第77話 私が自分で考えたこと

「人の生活を見ていると面白い。だから年に一度大風を吹かせて穢れを川に流してやっておったのだが……。人の世は変わる。碁盤の目の町は無くなり、風水など誰も理解せず、おまけにわらわの話し相手である巫者までこの地を離れた。結果どうじゃ。穢れは溜まり、空気はよどみ、あのような悪意を持った者がそれを吸って凶悪化する始末」


 山姫は口をへの字に曲げ、テントに一瞥をくれる。

 彼女が見ているのはロープに縛り付けられている亮太だ。


 ぼんやりと。

 彼は虚ろな目で夜空を見上げていた。


「このままでは人は住めまい。この地はいずれすたれる」


 行政の再開発地区。

 若年世帯を呼び込み、活気あふれる街にしたいとの思いで古い街並みを崩し、新たに区画を組みなおしていたというのに。


 翠がこぼしたため息に、石堂の声が重なった。


「いずれ廃れる場所を……。そうと知って売り出せない」

 苦々し気に。だがそれは決然とした言葉だった。


「え、手を引くの!?」

「それでは採算も何もあったもんじゃないでしょう!」


 悠里が目を真ん丸にし、蘆屋さえ狼狽うろたえている。


 以前石堂が翠に『これは毒だ、と知りながら、笑顔で工業塗料を売るんですか? 会社のために』『わたしは、わたしの会社が扱うものに責任があると思っています』と語ったことがあった。


