第43話 夢

 翠は、夢を見ていた。

 これは夢だ、という自覚があった。



 さくさくと葉を踏んで歩く。

 自分と手をつなぐ人を見上げると、伯母の彩だ。


 周囲は暗い。

 夜なのだと気づいた。


 周囲を見回す。

 自分よりはるかに大きな竹が天を突き、星どころか空さえ見えない。


『おばさん』


 声を発して驚いた。口から洩れた声が随分と幼い。

 視線を下し、自分の手を見る。


 子どものそれだ。


(ああ……。小さいころの記憶……)


 翠は思い出す。

 これは、法事の終盤だ。


 翠は真っ赤な振袖を着せられており、伯母は赤の長いスカートのようなものをはいている。


『誰にでも優しくしちゃだめよ』

 伯母が硬い声で言う。しっかりと手をつなぎ、竹林を翠は足早に歩いた。


『もうすぐよ、みどり。もう大丈夫』


 伯母は翠を見下ろした。表情はよくわからない。だが声には励ますような色を帯びていた。


 同時に、強烈な向かい風が吹いた。


 翠は咄嗟に顔の前に腕をやり、目や口を守る。

 そうしないと、呼吸さえおぼつかないほどの風。


 竹林を通過する風は、ごおおおおおお、という腹に響く重低音を鳴らす。


 見上げた。

 竹林全体が揺れている。


 うねる。


 大きく細い身体を前後左右に振り、悶えているようにさえ見える。


 翠は恐れた。

 身をすくめる。


 その翠の耳に。

 それは、聞こえてきた。


 きぃぃぃぃぃぃ、とも、ぴぃぃぃぃぃ、とも聞こえる、甲高く、尾を引く音。


 百舌鳥もずのさえずりにも似た、高音。


 それは。

 背後から聞こえてくる。


 振り返ろうとして、翠は手を引かれた。


 彩だ。

 彼女は翠の手を引いて、ずんずんと前に進む。だから翠は振り返って確認することができなかった。


 この。

 きぃぃぃぃぃぃ、という音の正体がなんなのか。


『ああ、ほら。今日は綺麗な月ね』


 伯母に引き立てられるようにして歩く翠は、突如光源に包まれる。


 目をすがめた。


 さあさあ、と。

 川が流れている。


 その上空にあるのは、黒い布に大きく開けた穴のような満月。


 その光が、さんさんと翠に降り注いでいた。


 翠はようやく光に慣れた目で月を見上げた。

 手を伸ばせば触れられそうなほど近く見える。


 次いで、地面を見下ろす。


 川だ。

 さっきまで、自分は伯母と竹林を歩いていたというのに、目の前には川がある。


 浅瀬の、川底まで見渡せる透明度の高い水。


 顔を起こした。

 真正面。距離的には遠い。そこには、真っ黒ななにかが広がっている。


『山姫様が、衣装替えをなさったのねぇ』


 伯母が微笑む。

 そこでようやく、翠はそれが、裾野を広く伸ばした山だと気づいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る