婚約者が駆け落ちしてから Ⅱ

「何を言っているのですか!?」


 お義父さまの信じられない言葉に、私は思わずそう声を上げていた。

 婚約を破棄して、男爵家に戻る。

 確かに、駆け落ちが判明した今、それは当然の結論かもしれない。


 ……だが、それをすれば伯爵家の先はもうないことを知るが故に、私は声を上げずにはいられなかった。


「この状況で私と、私の実家であるマルデーン男爵家と縁を切ってしまえば伯爵家は……!」


 私の実家であるマルデーン男爵家は豪商上がりの新興貴族だ。

 そのせいで周囲から軽んじられることもあるが、その資金力は相当なものなのだ。

 そのマルデーン男爵家の支援さえ受けられなくなれば、伯爵家の未来はない。

 だが、そんな私の言葉を受けてお義父さまはゆっくりと首を横に振った。


「ありがとう、マルシア。でも、余計な心配だ」


「……っ!」


 まっすぐと私を射抜くお義父さまの視線に、私は思わず口を噤む。

 そんな私に、お義父さまは優しく微笑んだ。


「今まで君は、充分伯爵家に尽くしてくれた。もういい。男爵家に帰れる内に、君は帰るんだ」


 その言葉に、私は何も言い返せなかった。

 そう、私は決してマルデーン男爵家での地位は高くない。

 なぜなら、私は父の愛妾の娘だからだ。

 マルデーン男爵家には、既に正妻と次期当主にあたる義母兄がいて、私は決して必要な存在ではない。

 シャルルが消えた今、そんな私が伯爵家に残ったところで、もはやマルデーン男爵家の支援は受けられないだろう。

 マルデーン男爵家も、他の家と同じようにシャルルの魔法の才につられてきた貴族なのだから。

 私が残ると言っても、伯爵家ごと切り捨てられておしまいだ。


 ……黙ってしまった私を慰めるように、お義父さまは優しく告げる。


「大丈夫だ、マルシア。確かに、シャルルがいないと伯爵家は衰退するだろう。だが、まだ跡取りには弟のルクスがいる。伯爵家は問題などない」


 その言葉に、私は唇を噛み締める。

 確かに、私の義弟となるはずだったルクスは、十三歳にして賢い子供だった。

 我儘だらけだったシャルルと比べ、精神的に成熟していると言えるだろう。

 それに、剣の腕では評価される剣士であり、決して無名ではない。


 ……しかし、シャルルと違って魔法を持たないルクスが次期当主では、支援してくれる家は遥かに少なくなるだろう。


 そうなればあの子は……私に良くしてくれていたルクスは、一体どうなるのだろうか。

 そう考えた瞬間、私の頭に彼の顔が頭に浮かぶ。


 決して蔑まれるような存在ではない。

 けれど兄と比べられ続け、自信を無くしてしまったルクス。

 ……それでも必死に努力を欠かさなかった彼の姿を、私は見てきたのだ。

 その瞬間、私は決断した。


「いえ、決めました。私は伯爵家に残ります」


「……なっ!?」


 私の宣言に、お義父さまが言葉を失う。

 今まで呆然としていたお義母さまも、私の肩に手をかけて告げる。


「何を言っているの! そんなことすれば、貴女は男爵家でなくなってしまうわ! そんなことはダメよ。これは全て、私達の責任なのだから……」


 そのお義母さまの言葉に、私は頭を横に振った。


「いえ、いいのです。どうせ戻っても、私には男爵家に居場所なんてありません。もちろん私がいても、男爵家の支援は受けられませんが、私には父から学んだ商売の知識があります」


 私は決して父を尊敬してはいないし、好きでもない。

 ただ一つ感謝していることがあるとすれば、それはこの知識を与えてくれたことだった。

 このお陰で、私は少しでも伯爵家の力になれる。

 自分が折れないと暗に告げるように、私はまっすぐとお義母さまの目を見つめる。


「でも、そんな……」


「そうだ。君を巻き込んでしまうのだけは……」


 それでも、お義母さまもお義父さまもすぐに顔を縦に振ることはなかった。

 そんな二人に、私は止めとなる言葉を告げる。


「全ては覚悟の上です。だから、どうか私を家に置いてくださいませんか? ──全ては、ルクスの未来のために」


 くしゃり、と二人の顔が歪んだのはその時だった。

 その表情は、二人がルクスを巻き込んでしまうことに罪悪感を覚えていることを。


 ──ルクスを息子として、愛していることを物語っていた。


 それから数分後、苦悶した表情で二人は口を開いた。


「……本当にすまない。マルシア、どうか伯爵家に残ってほしい」


「本当にごめんなさい、マルシア」


 罪悪感を顔に浮かべながら、泣きそうな表情で告げるお義父さまとお義母さま。


「いえ、全ては私が決めたことですから」


 その二人にそう返しながら、私は決める。


 ルクスだけではなく、この優しすぎる二人も何とかして救ってみせると。


 ……それが私、マルシアが苦難の日々を生きることを決めた日だった。

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