III 回り続ける問い
1
夜が更け、街の灯りが一つ、また一つと消えていく。
エインズワース家の屋敷から自宅まで、時間にすると約30分といった所だ。そこから抜け道を使うと、約20分まで時間を短縮できる。
しかし今回使用したのは、その抜け道では無く、更には本道でも無い。自宅まで1時間を超える、遠回りも甚だしいルートだ。
たかが30分の距離に、1時間も掛けるなんて事があるだろうか。仕事上様々な理由で遠回りをする事は多いが、今日程に時間を無駄にした事は無い。
だが、今の自分達にはそうする他無かった。
良質なドレスに身を包み、如何にも貴族令嬢だという風貌の女を連れて、表通りを歩ける人間が何処に居るだろう。
貴族がこの時間に外を出歩く事は無いに等しく、況してや令嬢が自分より身分の低い男と街を共に歩くなんて事は絶対にありえない。仮にそんな光景を目の当たりにする事があったとしたら、誘拐、もしくは駆け落ちの二択だと断定して良いだろう。
運悪く自分を知る人間や、犯罪を取り締まる機関に見つかろうものなら、自分は間違いなく“貴族令嬢を誑かした挙句屋敷から攫った誘拐犯”だ。それを誤魔化せる理由など持ち合わせていない。
街の人間に彼女の存在を知られるのは時間の問題だろうが、せめてもう少し誤魔化し文句を用意してからであって欲しいものだ。
狭く長い裏路地を抜け、漸く辿り着いたのは自宅へと続く一本道。街の中心から逸れたこの道は、人通りが少なく人目を気にする心配は殆ど無い。張っていた気が緩み、押し寄せる安堵感から小さく息を吐く。
「――足、痛くないか」
背後の彼女――エルに視線と言葉を投げると、彼女が柔らかく微笑み小さく頷いた。
彼女が屋敷を出る選択をした理由。それが、日常の退屈や虚栄を張り続ける事への疲労では無い事は、態度を見ていれば直ぐに分かった。
貴族暮らしは不自由が無く、誰もが憧れる“幸せ”が約束された生活だ。謙虚で大人しく、見るからに聡明な彼女が、深い理由も無しにその全てを手放してしまうとは到底思えなかった。
だがどれだけそれに疑問を抱いても、彼女の過去を問い詰める様な事はしたくない。自身だって、彼女から過去を問われれば少なからず厭悪するだろう。
自身の心を縛る呪いを彼女に知られたくない様に、彼女にだって知られたくない事がある筈だ。
回る思考を止め、意識を逸らそうと顔を上げた。
ふと、遠目に見えた大きなローブに身を包んだ人物。
目深に被ったフードの所為でその顔は見えないが、体格からして女性で間違いないだろう。その足取りは覚束なく、ふらふらとしていて何処か危なっかしい。
その女性の存在に背後のエルも気が付いたのか、彼女が徐に俺との距離を詰めた。女性の姿を凝視しながら、俺の腕に自らの腕を絡ませる。
「前、見てないと危ないぞ」
そう声を掛けるも、彼女は曖昧に頷くだけで視線を前に戻そうとはしない。腕に感じる彼女の体温に鼓動が早まるのを感じながら、呆れ交じりに溜息を漏らした。
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