第48話 石堂尊が死にますように

 二時間後。

 翠と石堂は、中洲にいた。


「……これ、また誰か来てますよね」


 翠は川に長靴の足を浸しながら、中洲への入り口を見た。


 竹を切り開き、簡単につけた入り口とやしろまでの道。

 そこに、確実に足跡がついている。


 しかも、ひとりじゃない。複数だ。


「そんなに噂が回っているんだろうか」

 石堂はかなり訝し気だ。


 ふたりとも、親愛コーポレーションの作業着を私服の上から羽織っていた。


 陽が降り注ぐ川の中で、この格好はかなり暑い。だが、どんな虫がいるかわからない場所に素肌をさらして入る気にはなれなかった。


 蘆屋建設を辞してから、ふたりはこの中洲に向かった。


 本来であれば、翠の伯母の彩に会う予定だったのだが、連絡がつかないのだ。

 すぐに留守番電話サービスに接続されてしまう。


 そこで予定を変更し、中洲の社に向かうことにした。

 今日の目的は、ご神体の確認だ。


「でも、蘆谷さんは、今のところそこまでメジャーじゃないって。都市伝説化するほど時間も経っていないらしいですし……」


 翠は石堂を見上げる。

 彼も翠と並んで、川に足を漬けたまま、急傾斜の入り口を見ていた。


 上るのに難儀したのか、部分によっては土が崩れている。

 手すり代わりにしたと思しき竹が、弓のようにしなってしまっている場所もあった。


「ですよね。長良に連絡しても、かなり検索しないと出てこない情報だ、と」

 それなのに、翠たちが来たあと誰かがまたここに来ている。


やしろに行ってみましょう」

 石堂に促され、翠は足場を確保して中洲に上がる。


 竹の葉が敷き詰まったところを踏んでも、今回はなにも舞い上がらなかった。

 むしろ、ぐちゃぐちゃについた足跡の方が気になる。

 翠たちのように長靴で来ていなかったのかもしれない。小道全体が濡れていた。


「待ってください。カメラのSDカードを入れ替えます」


 社の方に向かおうとした翠だが、石堂に声をかけられて足を止める。

 振り返ると、石堂は密集した竹をかわしながら横道に逸れ、モーションカメラに手を伸ばしていた。


「確かに。なにか映っているかもしれませんよね」

 翠は言い、周囲を見回す。


 下界のような暑さはこの中洲では感じない。

 代わりに、薄墨を流したような視界の悪さと、足元から忍び寄る寒気を感じる。


 さらさらさら、と。

 頭上で竹が葉を揺らす。


 風が吹いたらしい。一斉に竹はしなり、悶えるようにして広げた枝を揺らした。


「出来ました。行きましょう」

 石堂がワンショルダーを背中に回しながら、横道から戻って来る。


 翠は頷き、先に進む。


 さくさくさく、と。

 足元で枯れた葉がつぶれる。

 それ以外の物音はしない。


 だが翠は慎重に、周囲に気を配りながら歩を進める。


 この竹藪には。

 確実に何かがいる。


「見えました。あれですね」

 背後から石堂が声をかけるより先に、翠の目には、その四角い箱が映っていた。


 養蜂箱のような、長方形の木箱。

 そこだけ竹の侵略から逃れており、頭上の竹が風で揺れて、時折陽光が差し込んでくる。


「今日は写真も撮っておきましょうか」


 石堂は作業着のポケットからスマホを取り出し、数回シャッターを押した。角度を変え、またシャッターを押す石堂から、翠は社へと視線を向ける。


「あ」

 思わず声を上げた。


 石堂が動きを止める。


 社の前。

 閂のついた扉の前に。

 また、紙片が置かれている。


「やっぱり、誰か来たんだ」


 翠が呟く。石堂は深いため息をひとつつき、スマホをポケットに収めて、社に近づいた。


 石堂が紙片を取り上げる。注意深く、他になにか異変がないか見回していた。


 翠はそんな彼を置いて、社の真後ろに回る。

 扉の反対側だ。


 特に何か予感めいたものがあったわけじゃない。

 石堂が正面を見回していたから、自分が後ろに回っただけだ。


 正面部分は、扉がついていて、天井部分に千木ちぎと思しきものがある。屋根から空に向かって伸びた二本の角のような木のことだ。


 対して裏面には当然だが扉はない。だが、正面と同じように千木がある。

 よく見ると、正面の千木が屋根部分に接しているのに対し、裏面は壁の上部に打ち付けてあるように見えた。


「ん?」


 翠は視界が悪い中、顔を近づける。

 ぷん、と鼻先を湿気た木の匂いがかすめた。


(これ……。裏面全体が動くんじゃない?)


 正面の扉が開くように、この裏面は千木を両手に持ち、上に引っ張れば裏面の板全体がスライドして持ち上がるようになっている気がする。


「副社長。この社、なんか変ですよ」


 翠は長靴を、カッタカッタいわせながら、正面にいる石堂の元に向かう。翠とて社や神棚に詳しいわけではないが、こんな造りは珍しいのではないだろうか。


「……副社長?」

 社の前で、紙片を見つめたまま立ち尽くす石堂に、翠は小首を傾げた。


「どうしました」

 そう声をかけ、近づく。


「弟が」


 ぽつり、と石堂は呟いた。


「嗣治が、来ていたんだと思います」


 そう言って、翠に紙片を見せた。

 そこには。



『石堂尊が、いますぐ死にますように』



 そう、書かれていた。


「ど……、な……」


 口や喉全体に麻酔をかけられたように、翠は意味のない音声を発する。


 石堂嗣治。


 脳裏に浮かぶのは、やたら鋭い眼光をこちらに向け、威嚇するように嗤う姿。

 がっちりとした体格のわりには、石堂にまるで歯がたたなかった彼。


「よほど、わたしが目障めざわりなのか」

 ふう、と息を漏らした後、「あ」と声を漏らした。


「しかし、どうして弟はここの噂を……?」


 一願成就が叶う社。


 その評判をどこで聞きつけたのか。

 石堂は訝し気に眉根を寄せたが、不意に顔を上げる。


「あ。弟は、『知り合いの心霊系ユーチューバーが』と言っていましたが……。あれ、みる太のことでしょうか」


「いや、そんなことよりも!」


 冷静な石堂の腕を掴み、翠は上下に振る。


「呪われたんですよ、副社長! もっと驚きましょう! ってか、そうだ! ここは逃げましょう! 変なのに追われるかもしれないし!」


 言ってから、周囲を見回した。

 さわさわ、と風に葉が揺れる。


 高いところから竹が陽と影を落とし、石堂の頬を斑に染めた。


「もともとわたしは呪われた身です。今更あれですが」

「……副社長」


「それに、この場合、怖い目に遭うのは弟ではないでしょうか」


 首を傾げられ、はた、と翠は動きを止めた。

 さやさや、と上空でまた竹の葉が揺れる。


「願いを叶えるため、社の神から『二番目に大切なもの』を尋ねられ、奪われるのは嗣治だ」

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