5
「――両親には、内緒にしてくださいね」
交わる視線に、彼女が気まずそうに微笑む。
「――あぁ、悪いな」
上がる心音に、熱を帯びる頬。どうやらその言葉は、聞き間違いでは無かったらしい。
彼女の言葉にぎこちなく返答し、再度煙草を口に咥える。
今の俺は、彼女の瞳にどう映っているのだろう。幾ら正装をしていたとしても、自身が階級制度の頂に君臨する、上流階級の人間で無い事は明白だ。
仮に彼女が身分隔てなく平等に接する人間だったとしても、それが喫煙を許す理由にはならない。
疑問を抱きながらも手早くマッチの火を煙草の先に移し、肺一杯に煙を吸い込んだ。気管が焼けつくような感覚と共に、意識が揺らぐ眩暈を感じる。
身体に毒だと分かってはいるものの、やはり強張った身体が一瞬で解けていくこの感覚は中々手放せそうに無い。ゆっくりと煙草が焼けていくのを眺めながら、肺に溜めた煙を深く吐き出した。
彼女との間に、再び訪れる沈黙。何か話題を切り出すべきか、それともただ黙ってこの時間を過ごすべきか。決して会話を強制されていないこの空間は、煙草で解れた筈の緊張感を更に加速させるようだった。
仮に話題を切り出すとしたら。3つも年下の、更には身分の違う貴族令嬢相手にどの話題を選ぶのが正解だろうか。仕事上貴族を相手にする事は多いが、思い返してみれば自身から話題を振る事は今までに無かった様に思える。
時間制限は、煙草一本分。これが全て焼けてしまえば、自身が此処に居る意味が無くなってしまう。
こうしている間にも煙草は焼け進み、残された時間は短くなっていく。どうしたものかと思考を巡らせていると、視界の隅に映った彼女がぱっと顔を上げた。
「あの、失礼ですが、お仕事は何を?」
先程迄の、か弱く囁く様な声とは打って変わった凛とした声。失礼だとは微塵も思って居なさそうな声音だ。思わずその顔をまじまじと見つめると、彼女の顔が熱を帯びる様に赤く色づいた。
――もしや彼女も、今の自分と同じ様に話題を探していたのだろうか。
無意識的に浮かんだ淡い期待に、そんな事ある筈が無いと自身で否定しながら仕事内容を思い出す。
当然ながら、自身の仕事を彼女に嘘偽りなく話す事は出来ない。それはスタインフェルド含め全ての依頼者への裏切り行為となる他、仕事の規定違反にもなるからだ。
彼女から話題を振って貰えた事は喜ばしく思うが、運が悪くもその質問は返答に困る。時間稼ぎをする様に普段より長めに煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「……人、助け」
当然こんな短時間で彼女を欺ける嘘が思い付く筈も無く、口を衝いて出たのは我ながら稚拙だと呆れる返答。幾ら時間が限られていたとしても、もう少しマシな回答は他に幾らだってあっただろう。選りに選ってそんな言葉を選んでしまった自分が何よりも情けなく感じ、煙草を持った手で口元を隠した。
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