手越君のことだけど。

Tempp @ぷかぷか

第1話

「あの」

 坂口杏里さかぐちあんりはそう呟いて、それから口を噤んだ。しばらく待ってもうつむいたままで、その後が続かない。面倒臭い。話があるというからわざわざこの喫茶店までやって来たのに。イライラが募る。

 私はこの杏里が嫌いだ。いけ好かない。何故かってそりゃぁ。

「何の用なの」

手越てごし君のことだけど」

 ほら、やっぱり。自分の眉間に皺が寄るのを感じる。手越雄斗ゆうとは私の彼氏で、目の前の杏里は雄斗の元カノだ。それだけでも癪なのに、どうしてもと言うから放課後に時間を作った。

「さっさと話して」

「ごめんなさい、あの実は、私、手越君に付き纏われてて」

「ハァ?」


 我ながらマヌケな声がでたものだ。杏里の話は実に下らなかった。

 そんなはずがない。雄斗がこの女を振るところを私はちゃんと見た。校舎裏で雄斗がはっきりと『別れる』と言った場面を。その時のスカっとした気分といったら。

 そしてこの女が振られたにもかかわらず未練がましく雄斗を追いかけ、雄斗が鬱陶しがっていたのも知っている。

「往生際が悪い」

「あの、これは本当で」

「要件は何? 別れて下さいって?」

「いや、そうじゃなくって寧ろ別れさせて下さいっていうか」

「はぁ?」

 この期に及んで何を言っているのやら。

 俯いて机の上を見つめる杏里はオドオドしていて、その様子に余計に苛立つ。

「ちゃんとこっち見なさいよ。あんたと雄斗はもう別れてるの! あんたが雄斗にストーキングしてただけでしょう! いい加減にして!」

「あの、それは、確かにそう。ストーカーって言われても仕方がない。ごめんなさい、それは本当に。でも」


 ふざけんなと思った瞬間、杏里の視線が不意に上がり、驚きに目が見開かれた。思わず振り向けば喫茶店の入口に雄斗が立っていた。

 私たちを見つけて席まで来て、そして何故か私の隣、ではなく杏里の隣に座った。そのことに唖然とした。何故私ではなく、その女の隣に座るの? 困惑と急にどうしようもない怒りが湧き上がる。

 やっぱりこの女と別れてなかったとか? 二股かけたの?

「何? どういうこと? 私と別れるっていうの」

「岬? 何の話?」

「何って……」

 思わず杏里を眺めると、両手の平を祈るようにあわせて縋る目で私を見た。

 別れたい? 意味がわからない。はっきりさせなきゃ。

「雄斗。あなたは私と付き合ってるのよね」

「そうだよ」

「お願いです! 私じゃなくてその人と付き合って! 別れて下さい! 本当に!」


 雄斗のキョトンとした表情に、杏里が叫ぶ。その声に思わず周囲を見回す。喫茶店はざわめいて、いくつかの視線が確かにこちらに向いていた。

 杏里の声は確かに真剣に聞こえるけれど、この事態の意味がわからない。

「雄斗、浮気……してないよね」

「するわけない。岬こそ何を言ってる?」

「まさか今も杏里と付き合ってるの?」

「そんなはずないだろ? 俺が好きなのは岬だけだ……さっきから何だ」

 左右に首を振る雄斗の目も心底困惑して、わずかに苛ついて見えた。

 そうよね、そのはず。でも。

「それじゃぁなんでそこに座ってるの?」

「そこ? 他にどこに座れっていうんだよ。いや……そうだな。謝らないといけない。俺はもう岬と付き合えない」

 先ほどとは真逆の返答に呆然とした。雄斗の顔は苦渋に満ち、益々意味がわからない。どういう意味と叫ぼうとして、机の上にポタリと落ちた赤い点に固まった。


 その点と、点の出元を見比べる。つまり机に体を乗り出した雄斗の額を。

「あの、雄斗、血が……」

「血?」

「ええ、その、あの」

 そうして見る間にボタボタと大量に額から血が流れはじめ、額がパクリと割れて白い骨が覗く。杏里がヒィと掠れた悲鳴を上げる。

 雄斗は慌ててナプキンに手を伸ばし、そして手がホルダーをすり抜け、目を瞬かせた。私が掴んで渡そうとしたナプキンは雄斗の手をすり抜けた。それを見て、雄斗は諦めたようにハハと小さく笑ってトタリと背もたれに倒れ込む。その表情はどこか寂しげに遠かった。

「やっぱ俺、死んだのか」

「死んだって……」

「だから岬と付き合えない」

「何で!? どうしてそんなことに!?」

「それが坂口に呼び出されてさぁ」


 昨日の放課後、雄斗は杏里に呼び出された。雄斗も杏里が鬱陶しくてケリをつけようと思って出向き、いい加減付きまとうのをやめて欲しいときっぱり告げた。

「そうしたらいきなり何かで殴らた、所までは覚えてるんだけど。やっぱ死んだのか、俺」

「やっぱって」

 カラリと笑う雄斗に頭が混乱した。

 つまり雄斗を杏里が殺したの? それでいま、ここにいる雄斗とは幽霊?

 幽霊なんて初めて見る。何度も雄斗と杏里を見比べる。

 さっきから何度も触ろうとしているのに、確かに雄斗が伸ばした腕に触れない。皮膚の上をすり抜ける。本当に死んだの? まさか。

 手を繋ぐこともできないというその直接的な事実は、眼の前に居る雄斗が既に存在しないんだってことが身にしみて、心のなかで怒りと混乱がぐちゃぐちゃと滞留する。その持って行き場は一つしか無い。

 杏里を睨みつけた。私から雄斗を奪った杏里を。

 よくも、よくも私の雄斗を! 罵ろうと口を開けようとした時。

「それで俺は杏里を探してるんだ」

「……探してる? だって」

「ちゃんと殺せたかと思って」

「殺せた?」

「ああ。首を絞めたんだ。杏里が岬も殺しに行くとまずいと思って。でも朦朧としてたからよくわからないんだ。だから探してるんだけど見つからないんだ」

 何? 見つからないもなにもあなたの隣で縮こまっているじゃない。見えてないの? 何で?

 ふと、手元に影がさした。見上げると店員がビクビクと私を見下ろしていた。

「あの、お客様、苦情がありまして、もう少しお静かに願います」

「すみません」

「お芝居の練習なのですか?」

「え?」

「いえ、先程から誰かと話されているようでしたので」

 そこで私は机に水が一つしかないことに気づき、再び正面を見あげた。


Fin.

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