第64話 唯一の巫者

「『お前の二番目に大切なものと引き換えに、願いをかなえてやる』と」

「その、二番目に大切なもの、というのは……?」


 控えめに口を挟む石堂に、彩は曖昧に首を横に振った。


「本人しかわからないことでしょうけど……。

 ただ、魂だけになってしまった彼にとって、願いを叶えるためには、なんらかのかてがいる。それが、『二番目に大切なもの』であることには違いない。結果的に」


 彩は遠くを見つめた。


「噂を聞きつけ、時折あの禁足地に人が来る。そうして願いを布士正雄に告げ、願いはかなうものの、不幸な目に遭ってきた」


「伯母さんが祭事を行っていた時も? 勝手に禁足地に入る人はいたの?」


 翠が尋ねる。


「ええ、いたわ。難病の我が子を助けてほしい、と願い出た父親は、子は一命をとりとめたものの、妻を亡くした。死んだ恋人にもう一度会いたい、と願った女性は、霊となって恋人が現れたのに、視力を無くして観ることはかなわなかった」


 残酷な結末に、石堂も翠も押し黙る。


「願いをかなえてほしい、と思えば思うほど、正雄はこの世に自分の存在価値があると思ってしまう。だから、歴代の布士の者たちも消すことができない。そんな中……」


 彩が真っ直ぐに翠を見た。


 気圧されるように。

 翠は背を逸らす。身じろぎした拍子にテーブルに肘を打つ。「大丈夫ですか」。石堂が口を寄せて声をかけてくれて、なんとか首を縦に振った。


「なんというか……、あなたは、優しいのよ。話を聞こうとしてしまう」


 困り切った顔で伯母が言う。ちらりとその目を石堂に向けると、彼もすかさず同意した。


「誰に対しても、ということについては、わたしも全く同じ意見です」

「ちょ……、それがどういう関係……」


 慌てて翠が間に入る。


「正雄はそこにつけ込もうとしている。多分、あなたの身体を乗っ取りたいんでしょう」


 彩は紅茶を口に含むと、壁に掛けてある振り子時計を見た。もうすぐ40分が過ぎようとしている。


「禁足地にいる時、私もあなたのことを気にかけていたのだけど……。隙をついて、正雄はあなたに声をかけた。『手伝ってほしいんだ』と」


 翠の鼓膜に、あの声が蘇る。



『手伝ってほしいんだ。なあに、難しいことじゃない。手を、握って』



 唇は勝手に言葉を紡ぐ。


「手を、握るだけでいいんだ」

「そう。正雄はそう言って、あなたに接触を試みた」


 ざくざくざく、と枯葉を踏みしだいて進むあの日。

 伯母の手を握り、必死でついていったあの夜。


『振り返ってはいけない』

 そう厳命されたあの時間。


 布士正雄は。

 翠の身体を手に入れようとしていた。


「さすがに、引っ越してからは、正雄はあなたのところにはいかなかったようだけど……。それでも、この地にいる時、彼はあなたに執着する。それは今もそうでしょう? どうしてそこまでこだわるのか……私はずっと不思議だったんだけど。その」 


 雄弁だった彩はそこで初めて口ごもった。


「え……。なに?」

 戸惑いながら促すと、彩は顔をこわばらせて翠の方に身を乗り出す。


「この方は……、あなたの婚約破棄の件を知っているの?」

「婚約……、ああ。うん」


 がくがくと頷くと、彩は身体を緩めた。


知恵いもうとから、あなたが医療に頼らないと子どもを授かれないのだ、と聞いた時、なんとなく納得したの。聴く力を持つ者は、ほぼ女性。望んでも、男の正雄と同化することは難しい。だけど、あなたは違う。誤解を恐れずに言うならば、あなたは、ある意味、中性的でもある」


 彩は更に言葉を付け足した。


「あなた以外にも狙われて、被害にあった布士の者というのはいるの。結果的に、意識を奪われ、廃人のようになったり、退行行動を起こして緩慢なる自死をしたり……。そういった者は……。初潮を迎える前の子どもだった」


