第51話 社のご神体

 石堂は頷き、スマホをなぞって発信をした。


「はい、副社長」

「悪い、長良。いますぐ嗣治の友達の……、史郎くんに事情を聞いてほしい」


 相手は秘書の長良らしい。

 石堂はかいつまんで顛末を伝えた。


「まだわたしの身になにも起こらないということは、史郎くんも大丈夫だとは思うが、十分に警戒するようにと伝えてくれ」


「………自業自得だとおもいますが」

 長良はしばらくの沈黙ののち、慎ましい声音で吐き捨てた。


「断れなかったんだろう。昔から、史郎くんは弟の言いなりだったからな。とにかく、保護を」


「かしこまりました。副社長も、どうぞ十分にご用心なさってください。それでは」


 長良の言葉に、石堂は黙ったまま頷き、通話を切る。

 ふう、と吐息をこぼした時。


 ぎい、と木戸が開く音がした。


「おう、お客さんよ。その辺、釘が出てるかもしれねぇんだ。手、気を付けて」


 庭の北側に設けられた木戸だ。

 そこが開き、小柄な高齢者が声をかけて来た。手にはスーパーで使用するような買い物かごを持っていて、中には葉物野菜がぎゅうぎゅうに詰められていた。


「どうも、初めまして」

 石堂が立ち上がるから、翠も慌てて倣ったのだが、高齢者は片手を上げて制する。


「ばあさんから聞いてるよ。あれだろ? 中洲」


 首から下げた手拭いで額の汗を拭いながら、近づいて来る。この高齢の男性が森川和幸らしい。


 例の、怪談を披露した青年の〝おじいちゃん〟だ。


「なんだ、茶も出してないのか、ばあさん」

 森川は顔をしかめ、手こぎポンプに近づく。


「先ほど、JAの婦人部講座に参加するとおっしゃっていました」

 ふたたび縁台に腰掛け、石堂がにこやかに伝える。

 

「あれだろ? 腰蓑こしみのつけておどるやつだろ?」


 森川がぶっきらぼうに言う。腰蓑、と石堂が怪訝な顔で翠を見た。


「フラダンス……ですかね」


 おそるおそる尋ねると、ポンプから噴き出す水で豪快に手を洗いながら、森川は「それだ」と頷いた。


「年甲斐もなく、あんな腰振りダンス」

 顔をしかめるから、翠が愛想笑いを浮かべる。


「健康にいいんですよ。それに衣装も可愛いし。レイとか、スカートとか」


「年寄りが花飾り首にかけて水の側で踊るなんざあ、縁起でもねぇ。まるで三途の川の風景だ」


 こりゃ駄目だ、と翠は頭を抱えたくなる。フラダンスの印象が、この高齢男性にとっては、とてつもなく悪いらしい。


「で? 中洲の何が知りたいんだね」

 手を振って水を切ると、両腰に手を当てて石堂を見る。


「あのやしろのご神体は、『願いが叶うかどうか』を教えてくれるのだ、と聞きました」


「それがあんたがたに、どんな関係があるんだい」

 薄い瞼を細め、森川はねめつける。


「今、あの辺り一帯が大規模改造されているのはご存じですね? 弊社は、その土地売買に関わっております」


 石堂はおだやかに伝える。おや、とばかりに森川は目を見開いた。


「あんた、親愛コーポレーションの人かね」

「はい。申し遅れました。わたしはこういうのもので……」


 石堂は無駄のない動きで立ち上がると、森川に名刺を差し出す。


「ははぁ。副社長さんねぇ」

 珍獣でも見たような顔で森川は石堂と、手渡された名刺を交互に見た。


「あの中洲を整理し、子どもも遊べるような施設を行政は企画しておりまして」

「馬鹿なことを」


 森川は吐き捨て、名刺を作業着のポケットにねじ込んだ。


「社の移設はどうするんだか。うまくいきゃあいいけどな」


 森川は言うと、伏せてあった洗い桶を手こぎポンプの下に置く。乱雑に数回押すと、ざあざあと水があふれ、森川は洗い桶の中に、葉物野菜を突っ込んだ。どうやらほうれん草らしい。


「もちろん、ご神体を丁寧に移設し、別の場所に祀るつもりではいます。ですが、そのためには、あの社の神がなんなのかを知る必要がありまして」


「あそこは布士のものだ。布士の者に聞きな」


 足を開いて座り、ごしごしとほうれん草の根を洗っていく。

 突如話題にのぼった自分の苗字に、翠は身を固くした。


 本当に。

 布士が、あの中洲に関わっている。


 石堂だけではなく、見知らぬ第三者に言われて妙な実感がわいた。


「布士の家の方にもアポイントは取っています。が、実際、引っ越してから早20年近くが経過し、当時を知る方も少なくて……。なんでもいいんです。情報をいただければ」


 石堂が下手に伺いを立てると、ちらりと森川は視線を上げた。


「布士の者には、本当に連絡をしているんだな?」

「ええ」


 石堂は力強く首を縦に振り、ちらりと翠にも視線を向ける。


「はい」


 翠も硬い声で返事をした。

 森川はそんなふたりを満遍まんべんなく見た後、ゆっくりと口を開いた。


「うちは、親父が長老をしたことがあるんだ。だからまあ、他家よりは多少なりとあの中洲のことについては知っている」


「お祀りしている神のことについても?」

 石堂が尋ねると、ふん、と森川は鼻を鳴らした。


「名前とかは知らんよ。だがな、あそこの神さんは、百発百中だ。予言をたがえたことはねぇ」


「予言を、するんですね」

 石堂が確認する。


「そうだ。『この縁談はうまくいくか』とか、『この株を買おうと思うがどうか』というような相談をする。すると『縁を結ぶな』とか『株を買え』というように、吉凶を伝えてくれる。布士を通じてな」


 森川はもう一度立ち上がると、石堂に向かって顎をしゃくる。


「スーツが汚れるから、あんた、縁側に戻りな」


 ポンプに手をかけたところを見ると、水をまた出すのだろう。石堂は素直に縁台に戻り、翠の隣に座った。


「だから、この辺の者や、噂を聞いた者は、布士家に酒を持ってお願いに行く。

『今度娘に縁談が来たんだが』とか『親戚が商いをするらしい。一口乗ってくれ、と言っているがどうだろう』というようなことを布士に伝えるんだ。その都度つど布士が社に行き、神さんに尋ねる。その返事を聞き取り、相談者に返す。

 それが、本来のあの社の役目だ」


「なるほど。相談者の素性は布士家が把握する、ということか」

 石堂が呟く。


 あれだ。

 願いに名前を書かない。


 それは、こういったことに由来するのだろう。

 書く必要はない。布士が聞き取り、承知しているからだ。

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