第36話 会場内にて
「〝婚約式〟なんて、初めて聞きましたよ」
自分が書く〝異世界転生モノ〟の貴族ぐらいしか覚えがない。
翠はふかふかの絨毯が敷き詰められた廊下を、石堂と共に歩く。硬質な床面じゃないのでヒールがあっても非常に楽だ。
「結婚式は、どうしても取引先や親族が中心になるので……。自分たちの友人を招こうと思うと、別途披露宴的なものを用意しないと間に合わないんでしょう」
ああ、なるほど、と翠は頷く。
きっと、このホテルの大広間レベルでも収容人数が厳しいのだろうし、開催できたとしても、ゆっくり友人たちと話し込むことは不可能だろう。ほぼほぼ、取引先からの「おめでとう」を聞いて終わるのではないだろうか。
「あちらのようですね」
廊下を進むにつれ、華やかな音楽が聞こえてきた。
丁字の角を矢印通りに曲がると、暖色系の明かりが廊下に広がり、金色のバルーンや、機械で自動的に飛ばされているシャボン玉が目に入った。
「このたびは、お越しいただきありがとうございます」
受付らしい振袖の女性とスーツの男性が、石堂と翠を見て同時に頭を下げる。
「お名前を記入していただいてよろしいですか?」
振袖女子がにっこりと微笑むが、その隣でスーツの男性が目を丸くした。
「あれ、嗣治のお兄さんだ。今日は出席……?」
「こんばんは、史郎くん」
石堂はお愛想程度に頭を下げた。
「受付ありがとう。また、弟が無理を頼んだのでは?」
「いやあ、これぐらいなんてことないです。ってか、お久しぶりですね、尊さん。うわー、めちゃ、体調良さそうじゃないですか」
史郎と呼ばれた青年は快活に笑った。
「そうなんだ。恋人ができたからかな」
さらりと石堂は言うが、史郎の方はぎょっとしたように目を剥いた。「まじで」と呟いている。
石堂はそんな彼の反応に気づかぬふりをした。芳名帳に達筆な字で、名前を記す。
「
翠にペンを差し出し、身をかわす。
達筆だ。石堂は字もうまかった。
うわあ、この隣に字、書くの嫌だな、と思いながらも、翠はできるだけ丁寧に名前を書いた。それでも、石堂の字とは雲泥の差だ。恥ずかしい。
「カノジョさん、っすか」
史郎が、興味津々に石堂に尋ねているが聞こえた。
「そう。〝わたしの子猫ちゃん〟」
それやめて、と心の中で大声でつっこむ。筆ペンをへし折るかと思った。
案の定、史郎と振袖女子は、ぽかんと口を開いたままだ。
翠は筆ペンを戻し、顔を見られないようにうつむきながら石堂に寄り添い、小声で訴えた。
「早く会場に入りましょう……っ。恥ずかしいっ」
「このフレーズ、いいですね。誰も余計なことを言ってこない」
耳に口を寄せて石堂が満足げに言うが、誰もが呆れているのだ、と頭を叩いてやりたくなる。
「あ。会場に入る前に……。あそこで、メッセージをお願いします。会場のスクリーンに映って、当人ふたりや参加者が見るので」
翠と腕を組み、会場に入ろうとした石堂だったが、振袖女子に声をかけられて、ふたりして振り返る。
受付から身を乗り出すようにして指さしているのは、入り口に設けられたお立ち台のようなところだ。
今は、礼服を着た50代の男性が「このたびは、おめでとうございます」とカメラに向かって頭を下げていた。
「
石堂が呟く。翠が顔を上げた。
「取引先ですか?」
「ええ。大手の企業は結婚披露宴に呼ぶのでしょう。たぶん、真鍋さんレベルが今回、集められているのかな」
そそくさと壇を降りると、今度は勢いよく20代の男性数人が駆け上った。
当然その人数がちゃんと乗り切れるほど壇が広いわけではないので、数人が落ち、会場からは笑い声が聞こえてきた。
「嗣治、紫苑ちゃん!」
スーツこそ着ているが、頭から馬の被り物をした男が
