第59話 夢

 きぃぃぃぃぃぃ、とも、ぴぃぃぃぃい、とも聞こえる音が耳をつんざいた。


 目が醒めた。

 翠は思ったのだが。


 色彩のない世界と、上空で固定された視点に『違う。まだ夢を見ている』と気づいた。


 なんとなく、映画かドラマを観ているような気分だった。


 身体はあるのに、実感がわかない。指や手、胴体が動かせない。

 ただ、視覚と聴覚だけがある。


 竹が枝を揺さぶり、葉をこすり合わせると音と、例の高音の響きに翠は視線だけを彷徨わせる。


 あの中洲だ、と気づいた。


 だが、変だ。

 いつもと違う。


(あ……。視界が……)


 360度見渡して気づいた。

 視界がいいのだ。


 川の流れに沿って竹は生えているが、それでもまばらだ。対岸が透けて見える。

 そしてなにより、決定的に違うのは。


 北。そして南。


 北には大きく山が見えた。

 存在感に息を飲む。


 白と黒しかない世界の中で、あの稜線を広げる山は、真っ黒にそびえたっていた。

山から流れて来る水流は、南へと移動する。その川の流れが南に見える。


 つまり、北と南の竹は、ばっさりと刈り取られ、何もない。


「神意を問う。弟を御身おんみにゆだねるか、司法にゆだねるか」

 凛とした女性の声が響いた。


(なに? だれ?)


 翠は視線を揺らす。続いて、低い声が聞こえた。


「俺は悪いことをしたと思っていない」


 下から聞こえてくるようだ。

 翠は視線を下げた。


 やしろがあった。

 あの、中洲の社。


 扉をあけ放たれ、後方の板も持ち上げられている。


 その姿は、やはり養蜂箱に見えた。


 その社の前に。

 男がひとり、両膝をついていた。


 白い開襟シャツと、ズボンをはいた男。


(あの男だ……)


 翠につきまとう男。

 禁足地で願いを告げた者のところに姿を現す男。


 腕は背中に回されて荒縄で縛られていた。足もそうだ。足首のあたりでまとめて縛られている。


「悪いことをしたと思っていない?」


 巫女姿の女性が苦し気にうめく。その隣に立つのは、スカート姿の女性だ。


 ふたりは、立ったまま開襟シャツの男と相対していた。


 なんだかレトロだな、と翠は女性の服装や髪型を見て思った。スカートのデザインも、シャツも。


 昭和の、初期だろうか。NHKの朝の連続ドラマから抜け出したような服装だ。


「姉さんたちだってしていることだろう。なぜ、俺がしてはいけないんだ。俺だって布士の家の者だ」


 縛られ、ひざまずかされているというのに、男は傲然と胸を逸らしていた。


 ごおおおおお、と低い音が鳴る。それに重なるのは、竹の葉が揺れる音。板の上で砂利を流したような音。


 風だ。

 翠は再び上空を見た。


 黒く、厚い雲がすごい速さで近づいてくる。


 嵐が来る。

 翠はそう感じた。


れ者め。己の行いを我らが知らぬと思っているのか」

 巫女が開襟シャツの男を睨みつける。


戯言ざれごとのつじつま合わせのために、お前は……っ」

「しかも、カネまで要求して……。これでは、強盗ではないか」


 スカートの女性が顔を手で覆った。後半は泣き声になる。


「彼らは喜んでいた」

 はははは、と開襟シャツの男はわらう。


「姉さんたちみたいに〝はい〟か〝いいえ〟しかわからない曖昧なものより、俺の予言の方がよほど皆に喜ばれた!」


「予言ではない、お前がやったのは人殺しだ!」


 巫女が言い放った後、大きく風が吹いた。



 きぃぃぃぃぃぃいぃぃぃぃぃぃい。



 尾を引く百舌鳥もずの鳴き声に似た高音。


 翠は耳を塞ぎたいが、それも出来ない。

(この音……。なんなの?)

 翠は音源を探す。


 同じように〝音〟に反応したのは巫女と女性だ。


 だが。ただひとり。

 開襟シャツの男だけが、怪訝そうな顔で様子をうかがっている。


 女たちは。

 真っ黒な。

 闇を塗りこめたような瞳で互いを見つめ、頷いた。


「「神託はくだった」」


 ふたりは声を揃え、開襟シャツの男に告げた。


「「お前を、山姫にゆだねる」」


 言うなり、巫女と女性は男に背を向ける。


 ぽつり、と。

 男の頬に雨粒が当たる。


 それが端緒たんちょとなって、恐ろしいほどの雨粒が中洲に打ち付けた。


 嵐がくる。

 激しく粟立つ川面を見て、翠は震えた。


 増水する。

 このままの勢いで雨が降り続けば。


 中洲はきっと、水に呑まれる。


「俺は間違っていない! 願いは成就した! 成就のためには、対価を払うべきだ!」


 男は膝をいざって巫女に追いすがろうとしたが、縄で縛られているためにあっけなく転倒し、泥水に頬を汚した。


「お前がしたのは」


 巫女はまだ増水前の川に足をつけ、開襟シャツの男を冷たく見下した。


「カネをもらって人を殺した。ただそれだけだ」


 女たちは川を渡り、対岸についた。


 同時に。

 どうぅ、と低い音がした。


 あぎとを大きく開いたように、茶色の濁流が中洲に迫った。


 ばくん、と。



 男が呑まれる。

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