ならばそれを好ましく思う。だから、夢の方を諦める。無理だ、無茶だと言い訳をして、犠牲を許容しない」
「あんたは違うんか?」
「違うとは言わないが、ぼくはそういうものだと知っている。やりたいことがあるなら、必要な犠牲は払うし、払った犠牲を取り戻すことも考える。人はこれを、計画と呼ぶんだがね」
つまりは、準備だ。
己の目的を達成するために、一体何を犠牲にして、何を得て、その結果どうなるのか――そういう可能性を考察し続ける。
「犠牲と一言で表したが、これにも種類がある。取り返しがつかないものと、いずれ取り返せるものだ。前者は極力回避し、後者を選択する。であるのならば、その見分けができる目も必要だ」
もっとも、生前のリムリアは戦場を日常としていた。
身内を守る、ただそれだけを目的として、それ以外を犠牲にしてきたように思う。ああいう生き方は視野狭窄の頂点みたいなものだが、あれはあれで日常だったので、どう否定しようかは迷う。
同じ生き方をしたい、とは思わないが。
きっと、同じ状況になっても、似たような生き方をするはずで。
「生きるとは、なかなか、難しいものだ」
そんな中で、レーゲンはあえて、かつてと同じ生き方をしようとしている。いや、かつての自分を取り戻し、それから違う生き方をするのかもしれない。
彼は武術に取りつかれている。
以前から一緒に鍛錬をすることもあるが、いかんせん地味だ。細かい動きを繰り返し己の躰に叩きこむような、まるで同じ作業を繰り返す内職をやっている気分になる。
慣れてしまっていたが、あれは異常だ。
武術家というのは、どれも似たようなものだと本人は笑っていたが――ここに来て、いざ対人となった時の対応がおかしい。
たとえば、あの刀使い。
あの一撃は速かった。
もちろんリムリアもあれには対応できるし、避けられるが、振り下ろしの途中にある刀を折るなんて芸当はできない。
「どうしたんや」
「ん、ああ、レーゲンの異常性について、少し考えていた」
「あんたから見てもおかしいんやな」
「ぼくはそれほど異常ではない。きみたちが勉強不足なだけだ」
「うちは魔術専攻なんやけど」
「ふむ。ぼくの
「エンチャント? 戦闘補助ってイメージが強いけど」
「おおむね、予想通りの反応だな」
「やけど……さっき、結界は境界、一線を引くって言うてたやろ?」
「そうとも。だから、ぼくがまず着手すべきは、どうやって境界という属性を、空間に付与できるのかだ」
「――特性が、ええと、境界が既に属性なんか!?」
「もちろん、属性として捉えるための構成は、ぼくの技量に寄る部分が強いが、理論上はそうだ」
こんなのは基礎知識だと、リムリアは笑う。
「魔術の話なら、また今度してやろう。そろそろレーゲンも戻って来る、きみも戻りたまえ。仕事は終わりなのだろう?」
「そうやけど」
「なら、きみはきみのすべきことを、やりたまえ。ぼくたちに関わるのなら、よくよく考えることだ」
それは、そうだ。
生半可な気持ちで関わるには、あまりにも重すぎることが、よくわかった。
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