第79話 そうやって繰り返していく

「……嗣治さん、落ち込んでいませんでした?」

 そっと尋ねると、石堂は小さく肩を竦めるだけだ。


「筆談で『ざまみろと思っているだろう』と言われましたね」

「……尊さん、なんて答えたんですか」


「特に何も」

 石堂は言ってから、少し瞳を彷徨わせた。


「ただ、呪いは成就したものの、結果的にわたしは息を吹き返しています。なので……。嗣治の聴覚もいずれなんらかの形で力を取り戻す気がします。そうなったらまたあの父のことだ、嗣治に家を継がせると騒ぎ出すでしょうし……。まあ、こんなことを別に言いはしませんでしたが」


 もううんざりだ、とばかりに石堂は大きく息をひとつ吐いた後、表情を和らげた。


「スイさんは? どうでした?」


 話題を変えるように、石堂が明るい声を出した。

 いつの間にかうつむいていたらしい。顔を起こすと、石堂と目が合う。

 彼は翠が揃えた原稿を指差して微笑んだ。


「ああ、これ……」

 翠は、束にしたA4用紙を見て、頬を緩める。


「ええ。改稿原稿が早速送られてきたので……。この時期は特に祭事もやることがないらしく……。ちょうどよかったです」


 翠は頷く。

 八川町に引っ越してきた翠は、伯母の彩とともにいろんな祭事や行事を学んでいるところだ。


 中洲にあるやしろや竹の整備もその仕事の中に組み込まれており、翠は毎月2回、彩と共に行動をしている。うれしいことだが、その様子を見た旧住人たちが手伝いを申し出てくれていた。


