第3話 直刀の受け渡し

 誰かが言っていたのか、何かに記されていたのを読んだのか、覚えはない。

 八歳の子にとっての一年は、人生の8分の1だが、七十歳の人にとっての一年は、人生の70分の1である――そんなことを思い出した。

 それだけ幼少期の一年は充実しているのを、奇しくもレーゲンが実感したのは、思っていたよりも自分が成長している自覚を持った時だった。

 こと鍛錬において、遅れることは好ましい。何故なら、後れを取り戻す方法なんて、いくらでもあるから。

 しかし――早すぎることは好ましくない。慢心を生むし、遅らせることが弱らせることと繋がってしまう。

 好ましくはない……が、それはそれとして、受け入れる。

 どんな姿、あるいは何年経とうとも、変わらないことが一つだけある。


 それは、レーゲンが、レーゲンであることだ。


 何を当たり前なことを、と思うかもしれないが、人は立場や環境で変わるものなので、案外難しいし、それが好ましくない場合だって多くある。

 加えて、それを貫くには、相応の積み重ねが必要だ。


 その日、昼食のあとに来客があった。

 夏が近づいてきて、それなりに暑いと感じるようになった頃である。邪魔をするつもりもなかったので、二階の自室に戻ったレーゲンは、やや長い布の包みを片手に持ち家を出ようと思ったが、しかし。

「おや、こんにちはレーゲン」

「ゾーブのおっさんか、久しぶり」

 何度か――そう、一年に一度くらいは顔を見せる、両親の知り合いがそこにいた。

「邪魔する気はねェよ、俺は外に出る」

「レーゲン、一緒にその子を連れてけ。俺らの話を聞いてるだけじゃ退屈だろう」

「あらおじさま、配慮してくださるのは嬉しいですけれど、そんなことはありませんわよ? ええでも、お二人を邪魔してもいけませんから、そうしますわ」

「……まあいいか。じゃあおっさん、ゆっくりして行ってくれ。夕方には戻るぜ」

 そして、外に出て、歩き出す。

「ちょ、ちょっと待ちなさい」

「あ? ああ、知ってるとは思うが、俺はレーゲンだ。あんたは?」

「リュウでいいわ。あなたは確か、まだ八歳だったかしら」

「そうだ」

 もう、八歳になってしまった。十歳になれば学校に通う年齢なので、時間があるのは残り二年だ。

「わたしは十一歳よ」

「へえ」

「……なにその反応」

「だったら村の案内なんてのは必要ねェと、そう思ってたところだ。来いよ、俺は俺で用事があるンだ」

「なによもう……」

 やや一方的な物言いだが、歩くペースは合わせる。向かう先は、森の中だ。

 以前は、レーゲンの行動を目にした村の子供たちが、尾行するよう森に入って問題になったものだが、一度魔物に襲われてそれを彼の父親が助けたことをきっかけに、無断で森に入るようなことはなくなった。

 狙ってそういう状況を作ったことは、父親には黙っている。たぶん察しただろうけれど。

「ちょっと、どこへ行くの?」

「俺らの隠れ家だ。静かな場所の方が落ち着くだろ。それとも泣き言か、?」

「挑発しないの」

 そう言ったものの、文句は言わなくなった。実際に歩いて十分ほどの距離なので、そう遠くはない。ただし、いつものレーゲンならば、である。女性と一緒なので、もう少し時間はかかった。

