第52話 願いをかなえてくれるもの

「そうか。あの中洲の竹、全部切っちまうのか」

 感慨深げに森川は言った。


「わしらが子どものころは、夏と冬に竹をもらいに、あの中洲に行ったもんだ」

「夏と、冬ですか?」


 石堂が尋ねる。森川は頷き、濡れたほうれん草を洗い桶から取り出した。振って水気を取る。


「七夕と、とんどの時期な。布士の者が中洲にいて竹を切るんだ。村の……特に子どもがそれを貰いに宇津川に行く。七夕は娘が。とんどは男が」


「七夕まつりの飾りにあの竹を使うんですか?」

 〝笹〟ではないのか。翠が訝る。


「この辺りは竹を使っていた。あの中洲のな」

 ぽいぽい、と洗い終わったほうれん草を、森川は買い物かごに移し替えていく。


「竹や笹は、古代よりしろとして使われていたんです」

 石堂が翠に耳打ちした。


「本来七夕は、その家の娘たちが竹や笹に神を宿らせ、神意を尋ねたり、祖霊それいを呼び寄せてもてなしたりする祭りでした」


「……短冊を飾るのではなく?」


 翠の中で七夕というのは、笹に色紙で作った短冊や飾りをぶら下げるものだった。ついでに言えば、七夕と聞けば、給食で出たゼリーの味が条件反射のように思い出される。天の川を模した水色のゼリーで、中に星形に切った黄色いゼリーがいくつか入っていたように思う。


「そうですね。いろんな変遷を経て、今の形になったんです」

 石堂はやわらかく微笑む。


「とんどの時は村の若い男が総出そうででな。布士の者が中洲から切り出した竹を、川の中に入って運び出すんだ。川の水が冷たいのなんの。たいがい、消防団の仕事だったがね」


 森川は肩を揺すらせて笑う。


「まあ、ああやって定期的に竹を伐って……。竹林の整備もしてたんだろうなぁ」

「放っておくと、竹や笹はどんどん増えますからね」


 石堂が同意をする。森川は額の汗を手の甲で拭った。


「昔は、あんなにみっしり竹が生えてなかった。外からでも中のおやしろが見えたもんだ。春には布士の者がたけのこを掘り起こしてな、川に流すんだ」


「食べないんですか」

 きょとんと翠は尋ねる。森川は顔をしかめた。


「食べちゃいかん。その昔、川下でこっそりその筍を拾って喰った不届き者がいたらしいが、腹を壊して死んだらしい」


 死ぬとは、なかなかに物騒だ。


「秋には、清めの行事をするんだ。布士の者は自分の家を解放して、一年間村に滞ったさわりを呼び集め、竹の枝を振りながら中洲に集める。そして、浄化する」



 さやさやさや



 翠の鼓膜を、記憶の音が撫でる。


『みどりちゃん。まだ料理が足りないわね。このお皿を持って行って』

 伯母の声が遠くから聞こえてきたように錯覚した。


「そうやって四季折々、布士の者があの中洲を守ってきたが……。放置されてなぁ」


 不思議だ。

 夕焼けに包まれているというのに。


 ちらちらと。

 網膜に浮かび上がるのは、夜空に輝く黄金色の月。


「まあ、時世には逆らえん。行政が立ち退けというのなら、あとは行政が考えればいいこった」



 ぼうぅぅぅぅぅ、と。



 息ができないほどの強風が翠の顔を打つ。

 咄嗟に顔をそむけた。


『ああ、山姫さまが衣装替えなさった』



「どうしました?」

 石堂が小声をかけた。


「……なんでもありません」


 実際には風など吹かなかったのだろう。

 翠は冷えを感じる指を握りしめ、首を横に振る。


「いま伺ったお話では、社に祀られている神は、願い事が叶うかどうかを判じる神であって、願いを叶える神ではないとのことですが」


 石堂を、森川は剣呑な目で見つめた。


「時折いるんだよ。吉凶判断ではなく、願いを叶えて欲しい、ってやつがな」

 森川はため息交じりに吐き捨てた。


「そういうやつは、布士の者が全部断るんだが……。諦めきれずに、禁足地にわざわざ入って、願い事を書いた紙を社の前に置くやつがいる」


「………叶うんですか?」

 翠がためらいながら尋ねた。


「叶うんだよ。が叶えてくれるのかは知らんがな」


 森川は顔をしかめた。


「みな、悲惨な末路だ。やめたほうがいい」


 まだ手に残っていた水気を、作業着で拭きとる。


「手順ってのは決められているんだ。安全のためにな」

 薄い瞼の向こうから、鋭い視線を森川は向けてきた。


「……貴重なお話、ありがとうございます」


 石堂は言い、立ち上がった。視線を向けられるから、翠は脇に置いていた菓子の入った紙袋を持ち上げる。


「よろしければこれ、みなさんで召し上がってください」

 小走りに森川に近づき、差し出す。


「いらねえよ、別に」

 心底驚いたように森川は言うが、石堂も近寄ってきて軽く頭を下げる。


「お時間を割いて頂いたのですから、そんなわけにはいきません。お口汚しですが」

「じゃあ……まあ」


 森川は再度手を作業着にこすりつけると、押しいただくように紙袋を受け取った。


「ひょっとして、だけどさ」

 森川は片手に紙袋を下げ、眩し気に翠を見上げた。


「あんた、布士家のものか?」


 驚いて目を丸くすると、ひょいと肩を竦める。


「やっぱり。面影あるよ。あんた、覚えてないかな。わし、小学校の通学路で、交通安全のボランティアをしてたんだ。そん時はまだ、あんた低学年でさ」


 紙袋を持っていない手で、がりがりと森川は顎を掻く。


「とにかく集団登下校をしない子で……。上級生が手を焼いてさ。だから、わしらも気にかけるようにしてたんだ。実際に見てみたら、名札に『ふし』って書いてあって……。なんだい、布士の者ならしかたねぇな、って」


「………どうして、仕方ないんですか?」


 尋ねたのは、石堂だった。


「どうして、って」


 ぱちくりと、森川は目を丸くする。


「布士の家の者は、耳がいいからだよ」

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