 ちなみに、中洲の整備にかかわる費用や管理については行政から親愛コーポレーションに委託費が出されることが決定している。


『ボランティアでなんてできません』


 真面目な顔で必要な経費を町役場から分捕ぶんどってきた石堂を、翠と彩は心底尊敬した。


「こうやって改稿作業をしている、ということは……。今度の担当編集者は連絡がとりやすいひとなんでしょうか」


「そうですね。とにかくエネルギッシュな方でした」

 改稿作業のための原稿に視線を落とす。


 それは、突然来たメールからはじまった。

『現在無料小説投稿サイトで掲載されている作品についてぜひお話をさせてください』


 一カ月前の話だ。

 てっきり使用した表現になにか不都合なことがあったり、誰かの作品と似通ったところがあるのだろうか、と青ざめて続きを読んだのだが。


『弊社で出版をご検討いただけないでしょうか』『お話だけでもお願いします』『もしダメなら次作はうちで』


 そんな熱のこもったメールにおっかなびっくり返事をすると、レスポンスも早い。


 なにより、翠の作品を愛している人だった。

 依頼メールの次にきたのは、翠の作品に対するラブレターのような感想だった。


 いったい、この人は何度私の物語を読んでくれたのだろう。

 ひたすら感動して、『一度、お話をさせてください』とメールを返信した。


 そこからは、とんとん拍子に話が進んだ。

 もしうちでお受けさせてもらった場合、これぐらいの時期にこのようなことをしてだいたいこの期間にこれを済ませましょう、と。


 そんな風に見通しをたててくれたのも、大変助かった。

 なにしろ、今は新しい場所で慣れないことをやっている。突然「カスタネット連打ターン」がやってきては、仕事もプライベートもめちゃくちゃになってしまう。


『今現在、すすめておられる作品や仕事があれば、ぜひそちらを最優先になさってくださいね』


 そんな配慮にも涙が出そうになった。


 石堂と一緒に八川町に来る前、翠が送った第一稿は、数カ月たった現在、なんの返事もない。あれはどうなっているんだろうと時折不安になるが。


 以前、あまりにも返信が無いために問合せをすると、『いつ連絡するかは私が決めます』ときつく言われて以来、連絡しないようにしていた。


 そんなあやふやな状態であるにもかかわらず、相手側に配慮や譲歩をしてくれることが本当にありがたかった。


 そして昨日、翠は担当者と会い、いろんな話をした。

 翠はその後正式に仕事をお受けし、新しい担当編集者の指示の元改稿作業に移っている。


「あの……、本当にこのお話、尊さんはかかわっていないんですよね?」

 おずおずと再度確認する。


 というのも。

 いまだに自分にこんな話が回ってくるとは信じられない。


 だから当初、石堂を真剣に疑った。

 彼が知り合いに手を回し、なにか都合をつけたのではないか、と。


「かかわっていません。わたしは出版業界に知り合いなどいませんから」

 石堂は苦笑いだ。


「それで……。忙しくなりそうな時期はわかりますか?」

 尋ねられ、翠は原稿をテーブルの端にきちんと置きながら小首を傾げる。


「そうですね。だいたいは……」

「ならよかった。あの」


 石堂は急に改まった顔をし、居住まいをただす。なんだなんだ、と翠もつられて背筋を伸ばした。


「そろそろ横浜アリーナを予約したいと思います。ついては日程調整を行っていきたいんですが」


「横浜、アリーナ」


 ライブでもするのかときょとんとしたが。

 あれだ、と気づく。


 芳田が『ここら全員を披露宴に呼べ』と言い、石堂が『横浜アリーナを予約する』とやり取りした件だろう。


「……それ、本気なんですか?」

「そうですが。だめですか?」


 おもわず押し黙る。

 正直に言うなら、いやだ。披露宴ではなく見世物ではないか。


「今はまだ、引っ越ししたところですし、スイさんも新しい仕事を引き受けた直後ですから、かしても迷惑なだけだろうな、とは思っているんですが……」


 しょんぼりと石堂が肩を落とす。


「一緒に住んでいる手前、スイさんのご両親にもちゃんとご挨拶をせねばなりません。というか、スイさんのご両親からすれば、不安に違いない」


 現在、石堂は無職のアーティストだとは思われている。


「なので、もし、スケジュールがある程度固まっているのであれば、式の日取りや内容、招待客などの話をつめたいな、と。そしてすぐにでもご両親にご挨拶をと思っていたんですが」


 石堂は上目遣いに、不安げに自分を見る。


「わたしとの結婚、嫌になりましたか……?」


 この姿を長良や彼の部下たちがみたらどう思うだろう。翠は笑いをこらえながら、こほん、とひとつ咳払いをする。


「結婚がいや、というより、その横浜アリーナでの披露宴が嫌です」

「わかりました。では、早急に代替案を提出いたします」


 前のめり気味の石堂を見て、翠は声をたてて笑った。 


「……あの、私からも尊さんにお話したいことがあるんですが」

「はい。なんでしょう」


 とりあえず結婚を拒否られたわけではないことにほっとしている尊は、笑顔のまま応じる。


「だいたいのスケジュールが決まりましたし……。病院に行き、治療というか服薬を開始しようと思うんです」


「なんの、ですか?」

 きょとんとしている尊に、翠は小さく肩を竦めた。


「無排卵症の、です。以前は薬を飲めば排卵はしたので……。まあ、どうなるかわかりませんが、もしも子どもができるのであれば、尊さんとこの場所で子育てしたいかな、とおも」


「もちろんわたしに異論はありません」


 語尾を食い気味に石堂は言い、なんならテーブルにさらに前のめりになって首を縦に振った。


「全面的に協力したい。ああ、これは忙しくなりますね。ちょっと長良に連絡をしてここ数年のスケジュールを組みなおさなくては」


 言うなり立ち上がり、スマホを取り出すから呆れる。


「どこに電話するんですか」

「もちろん長良です。今から打ち合わせをしますので、少しお待ちください。……あ、長良か? わたしだ」


 石堂は会話をしながらダイニングから出ていく。

 くつくつと笑う翠の声は、廊下から漏れ聞こえる石堂の声と柔らかく混ざり合う。


 山姫のお陰なのか。

 それとも翠の体質のせいなのか。


 石堂の体調はすこぶる良い。

 先日、長良とも話をしたのだが、親族たちから石堂を正式な後継者として認めるべきではないか、という声が上がったのだそうだ。


 体調面もそうだが、なにより婚約式での嗣治の評判が悪かったらしい。

 たぶん、石堂が両親に呼ばれたのはそういった経緯もあってのことだろう。


 かたかた、と。

 風に窓が鳴った。


 翠はカーテンを開いたままの窓に目を向ける。

 そこには裾野を大きく広げた山が見えた。


 山姫が支配し、巫者たちが浄化を促し、連綿といままで続くこの地。


 もし自分に子どもが授かれば。

 翠を含めた布士の巫者たちが、この地をどれほど愛してきたか伝えるつもりだ。


 もし授からなければ。

 それはきっとそういう運命だったに違いない。


 翠はこの地を丹精込めて世話しようと思う。

 そのとき、誰か自分と同じ思いを抱く人がいれば、その人に次を託せばいい。


 それは別に自分の血縁じゃなくてもいいと思っている。


 祭事が続くかどうか。それは、この地を愛してくれる人がいるかどうかだ。


 そしてその次の誰かは、またこの地を大切に思う人につなげるに違いない。


 そうやって人はこの地で生活をし、山姫はそれを見て心を和ませる。

 古くからずっと伝わることのひとつに自分が組み込まれていることを、翠は心から誇りに思った。

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