 村人風の動きやすい服装ではあるものの、手入れされている肩にかからないほど短い髪の質などで、普段の生活は推測できる。

 それに――。

「到着だ」

「……あら、何もないわよ」

「だろうよ」

 レーゲンは足元の小石を拾い、上空へ軽く投げた。それは放物線を描き、障害物を回避して落下する。

「出てこい。二度目は直線で投げてやろうか?」

 言えば、音を立てて女性が姿を見せた。

「――あなた、フュールがいるのに気付いていたの?」

「ゾーブのおっさんや親父が、護衛もなしにガキだけでお前みてェなのを出歩かせるかよ。こっちに来い猫、護衛の仕事をさせてやる」

「…………」

 やや茶色が混ざった毛色に加えて、頭上には猫の耳が二つ。村では珍しいことだが、この大陸には異種族も多い。

「リュウ、そいつと手を繋げ。早くしろ」

「え、あ、うん」

 残った手をレーゲンが掴み、行くぞと伝えて六歩ほど。

 たったそれだけで、そこに結界で隠されていたログハウスが姿を見せる――。

「え……?」

「俺は猫好きだが、仕事の邪魔をするほどガキじゃねェ。庭でのんびりしてろ。あまり遠くに行くと、結界の外に出て戻ってこれなくなるからな」

「待って、一つ聞かせて」

「ん? なんだ?」

「この結界、目隠しなのか知らないけれど、あなたが張ったの?」

「いや、俺の知り合い。やれと言ったのは俺だけどな。魔物避けもしてるから、それなりに安心していいぜ」

「――それなり、とは心外だな」

「危機感を持たない方が問題だろ」

「ふん。で、その客はなんだ」

「リュウよ。こっちは護衛のフュール」

「ぼくはリムリアだ。ふむ、ということはレーゲンの父親の客かね」

「それ以外はねェよ」

「裏は」

「ンな面倒なことは俺の仕事じゃねェな。実害を被ってから対処すりゃいい」

「それもそうか。目的がなんであれ、余計なことをしなければ歓迎するがね、プリュウ王女殿下」

 言いながら、リムリアは鼻で笑った。レーゲンも肩を竦める。

「知ってたの?」

「その質問にどんな意図がある? 今、きみはそれを証明して、ぼくの言葉は正しいのだとわかった。いつどこで何を知っていたのかを、いちいち説明させるつもりかね。そして今は、ただのリュウだ。違うのかね」

「それは、そう、だけれど」

「では納得したまえ。レーゲン」

「おう、持ってきたぜ」

 手にしていた包みを軽く投げれば、それを受け取ったリムリアは階段を下りてくる。

「二人は、そこにあるテラスに行っておけ」

 そんなしゃれたものを作るつもりはなかったが、家屋のバランスを見た時に必要だと思って作った場所だ。実際には、調理場として使っている。火を使うのもそうだが、屋内では匂いが残るからだ。

 移動する二人を無視して包みから中身を取り出せば、そこにあるのは剣だ。

 いや。

 すぐに引き抜けばわかる。それは片刃であり、実際には直刀であると。

「黒塗りにはしなかったぜ」

 そうかと呟き、右手に持って一振り。鞘はあるものの、鍔はなく、柄に当たる部分も金属が露出しているだけだが、僅かにくぼみができていて、握ることはできた。

「短いな。62で頼んだはずだが」

「58センチだ。丁度良いだろう?」

「……そうだったな」

 今のリムリアはまだ、レーゲンと同じく八歳なのだから、その躰と比較したらそれでも長いくらいだ。


 銀光が目の前を横切った。


 単純に回避したレーゲンの動きを見切りと呼ぶのは簡単だが、その中身はもっと複雑だ。踏み込み、直刀を振るう直前にかかとからつま先に力を移動させ、ほんの数ミリほど前へ出て、直刀が届く直前につま先からかかとへ力を戻すようにして回避。これだけで間合いを誤認させ、次の行動に移るのも容易い。

 半歩、踏み込みの意志を見せれば、躰全体をバネのよう弾ませて、視界からレムリアの姿が消えた。

 左手を腰に裏にあるナイフに伸ばし、握ったまま抜かずに対応する。

 五度ほど攻撃をしてから、大きく距離を取ったレムリアは動きを止めた。

「チッ」

「おい、最初に舌打ちかよ」

「なるほど、確かに動きやすいな。お前の鍛錬方針は正しかったし、障害物のない場所での戦闘は面倒だと改めて思い知ったよ」

 ゆっくり歩いて、落ちていた鞘に直刀を戻した。

 息は上がっていない。回避だけしていたレーゲンは当然のこと、リムリアも本気で戦闘を挑んだわけではないからだ。

「充分な仕上がりだ、ありがとう。馴染むのに少し時間は必要だがね」

「だろうよ。さて、中に戻ろうぜ」

「うむ」

「あんたらも来い、お茶くらいはある」

 まだ日没までには時間がある。今日の鍛錬はもう終えているし、スケジュールがあるわけでもないのだ。

 レーゲンもリムリアも、予定が崩れることを嫌わない。

 ただし、優先順位はつけるが。


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