第5話 懐かしい符丁

 十歳という契機に、王都の学校へ入ることとなった。

 これはレーゲンが望んだことでもあるし、予定していたことなので、事前に話し合った結果であり、反対されることはなかった――が。

 用意されていたのは、両親が使っていた家であり、使用人が六人もいる豪邸だった。

 しかも、半年後くらいには両親もこちらへ来るらしい。

「お前と一緒に暮らせッてのは、そういう意味かよ……」

「これはさすがに予想できなかったが、諦めるしかあるまい。一等地とは言わんが、それなりに警備員も回っている良い場所だな」

「とりあえず挨拶だ」

 家を管理している初老の男に、いろいろと説明を受けた。とはいえ大前提として、ここれはレーゲンの両親の家なので、厳しいものはない。

 立ち入り禁止の部屋がいくつかあるだけで、あとは食事の時間など。

 最後に、それぞれの部屋に案内された。


 ――二人が動き始めたのは、夕食を終えてからだ。


「少し出てくる」

 言えば、執事風の男は。

「このような時間にどちらへ?」

 当然の問いを口にした。両親への報告義務もあるのだろう。

「ぼくたちは王都にあまり詳しくない。酒場で情報を集めるには、やや早い時間だが、ぼくたちが夜間に出歩くわけにもいくまい」

「情報、ですか」

「うむ。それともきみに問えばいいのかね? ここら一帯の責任者は誰で、弱みは何で、金をどれだけ積めば納得するのか」

「答えがねェ問いをするほど間抜けじゃねェよ。初日からトラブルは起こさねェし、適当な時間に戻ってくる。あんたに責任はない」

「ここは田舎と違うのでね、やり方を変えてアプローチせねばならん。ただ、その心配だけは受け取っておこう」

 返事は聞かず、やや強引に外へ出た。尾行するだけの人員はないだろうし、警備の見回りに見つかっても面倒なので、人気のない場所を通って繁華街へ。

「任せる」

「うむ」

 酒場と言っても、数は多い。上品な店もあれば、魔物を狩る者たちが集まる場所もあるし、一般人が仕事終わりに一杯飲む酒場もある。

 違いはレーゲンでもわかるが、目的に一致するかどうかは別の話だ。その点は、傭兵として培ったリムリアの嗅覚に頼った方が良い。

 事実、リムリアは吸い寄せられるよう一つの酒場に向かい、足を踏み入れた。

 まだ開店して間もない時間、客はテーブル席にぽつんと一人ずつ。静かな雰囲気はかつてバーと呼ばれた雰囲気に近しい。

 ただし、十歳の子供二人がその雰囲気に合うかといえば、否だろう。

 リムリアは何かを言われる前にカウンターの椅子に座る。

「ジュネバをストレートで」

 ジンの種類だ、この世界にあったとしても、その名前は通じないだろうと思ったレーゲンは、その様子を見守る。店主とリムリアの顔が見える位置でぴたりと足を止め、座ろうとはしない。

