第9話 第四王子イムウィ
地下闘技場が暗黙の諒解として存在している以上、ここにある大規模な病院はあくまでも、工業区において怪我をした場合に搬入される場所として存在している。
もちろん、鉄工所などもあるし、大けがの頻度は多いため、それなりの設備は必要だ。
――彼がいたのは、個室の病棟である。
「先生、きました」
「やあいらっしゃい――おや、あなたは」
「レーゲンだ」
「失礼、自分はフゲンと申します」
両足を投げ出した状態で、丁寧に頭を下げられた。
「広い個室だな」
「致命傷を完全に避けていただいたとはいえ、適度に動かさなければ固まりますから」
「そういう配慮もあるわけか」
「……本当に、先生は彼に?」
「ええ間違いありませんよ。レーゲン殿、そう思うことをお許しください」
「気にするな。お前だって、実際に対峙して構えるまで、わからなかっただろ」
「はい。普段から、当たらないのならば抜かないことを、心がけていたおかげでしょう。今は刀をお持ちのようですが」
「さっき貰ってきたばかりだ。お前の得物を壊して悪かったな」
「お気遣いなく」
折られるとは思っていなかったにせよ、それが戦闘というものだ。
「彼のことは?」
「第四なのは知ってる」
「そうでしたか。では、イムに関してどう見えるのか、お聞きしても?」
「お前が育ててるンだろ」
「はい」
だからこそ聞きたいのだろうが――まあ、いいかと頭を掻き、入り口付近の壁に背中を預け、腕を組んだ。
「今まで両手で扱ってたのに、ここ一ヶ月くらいは片手に変えただろ。あんまし、よくねェな。躰のバランスが崩れつつある」
「――っ」
「わかりますか」
「利き腕がどっちなのか知るのと同じ感覚だろ、こんなの。左右で同じ回数やるのが一番だろうが……」
「なんでしょうか」
「これは俺の持論だから、そのつもりで聞け。技を覚えるッてのは、積み重ねだ。レンガを上に乗せていくよう、高さがそのまま成長になる。けどそいつは、土台ありきだろ」
「はい」
「じゃあ土台を広げよう、これも当たり前の考えだ――が、土台だって上へ伸びるンだよ。力をつける、まあこの場合は筋力か。躰を強くしようとする、それ自体は否定しねェ。けどそいつは、土台を広げることと同義だ。伸ばすことじゃねェンだよ」
「……では、伸ばすとは?」
「イムウィ、右手を真横に上げてみろ」
「ん? ああ、これでいいかな」
「止めろ。さてフゲン、わかるか?」
「少し……低いですね」
「そうだ、だいたい1センチほど低い。今のイムウィじゃ、自覚はできねェだろうな。でけェ鏡でもありゃいいんだが、ともかく、俺はこれを、躰が把握できていないと判断する。基礎、土台、言い方はどっちでもいいが――躰を使えていない。これは極論になるが、イムウィもこう言えばわかるぜ? お前は、あらゆる行動に対して、全てが1センチだけズレてる」
「――それ、は」
「そう、致命傷になりうる誤差だ」
もういいぞと、手を下ろしてもらう。
「歪んだ土台の上に、いくら積んだって、家みたいな形をしているッてだけだろ? そんな家に住みたいというヤツは稀で、大半は文句を言う」
「なるほど、痛み入ります」
「……師匠」
「うん? どうしました?」
「彼は、一振りで剣を折ったよ」
「なんと……自分の言葉が真実だと証明されたようですね」
「驚いたよ」
「師匠以外に、できるとは思いませんでしたが、いや、逆に納得するべきでしょう」
「へえ? お前の師か。詳細は?」
「齢六十になったと思いますが、今もまだ鍛錬を続けています。自分もしばらく逢っていませんね」
「一度、手合わせしたいものだ。まだ早いが」
「早い――とは?」
「今の俺は土台作りが終わったくらいなンだよ。武器修練は、これからだ」
「…………」
「ん?」
「驚いてるんだよ。君はあれか、土台だけで先生に勝ったのか」
「まだ十歳だぜ、土台作りの期間としては少ないだろ。まあ、武器を手にしたい気持ちはわかるけどな」
子供なんてのは、ただそれだけで強くなったと勘違いするものだから。
「さてと、フゲンも事情は知ってるンだよな? イムウィは国政に興味がないのか」
「まあ、ね」
「遊び回ってンのは、市井の状況を知るためだろ。つーことはだ、上の三人が国王にふさわしくねェと、お前自身が理解してるンじゃないか?」
「……」
「それに、生き残るためにはそのくらいしか道がねェだろ? このまま行けば、お前は戦場に放り出されて、死亡報告を待ち望まれる」
だから。
「そうならないために鍛えてるンじゃねェのか」
「……そうだね、僕もそれが一番可能性が高いと思ってる。謀殺するよりも簡単だ」
「レーゲンさん」
「どうした」
「イムに何をさせたいのですか?」
「ん、ああ、そうじゃない」
どこから説明すべきかと、少しだけ考えて。
「俺は、いや、俺たちはプリュウの味方だ」
「おや」
「うん、それはホノカがいたから、なんとなく」
ちなみに、ホノカにはリムリアとの顔合わせを先にさせるため、用事も済んだので戻らせてある。
「あいつの望みを知ってるか?」
「……いや、知らない。立場としては僕よりも悪いし、少しは話すけど、僕は自分のことで精一杯だからね。ただ騎士に関しては断ったと聞いているよ」
「そうか。俺も詳しくは知らないが、俺らはあいつの望みを叶えるために動いてる。つまり――」
「障害になれば、イムもまた、その対象になりうる……ですか」
「ははは、そう心配するな。可能性はあるが、低い。ここ数日でいろいろ調べた結果、まァ邪魔になるだろうッて話でな」