 身体的性別は女性でありながら〝子を孕む〟という、最も女性的な行為がまだできない状態の人間。


「……だから、狙われた?」

 翠が震える声で尋ねる。


「たぶん。だけど、この地に戻らなければ……、そして禁足地に行かなければ大丈夫だと思っていた」


 だが、翠は赴いた。


 この地に。



 禁足地に。



「伯母さん」


 翠は拳を握りしめる。

 自分の掌に爪が食い込む痛みに、腹が座った。


「狙われているのは、私だけじゃないの」

「……どういうこと」


 彩が目をすがめる。


「副社長も……。尊さんも、布士正雄に狙われているの」


 翠は簡潔に伝える。

 石堂尊の弟が、やしろに願い出たこと。


 石堂尊が早く死にますように、と。

 その結果、自分の身体を乗っ取って願いを成就させようとしたこと。


 今は、石堂の知り合いの巫覡がこの研修施設に術を張って、侵入を拒んでいること。


「なんてこと……、もう最悪」

 聞くや否や、彩は両手で顔を覆い、俯いた。


「ねえ、伯母さん。私はこの人を失いたくないの」

 翠は立ち上がり、腰を曲げて小さく丸くなっている伯母に声をかけた。


「お願い。私も協力するから……。力を貸してくれない?」


 確信があった。

 この伯母なら、石堂尊にかけられた呪いを吹き飛ばせる。


 山姫を崇拝し、声を聴き、村人に伝えていたこの巫者であれば、臆することは何もない。


 石堂は最初から、布士彩に狙いをつけていたという。


『わたしの勘は当たるんですよ』

 彼はそう言っていた。


 その通りだ。

 彼女がこの局面のキーマンだ。


「私はね、誰よりもあなたのことを大事にしていたのよ」

 重い呼気を吐き、彩は肩を上下させた。


「私の後継者だと思っていた。だけど、時代が違うこともわかっていた。もう、布士の家はここで絶える。私が最後だと。だから子どもも産まなかった。あなたには、なにも重荷を背負わせない。そう思っていたのに……」


 こんなことになっているとは、と、彩は顔を上げる。


「私の大事な姪の邪魔をするのなら、腹をくくりましょう」


 びくり、と翠は背を逸らせた。

 それほど。

 伯母の顔は真剣だった。


「石堂さん」

 彩は目を細め、向かいの彼を見据える。


「いろいろお願いしたいことがあるのですが……。二日で準備していただけるかしら」


「もちろんです」

 石堂が頷く。


「まずは河原にコンテナを2基お願いします。できれば中洲に近いところに。

 1基は調理に使用するので窓が開閉するタイプか、換気扇がついているものをお願いしたいです。携帯コンロやガスボンベ、調理用具はこちらが持参しますのでお構いなく」


「至急手配します」

 彩は続ける。


「懇意にされている建設会社さんはいらっしゃるかしら。中洲に風を吹かせるため、南北の竹を伐採したいのですが。まあ、私と翠でもできなくはないですが……」


 ちらりと視線を翠に向けた。


「私は問題ないよ。竹を伐ればいいのね?」


 多少体力は落ちているが大丈夫だろう。そう思って返事をしたのだが、石堂が口を挟んだ。


「蘆屋建設にお願いします。たぶん、数本ではおさまらないでしょうから」

「そうね……。来るときに少しみたけど……、南北で20本近いわね」


 彩は宙を眺めた後、石堂に頭を下げる。


「ではお手数ですが、その蘆屋建設さんにお願いできますか? 伐った竹は竹垣にしていただいたら結構です。それで道を作りますから」


「連絡をしておきます。他にはなにかありますか?」

 石堂に尋ねられ、彩は緩く首を横に振った。


「あの、ではこちらからもひとつお願いが……」

 そう申し出る石堂に、彩は無言で首を傾げて見せる。


「わたしが信頼している巫覡と異能者がいます。立ち会わせても良いですか?」

 彩は戸惑って瞳を揺らすが、翠は深く首を縦に振った。


「本物なの。本物の人たちなの。伯母さん、お願い」

「……では、それはそちらにお任せします。みどり」


 姪を見つめ、彩ははっきりと言い切る。


「当日までこの研修施設から出ないで。ここは本当に安全」

 彩は立ち上がり、深々と石堂に頭を下げて見せた。


「どうぞこの子をよろしくお願いいたします」

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