 店主の反応は、無言のようにも思えるくらいには時間を置いてから。

「……子供に出せるお酒はありませんよ」

「そうかね」

「ええ、それに……そういう名の酒は聞いたことがありません。ラムを出せ、と言われたこともありますが」

「ほう?」

「カルーアミルク、カルーア抜きは、なんとなくわかりますが、マティーニのベルモット多めと言われても、こちらにはさっぱり心当たりがありません」

「――」

 今度は、リムリアが黙る番だった。

 なるほど、どうやら店主は、聞き覚えのない言葉を、どうにかして思い出そうとしていたらしい。何かの符丁だろうが、レーゲンは知らないものだ。

 しばらくして、リムリアは金貨を一枚、テーブルの上に置いた。

「水を一杯くれ」

「……どうぞ。そちらは?」

「俺はいい」

 小さく、リムリアは吐息を落とした。

「このあたりの元締めの情報をくれ、挨拶をしたい」

 テーブルの上の金貨を弾くと、それは店主の手元に落ちる。

「手慣れていますね」

「そうでもないと思うがね」

「王都の大きな勢力は二つです。工業区の奥にある、貧民街の傍で仕切っている勢力と、もう一つは娼館です」

「ふん、前者が表立って力を示し、後者は見えないところで力を伸ばしているか。そちら側でも表と裏かね。いずれにしても絡むのは金か」

「わかりやすい象徴ですから。うちは娼館側の店舗になりますが、出入りはあまり関係ありませんね」

「きみが上納をどこにしているか、ただそれだけの話かね。立場、勢力、どちらも弁えていると考えて良さそうだ」

「私どもはなんとも言えません」

「それは今から確認しに行こう」

 もう一枚の金貨をテーブルに置きながら、水を飲み干してリムリアは立ち上がった。

「お客様、これ以上は――」

「また顔を見せる。余剰分はその時に返してもらおう」

「お名前をよろしいですか」

「なあに、そう遅くなく通達が来る。きみに迷惑をかけるつもりはない。――ところで、きみが出逢ったのはラムを寄越せと言った女かね?」

「ええ」

「充分だ、ありがとう。邪魔をしたな」

「またのご来店をお待ちしております」


 外に出た二人は、何も言わずに娼館がある花街へと足を進めた。二つある選択肢のうち、どちらを選ぶかは、相談しなくとも同じだったらしい。

 ただ、リムリアは腕を組んで複雑な表情をしている。

「で、だいたい予想はついたが、説明する気はあるか?」

「ん、ああ……ぼくのいた傭兵団ヴィクセンには、若い三人の女がいてな。魔術師の女はラムを、交渉を得意としていた女はミルク、そして傭兵が天職のよう何でもできる女はマティーニをよく頼んでいた。ぼくは斥候スカウトの役割上、あまり一緒に飲むことはなかったが、それでも覚えている」

「偶然じゃねェのは、わかってンだろ」

「それを考えているのだが……」

「簡単な話だ。その中のうち、お前を含めて誰かが呼び出された。これを太い糸だと考えろ。お前らは縁ッていう細い糸で繋がっている」

「周囲に影響を与えて、こうなったと?」

「自然だろ」

「だからといって、――いや、レーゲン、きみは既に、どうしてここに居るのか、その原因に心当たりがあるのかね?」

「まあ、原因ッつーか、なんとなくな」

「ぼくが未だに仮説を立てて、ここ三年以上は考察を続けているものの答えがあると?」

「興味はねェが、そのくらいは」

「……何故、それをぼくに話さない」

「話せとは言ってねェ」

 それはそうだが。

 何より重要なことではないのかと口にしようとして、先ほどとは違った、疲れたような吐息を落とす。

「あとで聞かせたまえ。今は、目の前のことに集中しよう」

「それほど神経を尖らせることじゃねェけどなァ」

 レーゲンはいつだって、気軽に言う。確かにそれほど困難なことをするつもりはないが、なんというか、目の前の状況に対して、常に答えを知っているかのような振る舞いが多いよう見えた。

 今までそれなりに付き合いはあるが、両親や大人たちがいない場所でのレーゲンは物静かで、かといって話を聞いていないわけでもなく、反応は鋭い。

 掴み切れない、という表現が一番近いような気もする。


 娼館に到着した頃には、陽が落ちていた。

 豪邸とも思えるくらいの大きさで、中はおそらく個室ばかり。隣接した場所には寮のような施設があるところからも、女性を大切に扱っているのがわかる。

 ただ。

 中に入った時、それほど広くはないにせよ、左右にある階段が円形を描くよう二階に続いているホールのようになっていて、リムリアは少し嫌な感じがした。

 背もたれのない椅子が四つほど置いてあるが、そもそも高級店なのだから完全予約制になっているだろうし、待ち時間なんてないようなものだ。出入口は奥に一つ、カウンターの裏、そして左手にもある――つまり。

 出入りがある。

 仕事以外のだらけた姿を見せるような場ではないだろうに、人の行き来を想定しているのが引っかかった。これが、構造上の問題ならば良いのだが。

 目の前の受付にいたのは、燕尾服に似た、しっかりとした服を着た白髪の男である。七十とまでは言わないが、それなりに老いている。

 その男の、驚きの表情は果たして、何に対してだろうか。

「すまない、予約はないのだが、ここの支配人に挨拶をしたい。呼び方がこれで合っているかどうか不安だが、ここらの元締めに、だ」

少少しょうしょうお待ちください」

 こちらから視線を外さず、二歩ほど下がって後ろの扉を二度ほどノック。しばらくして、同じ服を着ているのに、体格が圧倒的に良いからこそ、同じに見えない男が顔を見せた。

「はい」

「受付をしばらくお願いします」

「――?」

「返事」

「はい、わかりました」

 荒事担当が、呼び出されてみれば違う仕事を投げられた――なるほど、当人はそう感じるしかない。

「お待たせしました、ご案内します」

「すまんな」

 階段を上がり、先導する男の雰囲気は硬い。いつでも、何に対してでも対応できるような警戒を、ぎりぎりこちらに気付かれないよう、身の内にとどめるようなやり方だ。それを悟られるようでは、まだまだ。

