第63話 法事ではない

「とうとう、妹は行政の言うままにあの土地の権利を売り払い、他県にうつってしまって……」


「法事……」


 つい、口を突いて出た。

 そうだ。法事。毎年行われたあの行事。


「法事?」

 彩が不思議そうに首を傾げる。翠は首を縦に振って口早に尋ねた。


「毎年、大人がたくさん来て……。伯母さん、台所で沢山の料理を作ってたわよね。それを私が男の人たちに運んで……。お酒だってたくさん」


「あなた、あれが法事だと思っていたの?」


 苦笑した彩は、口をつぐんだ翠の目の前で首を横に振って見せた。


「あれは、毎年行う祭事。村に溜まったおりを集め、中洲に移動させるための、料理えさ


 翠は茫然と伯母を見た。

 母よりも年上だとは思えないほど若く見える。


 その伯母が、翠には誇らしかったのを覚えている。


 小さなころは、近くに住んでいた。

 その伯母の家にはいつも誰かが相談に来ていた。毎日のように翠は伯母の家にお邪魔し、訪問者に『伯母さんはいいひとだ』と言われるのが、わがことのように嬉しかった。


 その伯母と共に、毎年行う


(そうだ……)


 よく考えれば。

 あの法事の時、どうして翠と伯母しかいなかったのだ?


 翠は今の今まで、自分が女の子だから手伝いさせられていたのだと思っていた。


 では、どうして。

 どうして翠以外の女衆がいないのだ。


 どうして。

 翠は法事なのに、赤い振袖を着せられていたのだ。


「食事でもてなし、酒で酔わせて、あの中洲におびき寄せる」


 伯母が静かに語る。



 みどり、こっちの酒が足りないよ。



 あの声。

 あれは、人のものではない。


「あとは、山姫様に任せるだけ。姫様の吐息一つで、けがれは消える」


 伯母と手をつなぎ、『決して振り返ってはいけない』と言われた記憶。

 竹藪を進み、急に目の前に広がる満月と。


 山。


「あれは……、祭事だったの」

 翠は目を見開いたまま、彩に尋ねた。


「そうよ。そうして、私たちはこの町の穢れを毎年祓っていた。だけど」


 深くひとつ首肯したものの、彩は再びため息を漏らした。


「知恵があの土地を売り払ってしまったから、もう祭事ができなくなった。なんとか中洲の吉凶判断だけでも残そうとしたものの、私たちの地区も再開発区域に指定されて、もうどうにもならなくて……」


 それで、布士家はあの土地を離れたのだ。


「離れる際、近隣に残った数人の長老たちが『中洲は禁足地として伝える。誰も入れない』と言ってくださったので、大丈夫かと思ったのに、この町はまるで百鬼夜行ね。いろんなものが人と混じって溢れてしまっている」


 ふふ、と彩は自嘲気味に笑った。


「こんな土地を大枚たいまい払ってつい棲家すみかとするなんて……。私なら絶対いやだわ」


「なんとかなりませんか? 我々としては、そこをご相談したいわけで……」


 石堂が身を乗り出すが、彩は緩く首を横に振った。


「どうにも。毎年祓いをしないことにはどうにもならないでしょう。

 もともと新興地の購入を考えている人というのは地縁ちえんを嫌うのでしょう? それなのに、意味不明な祀りに協力をしてくれるとは……思えない」


やしろを移設させても無理ですか」

 石堂が提案するが、彩は眉根を寄せた。


「あれは神意を伺う装置のようなものですから……。村の穢れを祓うのは、やはりご神体からの息吹いぶき


 山から下りる風で滅するしかほかないのだろう。


「私がここに伺ったのは、この町をどうするか、というより布士正雄のためです」


 話を断ち切り、彩は石堂の目を見た。


「その……布士正雄、という方はどのような?」


 さっきも名前が出た気がする。石堂が視線をこちらに向けるが、翠だって知らない。


「昭和初期の人だと聞きます。布士家の長男でした。長男と言っても、順番としては、三番目。長女が巫女を、次女がその手伝いを。そして正雄には、聴く力がなかった」


「……ひょっとして、開襟シャツの男?」


 そっと尋ねると、彩はまばたきをして肯定してみせる。


 しゃべり過ぎて喉が渇いたのか、彩はカップを持ち上げ、唇につけた。合わせるように石堂もカップの把手に指をかける。


「彼はカネをもらって依頼者が気に入るよう、神意を捏造ねつぞうした」

「捏造……。勝手に作り上げたってこと?」


 翠に向かって、明確に彩は頷いて見せる。


「神意は、基本的にイエスかノーしかわからない。それなのに、勝手に物語を作り上げ、あたかも山姫から聞いたかのように語り始めた。おまけに」


 彩は両手でカップを包み込み、俯く。


「『お前に歯向かう者には、天罰が下るだろう』と依頼主に告げ、依頼主が邪魔だと思っている人物を殺してまわったそうよ」


 翠の脳裏によみがえるのは、夢の風景。

 巫女姿の女性と、レトロな服装をした女性が、荒縄で縛った男性を糾弾する場面。


「神明……、裁判」

 呟く翠を、彩は一瞥した。


「そう。姉たちは弟の所業を山姫にゆだねた結果、彼は豪雨の中、中洲に取り残されて溺死した。だけど」


 彩は続ける。


「彼の魂はこの世にとどまった。そして、いまだに禁足地にやってきた人間に語り掛ける。『願いはなんだ』と」


 ごくり、と翠は息を飲む。

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