第68話 石堂尊に会いたいのか?

☨☨☨☨


 石堂尊め、と亮太は歯ぎしりをした。


 スマホを握りしめ、苛立ち紛れに自動販売機を蹴りつける。隣に備え付けてあったゴミ箱が揺れ、内部の缶を揺らして予想以上に派手な音を立てた。


 それがさらに亮太の神経を逆なでする。もう一発蹴りつけてやろうとしたが、背後からの視線に気づいて振り返った。


 駅前のロータリーだ。

 タクシー運転手がこちらを胡散臭うさんくさげに見つめている。

 目が合うや否や、わざとらしく無線に手を伸ばしてなにか話をするそぶりを見せ、車を発進させた。


 ち、と亮太は舌打ちをした。

 石堂尊と布士翠はこの町にある研修施設にいるという。


 それは白石不動産の名をかたって親愛コーポレーションから聞き出した情報だった。

 地図検索で確認したら駅からかなり距離がある。バスはなく、交通手段としてはタクシーが一番便利そうだとおもったが、逃げられてしまった。


(まあ、次が来るだろう。それまでどこかで飯でも……)


 亮太は周辺を見回す。

 再開発地区だとは聞いていたが、予想を上回るほど何もない。


 目の前に古びたビルが見える。二階三階部分がテナントのようだが、大手塾の看板しかみえなかった。


一階は駐輪場になっているようだ。女子学生たちが数人、自転車を押しながら出てきたが、亮太と目が合うなり怯えたように去って行った。


(馬鹿にしやがって)


 学生たちの視線に神経が苛立つ。もう一度自動販売機を蹴りつけた。

 がん、と派手な音が鳴ると同時に強烈な痛みが足の甲に走った。

 一度目は痛みなど無かったのに、と更に怒りを覚える。


 それもこれも、全部あの石堂尊という男が悪いのだ。

 痛みをこらえながら、亮太は歯を食いしばる。


 正直なところ、この町につくまでは石堂尊にこれほどの恨みを覚えはしなかった。


 ただ、翠に会いたい。

 どうやって言葉を尽くせば許してくれるだろう。

 会って、やり直したい。


 そのことだけを考えていた。


 現在翠には石堂尊という恋人がいるようだが、それをいうなら、自分だって妻子がある。だが、きっともう一度話し合えば、分かり合えるはずだ。


 翠なら自分の話を聞いてくれる。

 説明したら理解してくれるはず。やり直せるはずだ。


 亮太はそう考えていた。


 数年前、翠に一方的に別れを告げたのは自分だった。

 あのときは、どうしても子どもが欲しかった。

 結婚して、子どもをもってこそ一人前だと亮太は思っていた。


 だから、翠に『子どもができにくい』と告げられたとき、このままでは半人前のままだ、と考えた。


 結婚しても半人前だなんて、割に合わない、と。


 だから彼女と別れ、友人の紹介で知り合った白石静香と結婚をした。

 彼女が副社長だと知ったとき、いずれは自分がその地位につくのだと亮太は考えていた。


 白石家には姉妹しかいない。

 だから、仕方なく舅は長女である静香を副社長にしたのだ、と。


 だったら、彼女が結婚し、夫を持てば、その地位は自分のものになると考えていたのだが。


『君は君の仕事をすればいい。娘は副社長としてよくやってくれているから』


 舅はあっさりとそう言い、静香も夫である亮太に味方するのではなく、父親の意見に従った。


 そのあたりから、亮太は静香に疑問を持った。

 この女には、判断力が無いのだ、と。


 結婚してもなお、父親の言いなりだ、と。


 そんな女に自分の大切な子どもを任せられない。


 亮太はネットで育児情報を集め、静香に指導をした。その育児方法は間違っている、と指摘をし続けた。


 結果、亮太は育児から遠ざけられ、静香はますます実家を頼るようになった。


(おれの方が正しいのに……)


 ズキズキと痛む足を見つめ、亮太は怒りに震える。


 それなのに、家庭には自分の居場所が無い。

 仕方なく、こころ許せる女性を外に求めたら、その女も『家庭を持ちたい』と言い出した。


『奥さんと別れて』と。


 静香と別れることに問題はない。

 だが、この女と家庭を。ましてやこれ以上子どもを持つことに興味はなかった。


 子どもはひとりいればいい。あんなに手がかかり、あんなに面倒くさいと思わなかった。


 亮太の中で、子どもというのは休日にキャッチボールをしたり、キャンプに連れて行って一緒に楽しめるような、そんな相棒的存在だった。

 ときどき生意気を言ったり、お小遣いをねだることもあるが、『おたくのお子さんはとてもいい子ね』と近所で褒められるような子のことだ。


 四六時中泣き、臭いのを堪えて下の世話をし、よだれまみれの顔を服にくっつけてくるような脆弱な生き物ではなかった。


 こんな生活が、あと十数年も続くなんて、ぞっとする。

 ましてやそれをもう一度繰り返すなんて怖気おぞけが走る。


 そのとき。

 亮太は

 子どもを産めない翠の存在を。


 天啓てんけいを得たような気持ちになった。


 翠こそ、亮太の運命の相手だったのだ、と。

 互いに今はパートナーを間違えてしまっているが、もう一度話し合えばきっと分かり合える。


 亮太はそう思ってこの八川町にやってきた。


「石堂尊に会いたいのか?」

 突然声をかけられ、亮太は怪訝な顔のまま相手を見やる。


 そこにいたのは。

 白い開襟シャツを着た男だった。


 年は自分とそんなに変わらないだろう。

 だが、着ている服もズボンも、随分と古めかしい。


「は?」

 亮太は眉根を寄せてすごむが、男は表情を変えなかった。


「待っていてもタクシーは来ないぞ。石堂尊に会いたいんだろう?」

 男は黒目勝ちの目で、じっと亮太を見つめた。


「おれの知り合いが居場所を見つけた。会わせてやろうか?」


 男の背後で、かさかさかさかさ、と。

 枯れ葉の舞う音がした。


☨☨☨☨

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