 この手の警戒は、レーゲンに嫌というほど教わった。第六感に頼っていた、かつてのリムリアとは違う。

 ただ、やはり――。

「失礼します。お客様がいらっしゃいました」

 思考は中断され、奥にある部屋をノックする音と、声。中からの返事がある間に、歩いて来た距離から現在地と、この建物の造りを雑に把握しておく。

 中に入れば、窓にまず視線を投げ、外の景色が見えるのを確認。これは逃走経路になりうる。

 そして。

 手入れのされていないぼさぼさの長い髪を持ち、大き目の眼鏡をかけて積まれた書類に向かっている女性が、顔を上げた。

「……なに? 緊急?」

「はい」

「あんたがここらの元締めだと聞いて、挨拶しに来た。ぼくはリムリア」

「レーゲンだ」

「ああそう、それはどうも。ちょっと待って」

 書きかけの書類を終わらせようとして、しかし、面倒になってかペンを置くと、彼女は立ち上がって大きく伸びをすると、だらしない部屋着のまま近くにあるベッドに腰を下ろした。

「シクレよ。それで?」

「ぼくたちは第五王女プリュウの味方だ」

「――」

「アレが望む結果を、ぼくたちは手助けをする。きみたちがどの派閥かは知らんが、覚えておくといい。巻き込まれたあとの泣き言は聞かんのでね」

 返事はない。

「さて、では今日中に工業区にあるもう一人の元締めに挨拶せねばならん」

「ちょっと待って、お願い少しでいいから」

「ふむ、では待とう。ところでご老人」

「はい、なんでしょう」

「警戒しているのは、ぼくに対してかね?」

「そうです」

 やはりそうかと、頷きと共にちらりとレーゲンを見るが、口の端を歪めるような顔をしただけの反応だった。

「技能は暗殺系かね、ぼくと似ている部分もあるのだろう。どういうわけか、最近になって三度ほど、似たような反応を見せた手合いがいる。――ぼくが手も足も出ない、レーゲンには警戒しないのに、な」

「――」

「腕に自信があるのね?」

「自信? それはどの程度だ? 以前、リュウにも言ったが、国落としをしろと言うのなら、住民の半数を巻き込むことになる。ぼくは望みたくはないな……」

「本気で――」

「お嬢様!」

「ふむ、賢明だな。やってみろと言ったら、きみの部下の過半数が屍体で上がることになる。もっとも、そんな面倒をする前に、きみを殺すが」

「……」

「なにも敵対すると言っているわけではない。きみが敵対しないのならば、ぼくたちは良い関係でいられるだろう。もちろん、数年後にはここで女性と楽しむかもしれん」

「お嬢様」

「うん、そうね。……工業区の地下闘技場では、命知らずたちが金をかけて戦いをしてる。それに参加してみてはどう?」

「レーゲン」

「ん? ああ、十戦くらいなら何とでも。無理そうならやめりゃいい」

「きみを越える相手がいるとでも?」

「忘れるな、俺はまだ十歳だぜ。肉体的には、相応の扱い方しかできねェよ」

「そうだったな」

「で、お前は推薦する責任をどこまで取るつもりだ?」

「……? どういう意味合いかしら」

「面倒がなくて賛成だし、お前が俺に賭ければ金も稼げる。相手をする連中が全員、半年はベッドの上から動けなくなっても、俺は気にしねェぜ? 相手がむきになって人数を揃えれば、被害は大きくなるが、それは回り回って推薦したお前の責任だ」

「だからといって、こっちから被害を抑えてくれと言うのはお門違いでしょう?」

「甘く見てるようで何よりだよ」

 まったく、レーゲンはいつもこうだ。

「どうしてお前は、反応が薄いのかね? 甘く見られたら、それなりに反応すべきだろう」

「そうか? 見積もりが甘いのは俺じゃなくてこいつだし、結果を見て後悔するのも俺じゃない。フォローはしたし、もしかしたら俺より強い相手がいるかもしれねェだろ」

「ほう? 埋もれた逸材が軍騎士の隊長クラスよりも強いと?」

「連中と比べてどうするよ」

「ふん、それもそうか。ところで、きみたちの本分は情報収集と暗殺かね? 女を使った商売ともなると、さぞかし男の口も軽くなるだろう。状況が終わり次第、少し国の状況について――いや、それは日を改めた方が良いか」

 紹介状を作れと言って、リムリアは少し疲れたように吐息を落とした。

 この世界に、かつて一緒に行動していた傭兵団の仲間が来ている事実を知った今、そのあたりに関して詳しく考察したい。

 とりあえずは、現状のことをとっとと終わらせるしかないのだ。


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