「おめでとー!」
男たちで声をそろえると、会場が沸いている。
男たちはてんでばらばらに壇を降り、カメラに向かってアピールをしてから、会場へと入って言った。
「……最近、結婚式とか参加したことないんですが、こんなことになってんですか」
「わたしに聞かないでください」
石堂が顔をしかめる。
「いるだけで不吉だ、とか言われて、身内の喜ばしい席に呼ばれることはないので」
何気にトラウマになりそうなことを言い、石堂は壇に近づいた。翠は組んでいた腕を離そうと思うのに、石堂が脇を絞めて離してくれない。
「ひとりで行って、副社長……っ」
「
ごいごいと引っ張り、石堂は翠を伴って壇の上に上がる。
「親愛コーポレーション副社長の石堂尊です」
壇に上がった限りは腹をくくるしかない。翠は石堂の隣で営業スマイルを浮かべる。
披露宴会場のスクリーンには映像と声が聞こえているのだろう。会場からは「おお」という低い声が聞こえてきていた。
さっきの20代の男性たちを見たような歓声ではない。どちらかというと、驚きを伴うどよめきだ。
(……本当に祝いの席には呼ばれないんだ……)
顔は笑顔を作りつつも、翠は
石堂にも声は聞こえているだろうに、彼は無表情のまま続けた。
「お忙しい中、弟のためにお集まりいただき、ありがとうございます。嗣治と、婚約者の冬坂紫苑さん。末永くお幸せに」
翠は石堂と合わせて軽く頭を下げると、一緒に壇を降りた。
続いて昇るのは、20代の女の子たちだ。
石堂のことが気になるようだが、彼の方が一顧だにしない。翠を連れて会場に向かう。
「紫苑。婚約おめでとう」と声を揃えているところを見ると、新婦側の友人だったようだ。
「うわ……。芸能人が披露宴開きそう……」
翠は呆気にとられて会場を見回した。
天井からは大型のシャンデリアがぶら下げてあり、他にも仕込まれたライトが会場全体を煌びやかに照らしていた。
立食パーティースタイルらしい。
手に小皿を持って食べている人や、足の長いグラスを持って歓談している人たちがいる。
会場内の人数は適切なものだ。
ぎゅうぎゅう、というわけでもないし、まばらというわけではない。
ただ住み分けはされているようだ。
会場後方にいる比較的年齢が高いグループは、親愛コーポレーションと関りのある企業や、関連会社の人たちに見える。
そしてひな壇を中心に前方にいる20代のグループは、嗣治と紫苑の友人たちらしい。
金色や銀色、深紅のバルーンで飾られたテーブルの周囲には常に歓声が上がり、笑いが弾けていた。
対して、後方は静かなものだ。
会場に設えられたモニターに何かが映ればぼんやりと眺め、知り合いを見つけたら会釈して苦笑いをかわしている。
「本来なら、華麗にエスコートをしたいのですが」
石堂が肩を竦めた。
「わたしも、このような場は初めてなので……。この後、どうしたらいいんでしょうね」
「弟さんたちにご挨拶に伺いますか? それとも、身内はあとがいいのかな」
翠の語尾は、突発的に沸いた笑い声に消える。
ひな壇付近で「やばいな、お前」と大声が上がった。会場前方フロアでブレイクダンスがはじまっている。
「……後にしましょうか」
「そうですね」
翠も頷く。仲間ウケしているところに入っていける気がしない。それに石堂自身が彼らから嫌われている、とも聞く。
わざわざ場の雰囲気を悪くしに出向くこともない。人が少なくなった時を見はからい、声をかければいい。
視線を会場内に巡らせた翠は、そこに懐かしい顔を見つけた。
「あ」
おもわず声が漏れた。
亮太だ。
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