 ここは安全ではない。

 あるいは、いずれ廃墟となる場所が確定しているのであれば、石堂はきっと売りに出さないだろう。


 その結果、彼の会社が不利益を被るかもしれないし、ひいては親愛コーポレーションにかかわる様々な関連会社に影響は波及するかもしれない。


『あんたんとこみたいな大きなところが潰れたら、でっかい波が来るんだよ、こっちにも。どばー、っと』


 婚約式の席で芳田が言っていた言葉が脳裏に浮かんだ途端、翠は山姫に向き直った。


「あの、山姫様。……私が伯母と一緒に山姫様をお祀りをしたら……、またこうやって浄めていただけますか? そうしたら人が住めますか? 住み続けられますか?」


「もちろんじゃ」

 きょとんとした顔で山姫は答える。


「あ……あなた、何言っているのっ」

 彩が小声で叱責するが、翠は首を横に振った。


「伯母さんも迷ってたんでしょう? 心残りがあるんじゃない?」


 代々受け継いできた布士の役目。

 この地を清め、守ってきたという矜持。

 それを自分の代で放棄してもいいものか。


 伯母はずっと悩んできたに違いない。

 自分としては継がせたい。だが、翠はどう思うだろう。そう考えて、伯母は引っ越しを区切りに、と自分を納得させた。


「今から覚えるから……。教えてくれない? どうやったらいいのか。いままで布士の者はなにをしていたのか」


 真っ直ぐな翠の視線を受け、彩は明らかに戸惑った。


「布士さん、もしわたしのことを気にして仰っているのならやめてください。あなたの問題とわたしの問題は別問題です」


 そこに割って入ったのは石堂だ。

 まだ立ち上がることはできないようだが、なんとか姿勢を正そうとは努力している。その石堂を見て、翠は呆れた。


「根っこは一緒でしょう? 尊さんに被害があるのなら、それは私にとっても良くないことなんだし」


「あのお姉さんさ、さっき自分の身体と引き換えに尊の命を取り戻そうとしたんだよ」


 悠里の無邪気な言葉に石堂は愕然としている。


「私は尊さんにいろいろ助けてもらったもの。お互い様でしょう?」

 途端に石堂が大声を発した。


「そんな問題じゃないですよ! もっとご自身を大切にしてくださいっ!」


「それは尊さんも一緒」

 翠は声を立てて笑ったあと、まだ座り込んだままの石堂を見つめる。


「それに……。さっき、山姫様がここを清浄にしてくれたとき……。思い出したの」


 そう。あの景色。

 空に煌々と満月が浮かび、竹がさやさやと鳴る。

 川面は鏡面のように穏やかで、空気が澄み切ったなか、堂々と稜線を伸ばす山々。


 あれは。

 幼いころに見た景色だ。


 布士の者が守ってきた、美しい土地の風景だった。


「私はこの地を守りたい。誰かのためとか、なにかのためとかじゃなくて、私がそう考えたの。それでね、たぶん、それは伯母さんも一緒なんだと思う」


 顔を彩に向けると、彼女は随分と迷った末に、こっくりとひとつ頷いた。


「ちょうど仕事も辞めちゃっているから八川町に引っ越して……。伯母さんに教えてもらいながらいろいろ勉強していこうと思う」


「そうだよね。お姉さん、パソコンさえあればどこでも仕事出来るんだし」

 呑気に同意する悠里の頭を石堂はためらいなく殴った。


「そういう問題でもないっ」


「いやいや。よいではないか。そのながなわの子が申す通りじゃ。そなた、スイの連れ合いであろ? 一緒にこの地に住め」


 山姫は目をすがめた。


「どうもそなた、穢れを吸い込みやすい身体のようであるしの。スイは澱みを弾く性質故、側にいれば大丈夫とは思うが……。まあ、なにかあれば妾が祓ってやる」


「……あの、山姫さま……。そうしたら尊さん……、死にませんか?」


 恐る恐る翠が尋ねると、山姫は不思議そうに小首を傾げた。


「人の子は年を取れば死ぬであろう?」

「そうじゃなくて……。その呪いとか、穢れとかで……」


「死にそうになったら祓ってやる。布士の者の連れ合いじゃ。かまわん、かまわん」


 その言葉に、翠は礼を言うのも忘れて石堂に抱きついた。

 咄嗟のことで石堂は上半身を揺らしたものの、がっしりと翠を受け止め、嬉しそうにその背を撫でている。


「ふむ、疲れた。もう帰る。あとは良いようにせい」


 そんな翠と石堂を一瞥し、興味なさげに言う。

 次の瞬間。

 どうやら山姫は榊の身体から離れたらしい。


「……ぐ」

 榊は両手で口元を押さえて呻く。


「……榊さん……? 戻ってきた?」


 そっと尋ねた悠里に返事もせず、足元をふらつかせながら川に走り出し、盛大に嘔吐している。


「あの……くそばばあああああああっ」


 珍しく榊が怨嗟の声を上げながら、また盛大に嘔吐した。


「うわ……。山姫様。出ていくときに身体揺らしたんだ……」


 何度も嘔吐えづいている榊の背中を気の毒そうに見ていた翠だが、「布士さん」と話しかけられて顔を石堂に向けた。


 彼の背に回していた腕をほどき、向かい合って河原に座る。


「布士さん……。本当にいいんですか?」

「なにがですか」


 首をかしげた。


「さっきの山姫様の話です」

 真剣な面持ちで石堂が言う。


「ああ、一緒に住め、というやつですか? ええ、私は問題ないですが……。あ、尊さんが困りますよね。出社するのに」


 山姫は気軽に言っているが石堂の勤務する本社は他県だ。ここに住んで出社となると新幹線を使わねば無理ではないだろうか。


「ときどき通ってくるとか、そんなんで大丈夫だと思いますよ。ねえ、おばさ……」

「いや、そっちじゃないです、そっちじゃないんです!」


 石堂が勢いよく遮るから、小首を傾げた。


「はい?」

「わたしの、連れ合いということで問題ないんですね?」


 連れ合い。


 おうむ返しに繰り返し、そういえば山姫、そんなことも言ってたな、ときょとんとしていると、いきなり石堂が立ち上がる。


「わたしと結婚するということでいいんですね?」


 彼の引っ掛かりはそこだったらしい。翠は吹き出して笑った。


「それも……、問題ないですね」


「問題あるよ!」


 途端に悲鳴を上げたのは悠里だった。


「尊、それなんかプロポーズっぽいよ⁉ それなのにこんな河原で……、お互いズタボロでさあ! 榊さんが吐いてるのが聞こえるし! ちょっともう、最悪! 榊さんっ! せめてもうちょっと遠くで吐いてよ!」


「ほんと、この副社長さん不思議だなぁ」


 頭を抱える悠里に、蘆屋が笑った。

その声は、次第に近づいて来る救急車のサイレンの音と重なり、まじりあった。

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