第6話 地下闘技場の支配者

 地下闘技場なんて名前がついているのだから、てっきり周囲に観客席があり、進行役の人間がいて騒がしいと思いきや、金網で作られたステージが用意されているだけで、観客たちは窓で区切られた外にいた。

 審判役も、進行役もおらず、特例としてリムリアも中に同行できたものの、周囲には人がいない。

 ――いや。

 高い位置に男と、娼館の女と、その執事がいる。声は届くだろうが、特に話すこともなかったので無視しておく。

 かなり厚いガラスを使っているため、防音もされており、ステージもコンクリートを使っているため硬く、その上に板を敷いて塗装してある。

 金網の中に入ったレーゲンは落ち着いていて、普段と何も変わらない。相手が背丈の二倍はあり、横幅も二倍、さらに大きな木槌を持っているのを見ても、反応すら見せなかった。


 開始の合図はない。


 腰を軽く落とし、横側に木槌を構えた相手を前に、レーゲンは自然体のまま。それどころか、ふらふらと歩いて近づき、ある地点でぴたりと足を止めた。

 一息。

 木槌は横に振るわれた。

 殺しをしない、という一応の配慮だ。上から振り下ろせば、殺してしまう。だが横殴りならば、相手を吹き飛ばし、かなり骨折するかもしれないが、生存率は高い。

 たとえ、相手が子供であっても、相手の攻撃の最大威力が出る位置で足を止めたのだから、遠慮は無用だろう。

 しかし。

 降り抜いた木槌は、そのまま彼の手を離れ、大きな音を立てて金網に当たった。

 背中を向けたレーゲンがこっちに来るのに合わせるよう、男は前のめりに倒れた。口の端から血が出ており、ぴくりとも動かない。

 最初の相手だ、どうせ様子見だろう。木槌が振るうタイミングで内側に入り、振り抜くより前に打撃を入れている。おそらく、両手で一発ずつ――内臓破壊、いわゆる浸透系と呼ばれる部類の打撃だ。

 すぐに奥の扉から担架と医者がやってきて、運び終えてから掃除を手早く済ませる。

「レーゲン、それは癖か?」

「相手を見て選んでるだけだぜ」

「そうか」

 躰の正面、鼻から喉、へそ、金的、つまり中心となる正中線。これは基本的に隠せと、以前からレーゲンに習い、同じよう鍛錬をしてきた。人間なんてのは急所の塊のようなものだが、それでも正中線には一撃必殺に近い急所があり、特に刃物を使わない戦闘では警戒する。

 ちなみに刃物の場合は急所どころか、一撃で終わりという想定だが。

 今のレーゲンは、真正面からすたすたと近づいた。半身になることさえせず、相手の動きを待ってから、行動する。カウンターを狙ったと言えば聞こえは良いが、実際にはそうではなく、ただ避けてやり返しただけだろう。

 それを、観客はわかっていない。

 さて、次の対戦相手は――。

「ほう」

 長い髪を後ろで結った男は、腰に刀をいており、金網の中に入ってすぐ、レーゲンに対して一礼をする。

 和装でもしていれば侍に見えたかもしれない。

 距離を空けたまま、右足を前に出し、軽く腰を落とす。左手で鍔を押し上げ、右腕は力を入れず、だらんと下げたまま視線だけはレーゲンを捉えた。

 踏み込むつもりだ。

 移動を前提とした居合術か――リムリアはあまり知識はないし、見たことはないけれど、想像はつく。いや、あくまでも想像でしかない。

 レーゲンは、自然体で正面を向いたまま、今度は動かなかった。

 そして、相手もまた、動かない。

 膠着状態かと思ったが、すぐにそれを否定する。

 十五秒後、相手の額から流れが汗が、顎を伝って床に落ちていた。呼吸も少し早い。

 

