第72話 電話の相手

☨☨☨☨


「そうだ。みなさんお腹がすいていませんか?」


 彼女の背中をしばらく眺めたのち、石堂はテントの中を見回した。


 嬉しげに目を細めたのは蘆屋だ。その隣で榊も「ほんのちょっと」と親指と人差し指で程度を示して見せた。ただ悠里はというと、よほど悪臭がしているのか顔をしかめ、テントの端っこで「うげー」と言っている。


「酒や飲み物、つまみ程度なら用意しているんです」


 石堂はテントの隅に置いていたクーラーボックスを持ち上げ、さっきまで酒瓶やビール瓶が並んでいた簡易長机の上に置く。


「いやあ、申し訳ないね。蘆屋建設うちにもたくさん差し入れしてくださったのに」


 もみ手をしながら蘆屋が近寄ってくる。石堂は微笑みを浮かべたまま、クーラーボックスを開いた。


「お。いいねー。このビール頂こうかなぁ」

 蘆屋はガサガサと中身を漁る。近づいてきた榊も彼に並び、吟味しているようだ。


「お前は本当にいらないのか?」

 ふたりから離れ、石堂は悠里に声をかける。


「くさい」

 悠里はそれだけ言ってその場にしゃがみこんでしまった。


(もともと鼻がいい奴だしな)

 石堂には感じられない何かを嗅ぎ取っているのだろう。


「タブレットはどうだ? ミント系のものならおれの鞄に」


 入っていたはずだ、と振り返る。ビジネスバックを探す。どこかに置いていたはずだ。

 視線を彷徨わせたとき、石堂の携帯が鳴った。


「……」


 石堂はスーツの内ポケットからスマホを取り出した。パネルに表示されているのは見たこともない番号だ。


(誰だ?)


 長良を通じ会社関係者には今日の行動を伝えている。神事があるから極力連絡をするな、と言っていたのに。


「どうしたの?」


 悠里が不思議そうに大きな目をぱちぱちさせた。だがよほど臭いが気になるのか鼻は摘まんだままだ。


「知らない番号なんだが……」


 訝し気な声に悠里は眉をひそめた。その間もスマホは呼び出し音を鳴らし続けている。


「無視しちゃいなよ。間違い電話かなんかでしょ」

 悠里に無言で頷き、スマホをしまおうとしたのだが。


「もしもし、みぃ?」


 どこも触っていないのに、いきなり通話がはじまった。


「みぃじゃないの?」


 声の語尾には、かさかさかさかさ、という擦過音が混じる。


「……亮太さん、ですか?」


 不審げに問う石堂に、通話相手はしばし口を閉じた。


 その間も。


 かさかさかさかさかさかさかさかさかさ。


 落ち葉を踏むような。枝が揺れて葉が擦れあうような。そんな音が間断なく続いている。


「なあんだ。ふくしゃちょーか。いやさ。さっきからずっとみぃの携帯にかけてるんだけど出なくて……。この人がさ、こっちにかけてみたら、っていうからよくわかんないままかけたんだよね」


「このひと、って誰ですか」


 なぜ自分の番号を知っているのだ。

 一瞬静香に聞いたのだろうかと思ったが彼女がそんなことをするはずがない。


「このひとって、このひとだよ」


 突如ビデオ通話がはじまる。

 パネルには亮太の顔が映った。


 その姿に石堂はぎょっとする。


 落ち葉まみれなのだ。

 髪といわず肩といわず。白かったであろうシャツの襟にも、だらしなくほどけたネクタイの結び目の合間にも枯葉や落ち葉がまとわりついている。


「このひと、八川町で知り合ってさ。いいやつだな。いろんなこと教えてくれてさ」


 がしりと肩を抱いて亮太が笑う。

 彼の隣にいるのは明らかに人ではない。


 異形だ。

 人の形をしてはいるが、それを構成しているのは枯葉と落ち葉だ。本来目や口があるであろうところには、ぽっかりと空洞が空き闇がこごっている。


「あと、もうひとり……えっと……。あれどこいったんだろう。開襟シャツ着た男がさ、みぃの居場所やあんたの電話番号を……。あれ?」


 亮太はひとしきり周囲を見まわしたが、「ま、いいや」と笑った。


「ってかさ。みぃの匂いや痕跡をたどったら、ふくしゃちょーのところまで行くって、どうよ。あんた、どんだけみぃを抱いたの」


 腹を抱えて笑うと画面が揺れた。亮太の身体から落ち葉が舞い散り、さっきよりもかさかさかさかさという音が大きく聞こえる。


「なあ、あいつってさ。反応薄くね? 抱いてても盛り上がらないっていうかさー、まぐろ? そんな感じじゃない?」


 粘着質な瞳を画面に向けてくる。


「いいえ、まったく」

 石堂は抑揚のない声で答えた。


「それはあなたが下手なだけなのでは?」

「いうねー、ふくしゃちょー」


 両手を打ち鳴らして笑ったのだろう。画面にはまともになにも映っていない。


「世間にはさー、もっといい女がいるんだから。ふくしゃちょー、みぃはおれに返してよ」


 スマホ画面が暗転し、亮太の声だけが響いてきた。


「おれにはみぃしかいない。でもあんたは違うだろう」

「尊? どうしたの。誰と話してんの」


 背後から悠里の声が聞こえてくる。


「え? あ。ほんとだ。みぃ、いるじゃん。ありがと、ありがと。じゃあちょっと行ってくるわ」


 亮太が言う。


「いるってなんだ。おい!」


 石堂が怒鳴る。

 その語尾を。


 からり、とコンテナの扉が開く音がなぞった。



☨☨☨☨

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