あえて口にしなかったが、邪魔になるのは上にいる三人のことだ。
「どうせ潰すなら、それを利用しちゃどうかッて相談だよ。俺らは基本的に、国政に関わろうとはしねェ。つまり、味方ではあるが、勢力じゃない。だから功績そのものも、イムウィが受け取れるッてことじゃねェな」
「ふむ……」
「一ヶ月くらいは、いや、あいつの気が短いから二週間。そのくらいは考える時間はあるだろうさ」
「そういえば、僕を呼びだすとか何とか言ってたな」
「ああ、実行前にちゃんと意志を確認しようと思ってな。お前だって、殺されるよりは生きたいだろ? けど、それ以外の道だってあるから、俺からは強制しねェよ」
「――その時に、自分も同行してよろしいでしょうか」
「護衛ッて名目か? 口出ししねェのと、口外しねェのを約束できるンなら問題ねェさ」
「ありがとうございます。外部の人間ですが、相談役でもありますから」
「なるほどね。大変だな、王子ッてのは」
「まったくだよ」
「普段の訓練はどこでやってるんだ?」
「騎士団の訓練場に行ったり、こっちで先生に教わったりしてるよ」
「どっちのだ?」
「両方だよ。軍騎士の訓練も受けてる。基礎体力メインだけどね」
「……そうか、どちらにせよ騎士は国王の所有物だったな」
戦争は、おおよそ二十年前だ。そこらの事情は知ってるし、レーゲンは火種の原因も察しがついている。
そして。
「お前らは、次の火種があることには気付いてンのか?」
「――」
「どういうことだ?」
「そうか、フゲンはそれなりに深入りしてるみてェだな」
「お気づきでしたか」
「外側からの見解だが、まあ、前例がある以上は、起こりうる話だ。国王は手出ししないつもりだろ」
「今のところは、ですが」
「イムウィ、前回の戦争は継承権争いが発端なんだよ。たとえばさっき言ったよう、お前を始末したいと思ったら、戦場に送り出すのが手っ取り早い。じゃあその戦場ッてのは、どこにある? 大義名分も必要だろ、待っていてそれが生まれるか?」
「そのために、戦争を仕掛けるっていうのか? それはあまりにも……」
「被害がでかすぎる? それは常人の思考だな。戦場くらい自分の手で制御できると考えるやつには関係ねェよ。机にかじりついてる間抜けと、人を意のままに動かせていると思い込んでる馬鹿の話だ」
イムウィはフゲンを見るが、何も返答がなく、つまり否定がなかったため、黙ってしまった。
「予兆があることに関しては、たぶんお前は察しているんだろうが、先読みはまだまだ甘いッてところか。猶予がどれくらいあるかは、あまり考えないんだが」
「お詳しいですね」
「世の中には、流れッてやつがある。大きいもの、小さいものが入り乱れてるが、流れそのものは消えない。常に流れている中で、誰がどう動いているのか、そういうのを感じるのが得意なだけだ」
その割には、だいぶ国政に詳しいと思う。これで興味がないと言われても、あまり納得できない。
待てと、そこで一度、フゲンの動きが停まる。
――国政に興味がない?
第五王女の味方なのはわかった。けれど、イムウィに対してフォローするような言い回しは、本来ならば不要なはず。いや、いや、ここで引き込んでおけば、第五の望みを叶えるに当たって、有利に進むという考えは理解できる、が。
何か、大きな見落としがある気がする。
当たる。
その感覚を信じて鞘から刀を抜くことを心がけているが、かつて師と手合わせをした際に、何度も感じたあれと同じだ。
当たるという確信があるのに、当たらない現実がそのままイメージできるような。
矛盾とは少し違う、現実と幻想の齟齬。据わりが悪い、見落としがある、何かに気付けていない。
だから、目の前の材料を一旦忘れて、最悪の状況を考え始めて、気付いた。
「――まさか」
「ようやくか」
言って、レーゲンは組んだ腕を外して、壁からも背中を話した。
「ま、ゆっくり休めよ、フゲン。暇そうならまた顔を出す」
「え、ええ……今日はありがとうございました」
※
レーゲンが出ていき、フゲンは大きく深呼吸をした。
「イム、どうやらあまり、猶予はないようです」
「先生?」
「彼は、国政に興味がありません。それゆえに、あくまでも第五王女の望みを叶えるとだけ、口にしましたね」
「うん」
「何をしているのかは知りませんが、少なくとも第三までは対象に入っています」
「そうだね、手段は知らないけど」
「いいかい、自分も手段についてはわからない。でもね、国政に興味がないということは、同時に、国そのものにも興味がないんですよ」
「……ん?」
「イムも一度くらい考えたことがあると思いますよ? ――この国さえなければ、自由になれたのに」
「――っ」
「もちろん、それが子供の妄想であることは知っているでしょう。けれど、彼はおそらく、やろうと思えばできてしまう。いくつかのプランの中で、優先順位は低いでしょうけれど、最悪の場合はそれもやるかもしれません」
「国を?」
「彼女の、第五の望みが何なのか、それを果たすために何が必要なのか、そこが重要かもしれませんね。脅しに聞こえるかもしれませんが、決断の時は近いと、そう心がけておいた方が良いでしょう」
「……一体、彼は何をするつもりなんだ」
「さあ、そこまではわかりませんが」
波乱の予感はある。
そして、それは遠くない未来に訪れるものだ。
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