第50話 とんでもないクズ野郎

 空が夕焼けで赤く染まるころ、翠と石堂は八川町の民家にいた。


 いまどき珍しく、縁側がある家だった。

 古民家と表現されそうな家屋で、屋根はかやぶきだ。敷地の一角にはいまもまだ現役の蔵が見えたりしていた。


 森川和幸の自宅。

 例の怪談を語った青年の祖父の家だった。


 中洲にいた翠と石堂は、蘆屋建設から「怪談の元ネタを知るおじいちゃんの連絡先がわかった」と連絡を貰ったのだ。

 怪談を披露した青年から「だったら、じいちゃんから直接話を聞いてください」と言われたらしい。


 そこで、一旦社を元通りにし、車に戻って移動することにした。


 助手席の翠が移動中に森川家に連絡をし、訪問の目的と森川和幸さんとお話をさせてほしい旨を伝えると、電話口の奥様は快諾してくれた。


 ただ実際に家に着いてみると「じいちゃんは畑だから待ってて。もうすぐ戻る」と、ふたりを縁台に通したまま、家を出て行こうとするから驚く。なんでも、JAの婦人部講座に参加するのだそうだ。


 他人を残して留守にしてもいいのか、と尋ねると「盗まれるものはなにもない」とあっけらかんと言い放った。


 ということで。 

 翠と石堂は縁側に座り、こじんまりとした庭を眺めて家主の帰りを待っていた。


「あ」


 苔むした庭石に橙色の夕日が混じるのを眺めていたが、石堂が突然声を上げるから、翠は顔を向ける。


「違い……ますね」

 彼はコンパクトカメラの画面モニターを見つめて呟いている。


「なにか映っていましたか」


 彼は今、中洲のモーションカメラから引き抜いてきたSⅮカードを確認していたはずだ。パソコンとの相互性がどうにも悪いので、結局コンパクトカメラを使用している。


「はっきりとはわかりませんが……。これ、史郎くんです」

「しろう、くん」


 きょとんとした顔の翠に、石堂はカメラを差し出す。翠は両手で受け取った。


 コンパクトカメラの裏面だ。

 撮った映像が確認できるようにモニター画面がついている。


 そこには今、白と黒だけで表示された写真が一枚、再生されていた。


「覚えていませんか? 弟の婚約式で受付をしてくれていた青年です」

「ああ! 副社長のことをよく知っていた……」


 隣にいた振袖女子や、同じ年頃の参加者は、石堂のことを誰も知らなかったが、彼だけは名前や、嗣治の兄であることを理解していた。


「弟が中学生のころから家に出入りしていた子です。……まあ、弟が振り回しているというか……。きついいい方をすれば、いいように操っている子なんですが」


 気の毒そうに吐息をつき、モニターを一瞥する。

 正直、翠は史郎なる青年の顔を覚えてはいない。


 だが、そこに映し出された男は、肩を竦ませ、膝を緩くたわめた姿勢で、両手に懐中電灯を握りしめている。


 いわゆる〝怯えた〟恰好だった。


「史郎さんが、嗣治さんと一緒に中洲に来たんでしょうか?」


 翠が尋ねると、石堂が肩を寄せてモニターの隣にあるボタンを押す。ほんの一瞬だけ間近になっただけなのに、ぱくり、と翠の心臓が大きく拍を打った。


「次の写真です」


 黒瑪瑙に似た瞳がモニターに注がれる。翠も彼が示した画面を見る。


 たぶん、画面左に映る半身は史郎のものだろう。

 その数歩後ろを、数人の青年たちがやはりおっかなびっくりと言った様子で立ち尽くしている。ざっと確認するが、嗣治の姿はない。


「次です」

 画面からは完全に史郎の姿が消え、残るのは数人の青年たちの姿だけ。


「そして、最後」


 今度は、左から史郎がフレームインしている画像だ。

 青年たちは相変わらず画面の右端に立ったまま。


 モーションカメラだ。

 動かなければ、シャッターはきらない。


 位置を変えない青年たち。

 動きを示しているのは、史郎だけ。


「ということは、これ……。史郎さんだけ、行かせたってことですか」


 翠は呆れと怒気が入り混じった声を発した。


 禁足地には、確かに複数の足跡があった。

 長靴など持参していない足跡が乱雑に落ち葉を踏み、濡らしていたのを思い出す。


 翠はそれを見て、「みんなで社に行った」のだと思っていたが。

 彼等は、史郎だけにその役を任せたのだ。


「しかも……、これ、嗣治さん、ここにすら来ていないってことですか?」


 そう。一番腹立つのはこのことだ。

 呪った本人は、この地に立ちすらしていない。 


 ただ、紙を押し付けただけ。

 断れない人物に。


「……ということは。話が違ってきますね」


 石堂は顎を摘まんでしばらく何事か考えていたが、スーツのポケットからスマホを取り出す。迷いのない指で画面をタップし、通話を開始させた。


「失礼」


 スマホを肩と耳に挟み、翠が怒りに燃えたまま握りしめているコンパクトカメラを取り上げる。縁台の上に置いたワンショルダーの中に仕舞う頃には、通話相手とつながった。


「なんだよ、暴行犯」


 隣にいる翠にも、その声が聞こえてきた。


「わたしがそうなら、お前もそうだな。先にわたしの大切な人に手を出したってことで、警察に突き出すぞ」


 低く唸ってから、石堂は咳ばらいをし、声音を改める。


「嗣治、お前の友達が禁足地に来たか?」

 単刀直入に尋ねる声には、なんの感情もうかがえない。


「なんで知ってんの」

 対して、嗣治は喜色の滲む声だ。


「ひょっとしてもう、死にかけてんの?」

「あれはいま、うちの物件だ。モーションカメラを設置している」


 突き放すように答えると、途端に興味を失った声が漏れてきた。


「つまんね。なんだよ、それ」

「史郎くんに行かせたのか」


「頼んだよ、紙持たせて。なんか願いが叶うんだろう?」

 はは、と嗣治が笑う。


「兄貴、なかなか死なないし。俺さ、そろそろなんか肩書持たないと、紫苑の実家に愛想つかされそうなんだよな」


「みる太から聞いたのか、中洲のこと」

「え。兄貴も知ってんの? 有名人〜。なんだ、やっぱ願い叶ってんじゃん」


 はしゃぐ笑い声に翠は腰を浮かせる。「ちょっと、あんた」と言いかけた口は、石堂に塞がれた。


「願いを叶えるために、なにかを差し出さなければいけないことを知っているのか?」

 低い声が、濃い橙色に染まる庭に広がる。


「知ってる。みる太、精神病院に転院決まったみたいだし」

 スマホからは、嗣治の楽しそうな声が流れてきた。


「でも、おれは関係ないじゃん? だって願いを持って行ったのは、史郎っちだもん」


「信じられない……」


 愕然と呟く翠の声は、今度は遮られなかった。

 ただ、嗣治に届くこともなかっただろう。石堂が無言で通話を切ったからだ。


「ひとさまのご家族のことをとやかく言いたくはないですが……」

 怒りで声が震える。


「とんでもないクズ野郎ですよ……っ」


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