 最近ではリムリアもその状況を体験できるようになった。手を出す前に、自分が何かをしたその結果が、どういうわけか、わかってしまうのだ。

 何をしても避けられ、反撃をされるのが目に見える。実際には、今のリムリアだと避けられるところまでしか見えないが、そういう時は膠着状態になってしまう。

 何もできない。何かがあるのでは、これも違う――そういう思考に陥る。

 悪循環だ。

 そんな状況で最大限の力を発揮できない。

 小さく苦笑したレーゲンは、くるりと相手に背中を向けて金網に近づいた。リムリアと視線が合う、それも一瞬のことで、金網に触れてから、また相手を見る。

 その行動で気付いた男は、僅かに息を呑んでから頭を下げ、ゆっくりとその場に正座をし、瞳を閉じた。

 呼吸をする。

 自分を落ち着ける方法はいくつかあるが、その最も簡単で効果的な方法は、いつもの行動を思い出すことだ。可能ならば、それを実際にやると良い。

 普段と違う場所、違うシチュエーション、そうしたものには緊張がつきものだ。逆に考えればそれは、普段とは違うからこそ、できないかもしれない――そう思うことが緊張の原因になっているとも言える。

「……お待たせしました」

「おう」

 汗は引いていないが、先ほどとは違って明らかに落ち着いた彼は、大きく深呼吸をしながら立ち上がった。

「覚悟は決まったか」

「はい」

 すたすたと歩いて、ぴたりと停止したその位置は、相手の攻撃がもっとも効果的であろう場所だ。それに対し、相手も頷き、構えを取る。


 抜いた。


 居合斬りは、縦の軌道。真正面から、頭上を狙っての一撃。当たれば即死だろうけれど、相手はこれで殺せるだなんて、一切考えなかった。そんなはずはない、そんな信頼さえあったのだから、その結果にもきっと満足だろう。

 ゆっくり一歩、左足が前に出た半身になったレーゲンは、そのまま左手を下ろされる刀の側面に当てた。

 折れる。

 驚きの顔を見せた相手は、短くなった刀を振り下ろしきって、折れた先を右手で掴んだレーゲンは、それを相手の右脚、ふともも付近に刺し、押し込んで貫通させた。

 痛みにしゃがんでしまったが、彼は悲鳴など上げない。先ほどとは違う、痛みによる脂汗を浮かばせながらも、倒れ込まず、膝をついてこちらを見上げた。

「――自分に葉、何が足りないのでしょうか」

「そうだなァ」

 ゆっくり一歩だけ下がって、距離を作る。

「先手を取るなら、もっと速い方が良い」

「見えましたか」

「おう、目で追える速度だ。それに、居合いは技術だ、力じゃねェよ。むしろ力なんて抜いた方がよっぽど動ける。あとはそうだな、お前はもっと休んだ方が良い。傷の完治に一ヶ月だ、戦闘は頭ン中だけにしとけ」

「はい。ありがとうございました」

「おう」

 担架がやってきて運ばれるのを見届け、レーゲンは。


「――よゥ、まだ続ける気か?」


 観客に対して声をかけた。

「これ以上やるッてンなら、あんまり賢くはねェぞ」

 そして。

「同感だな」

 リムリアの声は、彼らの背後から放たれた。

 瞬間的に反応した老体の腕を、軽く上から押さえつける。何もここで戦闘をしたいわけではないのだ。

「全てを台無しにする前に、移動しないかね? そうなれば会話で済む。判断は任せるが――レーゲン」

「しょうがねェか」

 ここにきて初めて、レーゲンは呼吸を整える。吸って吐く、そんな当たり前の行動を意識して行い、左足を軽く上げ、コンクリートの床に叩きつける。

 さすがに、現状の躰で、十歳の体躯で、土台を壊せるわけがない。壊せたとしても、反動で逆に躰が壊れる。けれどやり方さえ変えれば――ほら。

 轟音。

 金網がキリキリと音を立て、賭けをしていた客を仕切る窓ガラスが一斉に破壊された。

「ほらみろ、判断が遅れたから回収費用が上乗せになった。次に壊されるのは何かね? 巻き込まれるのは、きみたちかもしれんが」

「――よせ。もうわかった」

 そこでようやく、疲れたよう男は言った。

「場所を移そう。今日のイベントは終わりだ」

 それは、敗北宣言と同じだ。


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